ジェームス・ウォーレン “ジム” ジョーンズ(James Warren “Jim” Jones、1931年5月13日 - 1978年11月18日)は、アメリカ出身のキリスト教系のカルト教団、人民寺院の教祖。自ら共産主義を信奉する救世主を標榜する。しかし晩年は強迫観念が強くなり、その独裁体制や強制労働などに対する批判が高まるにつれて過激化。サンフランシスコからガイアナの密林の奥地へ教団を移動し、最後は900名を超える信者を集団自殺殺戮に導いて世界に衝撃を与えた。1931年アメリカインディアナ州に生まれる。父親はクー・クラックス・クランの信奉者でジョーンズが12歳の時に家族を捨てた。母親は地元でボランティア活動に積極的に参加し弱者救済をしていた。家系はチョクトー族インディアンの血を引いている。ジョーンズは日曜日になると母親や兄弟と共に教会に通い、マルクス・毛沢東・スターリン・ヒトラーなどの本も愛読していた。優秀な成績で高校卒業の後、1949年に結婚。インディアナ大学在学中、メソジスト教会で牧師として働き、猿を売り歩いて生計を立てた。後に核戦争への危惧から南米に核シェルターを建設、移住した。1955年にインディアナポリスで人民寺院(People's Temple)を結成。その後、1963年にカリフォルニア州サンフランシスコに移る。黒人、若者、身寄りの無い高齢者といった恵まれない人々に福祉サービスを行い、優れた社会活動家という報道が話題となり時代のヒーローとして扱われ、有力政治家ともつながりを持った。一方で教団内では強制労働や女性信者への性的虐待など、ジョーンズとその一派の独裁による問題が発生したことから、主要な幹部を含めた信者達が脱退するようになった。1977年、脱退信者やマスコミなどから批判を受けるようになってからは、追われるように南米ガイアナの密林奥地に本拠地を移し、自らの名をとってジョーンズタウンと名付け、自分の妻と養子、信者らと共に入植。信者たちに強制労働が行われているとの噂が立ち、1978年11月18日アメリカ下院議員レオ・ライアンら5人がジョーンズタウンに調査に訪れた。調査を終え帰る途上、人民寺院の信者の一隊が議員一行を襲撃して殺害。この直後ジョーンズは信者らに死を命じる。大きな鍋に入ったシアン化合物入りの飲料水を摂取する事により、ジョーンズの妻子を含め大多数の信者が集団自殺を遂げた。ジョーンズ自身もこめかみに銃弾を受け死亡した(但し、自殺か他殺かは不明)。死者914人を数えた。
出典:wikipedia
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