千葉パイレーツ(ちばパイレーツ 、"Chiba Pirates")は、江口寿史の野球漫画『すすめ!!パイレーツ』に登場する架空のプロ野球チームである。なお関連づけを容易にする関係上、千葉パイレーツ以外の人物、すなわち『パイレーツ』の登場人物はあわせて解説する。九十九里吾作が創設したセ・リーグの球団。ジェロニモ以外千葉県出身で固めている。『週刊少年ジャンプ』連載開始時の1977年は創立10年に当たる。だが、『週刊少年ジャンプ』のシンボルマークが海賊であることにも因んでいる。作中でフランチャイズとされる「千葉球場」は、千葉県の流山市にあるという設定になっている。これは連載時に江口が同市に住んでいたことに由来する。後述の犬井と日上が流山産業大学野球部出身という事になっているのも同じ理由による。球団創設当初はオーナーの九十九里吾作が大金持ちであったため、豊富な資金力で才能ある選手をスカウトできたが、一気に没落し貧乏球団となってしまってからは、才能ある選手は入団を嫌がり、現在所属中の選手は一癖も二癖もある選手がほとんどとなっている。作中ではセリーグには、ライバルで金満球団である横浜イーグルスが存在、神奈川県に本拠地を置く。球団イメージには洗練されたものがあり、貧乏球団であるパイレーツと違って資金力もあり、バニーガール姿の女性マネージャが試合中に選手に給仕をしている。現実に起きた大洋ホエールズの横浜移転により、連載中に東海電鉄(架空の会社)を親会社とする東海イーグルスへ改名された。パイレーツに並ぶ弱小球団で、パイレーツの存在のおかげで万年7位にとどまっていたものの、1979年のシーズンは最下位の8位に沈んだ。なお、当作品中におけるセントラル・リーグは、実在6球団にパイレーツとイーグルスを含めた8球団によるリーグ戦が行われている、という設定になっている。球団は創設以来10年連続最下位で、新聞のスポーツ面に掲載される順位表は、7球団だけが紙面の上部に記載され、パイレーツは順位表を大きくはみ出た紙面の最下段に表記されたこともあるなど、通常のチーム扱いはされていなかった。主要キャラ三人組の構造は、『マカロニほうれん荘』を意識したものであると、作者自身がマンガ夜話の『マカロニほうれん荘』の回で語っている。登場人物の変遷もあり、中盤までかなり流動的である。中盤以降はほぼ固定化し、以下の通りとなる。作品当初は4番犬井、5番千葉のオーダーが多かったが、ジェロニモ加入あたりからジェロニモ、千葉、犬井のクリーンナップトリオとなっていく。(病気のおかげで)一時期好調だった猿山が4番をつとめたこともあった。主人公が連載当初は犬井だったが、一平が入団してからは完全に移ってしまった。この事は犬井自身に「主役を取られた」というセリフがあるので作者が納得した事実である。阪急の選手では上記の岡山でのオープン戦のみだが、他に、福本豊、当時の監督の上田利治(第一次政権)が登場する。当時は、阪急の黄金時代(リーグ4連覇、日本シリーズ優勝3回)だったが、オールスター以外でパリーグの選手が登場するのは阪急の選手だけである。1:(沢村真)2:鬼頭結成当初は千葉農協のバックアップと親会社の「ツクモリ・ノウキ」の繁盛で金満球団だったが、オーナーの放漫経営で見る見るうちに、キャンプも千葉県内で満足に行えない貧乏球団となった。慢性的な選手不足とされていたが、実はファームが存在しており、選手そのものが不足しているわけではない。しかし、パイレーツの「ファーム」はまさに「農場」であり、ファーム行きを宣告された選手は「農作業で足腰を鍛える」という建前の元、そのまま本当に農業をし続けることになる。因みに、連載中、一コマだけ登場する「二軍監督」も野球関係者と言うよりも「農夫(正規のユニフォーム姿ではなく、『ファーム監督』の名札が付けられて麦わら帽子や地下足袋など農作業姿をしている)に近い風貌であるが、初期のキャンプと連載後半には正規のユニフォーム姿の「二軍選手」が複数登場する。但し、中には「壁」捕手や君津兵吉の様に本来戦力になりそうな選手が全くいなかったわけではない。他に、何故か、作中の登場はあっても上記のスターティングメンバーの陰に隠れ、名前もなく、作中の試合には登場しないものの、初期の後楽園球場の開幕戦で試合前、ベンチでトランプに興じる選手が数名、満太郎が刑期を終え、球場入りした際、『ウルトラマンタロウが来た』と叫び、直後に本人から往復ビンタを食らう選手がいた。