松本 人志(まつもと ひとし、1963年9月8日 - )は、日本のお笑い芸人、漫才師、作家、作詞家、俳優、司会者であり、ダウンタウンのボケ担当。相方は浜田雅功。冠番組である「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」では企画構成を手掛ける。妻は元タレントの伊原凛。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(東京)所属。兵庫県尼崎市出身。小学校・中学校の同級生に浜田雅功と構成作家の高須光聖がいる。浜田と共に吉本総合芸能学院(NSC)に入学(同校の1期生)。入学当初から浜田とコンビを結成。その後コンビ名をダウンタウンとして舞台やテレビ番組に出演。1987年4月に開始した初の看板番組『4時ですよーだ』を皮切りに、翌年には深夜のコント番組『夢で逢えたら』で東京進出。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系列)、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系列)等では出演のほか番組の企画・構成も担当。1993年から1995年にかけて、週刊朝日に連載していた自身のエッセイ(オフオフダウンタウン)が『遺書』及び『松本』として単行本化される。それぞれ250万部、200万部を売り上げる。1990年代後半より、『一人ごっつ』シリーズ(フジテレビ系)、入場料1万円のコントライブ「寸止め海峡(仮題)」、料金後払い制ライブ「松風'95」、コントビデオ『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』など、個人での活動も行うようになる。2000年、自身の原案で『伝説の教師』(日本テレビ系、SMAPの中居正広と共演)に主演。2001年10月4日より、ラジオ番組『放送室』(TOKYO FM)を高須光聖と共に開始し、2009年3月28日の番組終了まで約7年半に渡り放送。2007年、企画、脚本、監督、出演の四役を務めた映画『大日本人』を発表し映画監督デビュー。日本での公開に先立ってカンヌ国際映画祭の「監督週間」に招待された。これに伴い、2008年の東京スポーツ新聞社主催・「第8回ビートたけしのエンターテインメント賞」で話題賞を受賞。2004年から『人志松本のすべらない話』(通称:すべらない話)のホスト及び企画、2009年からは大喜利の祭典『IPPON グランプリ』の大会チェアマンとして出演し(いずれもフジテレビ制作)、あまり知名度の無いお笑い芸人の才能の発掘や若手芸人の育成にあたる役割も担っている。『すべらない話』では、関西での活動を中心としていた小籔千豊や、矢野・兵動の兵動大樹がMVSを受賞し全国区へとブレークするきっかけを作り、『IPPON グランプリ』では、『R-1ぐらんぷり』『爆笑レッドカーペット』等をきっかけにブレイクしたバカリズムの大喜利能力の圧倒的な高さを発掘した。2010年6月、左股関節に股関節唇損傷を患い、股関節の手術を受けるため1 - 2ヶ月程度の休養を発表した。その後、8月18日収録の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で仕事復帰。同年10月15日にNHK総合でテレビでは実質的に9年振りとなるコント番組『松本人志のコント MHK』が放送、翌10月16日に同局のドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』で「松本人志スペシャル」が放送された。2013年5月4日、TBS系列のリンカーンでTwitterを開始。番組企画後もTwitterを続けている。2015年12月、第18回みうらじゅん賞を受賞。好きな歴史上の人物としてゴッホ、アンネ・フランク、黒田官兵衛など。山口百恵のファン。遊園地の絶叫マシンが大の苦手、かつ地下に埋もれるというゾンビ企画で(発案者は松本自身)で閉所恐怖症になった。1998年9月より、髪型を左分けから坊主頭に変える。2014年の秋以降は白髪を隠す目的で髪の毛をグレーに染めていたが、すぐ色が落ちてしまうという理由で冬頃からは金色に染めている。左利きの芸能人として有名であるが、スポーツ系は右利きで箸やペンを持つ場合は左利き。多方面の人物やメディアなどで、「天才」と称され、特に若手から中堅芸人のほとんどにリスペクトされている。「笑いと悲しみは紙一重・表裏一体」という考えを持っている。『ごっつええ感じ』のコント「トカゲのおっさん」や、映画『大日本人』は笑いとペーソスを両立させた作品となっている。貧乏だった少年時代の話を松本は心から面白いと思って披露しても、悲しい話として同情を受けてしまうことがあるという。『ごっつええ感じ』の頃は、ハードな下ネタやグロテスク・バイオレンスなネタなど狂気的なほどのブラックな笑いを度々見せていた。その後はそういった類の笑いへの興味は大分無くなっている。理由は「過去のコントを見返した際に『今観直してもやっぱり面白い』と思えたのはブラックな笑いではなかったから」と語っている。また、単純に年齢・芸歴を重ねたことや、結婚し家庭を持ったこともきっかけではないかとも自己分析している。『松本人志のコント MHK』では図面に描いた通りにやる「良質」なコントを目指したという。「面白いやつの条件」として「ネクラ・貧乏・女好き」を挙げている。「面白い奴とは自分ひとりの世界を持っている奴のことであり、実はネクラな奴が多い。面白い奴とはどこか冷めた奴のことである」と論じている。その一方、明るい性格に関しては「明るい奴は社交的で楽しいが、笑いの内容が薄く飽きられやすい。身内を楽しませるだけで終わってしまう」とも論じている。「貧乏」は、松本自身があまり裕福な家庭で育ってなかったこともあり、「遊び道具のない子供は、自分でそれを作ろうとする。結局、想像力が豊かになり、頭を使って遊ぼうとするのだ」とコメントしている。「女好き」については、「女好きの奴は口がうまい。そう、しゃべりが達者」であることを理由としている。尊敬する芸人と公言している人物は藤山寛美、桂枝雀 (2代目)、志村けん、島田紳助。藤山寛美・2代目桂枝雀については、「芸人は寛美さんや枝雀さんのように常に作品を作っていかなければならない