最も欠如していたのは(選手たちの常識を除いて)投手力で、富士一平の入団まではまともなローテーションが組めておらず、後に江原、沢村の入団によりかろうじて試合になるローテーションが組めるようになる。そのため、一平などは昭和40年代ごろのピッチャーの様な連投などのハードローテーションで投げることも少なからずあった。また、一平も3年目の1979年には、10勝9敗5S・防御率2.73という成績を挙げ、見事10勝投手に成長した。これに比べて野手陣の実力はかなり高い。俊足巧打の1番打者の粳寅は79年シーズンには、2割9分1厘・24本塁打・61打点・24盗塁の自己最高成績をマークしている。数字だけならセ・リーグは勿論球界でもトップクラスの核弾頭である。2番打者の猿山も、投手としては防御率7点台と二流だが三塁手としてはリーグ屈指の好打者(80年シーズンは、3割4厘・21本塁打・68打点)である。4番打者の千葉も例年3割・40本塁打・100打点近くを稼ぎ出す掛布雅之クラスの強打者で、ジェロニモとの3・4番コンビの強打は決して他球団のスラッガーとも見劣りしない。5番の犬井は打率こそ2割そこそこだが20本塁打と高い打点を弾き出すクラッチヒッター。6番稲刈は欠場が多いが、80年シーズンには90試合出場ながら2割5分8厘・10本塁打を打つ長距離砲である。守備力も実はかなり高い。キャッチャー犬井は沢村のフォークボールにも対応でき、一平の投球面の弱点(球が速いだけ)を指摘し、一方でリーグ屈指の左腕投手に成長させるなど、捕手としては充分に実力者と言える。また、ショート獅子丸の守備はゴールデングラブ賞ものであり、セカンドの昆も守備面で活躍している。センターのジェロニモは本塁打をモヒカンで叩き落とすことができ(実はルール違反でこれをやると三塁打扱いにされる)、ライト粳寅も俊足から守備範囲は広かったと考えられる。穴はレフト千葉くらいのものである。しかし、現実のプロ野球でも、2000年の大阪近鉄バファローズや2003年の横浜ベイスターズなど、打線はリーグでも最強でありながらシーズン順位は最下位というのは決して珍しいことでは無い。1998年の千葉ロッテマリーンズなどは打率リーグ1位の上に防御率もリーグ2位だったのに順位は最下位、2006年のパ・リーグ最下位の東北楽天ゴールデンイーグルスも、打線では規定打席到達の3割打者が4人もいた。試合は退場者続出のために没収試合や無効試合も存在することがあり、対する他球団は主力温存の機会とばかりに無名選手ばかりを出場させることになる。しかし、中には犬井が試合開始直後に退場処分となったために、逆に試合に勝ったこともある。連載初期の後楽園球場での開幕戦では「サードが田植えで忙しいから」との理由でベンチ入りせず、8人しかいないこともあり、挙句の果てには昆が加入するまでの間、セカンドがいなかった試合さえもあった(試合らしい試合が行われた描写が沢村の完全試合樹立前後と少ないとは言え、いずれのケースも実際には試合を行う事は不可能)。ファンクラブは地元千葉県の農協で、農協のネットワークで全国の農協からの協力を取り付け、遠征先の協力を受けている。ファン感謝デーは「農協の日」と呼ばれ、地元の老人がスタンドに大挙して埋め尽くし暴走し、選手も悪乗りするので、試合が滅茶苦茶になっている。他に、ヤクルトが初優勝を決める試合が「農協の日」と日程が重なり、試合冒頭、実況のアナウンサーが「ヤクルト優勝決定試合の模様をお伝えします」と発言し、直後に支持者から鍬など農機具で袋叩きにされている。ファンクラブは組織票でオールスターをパイレーツの選手で独占できるほど厚く、チーム名が企業名でなく地域名であること、ファームの選手が農業に励んでいることと合わせて、千葉県内においてはチームへの支持はそれなりに高く、後にJリーグやプロ野球に見られる地域密着チーム、ベースボール・チャレンジ・リーグなど独立リーグのようなチームとなっていた。
出典:wikipedia
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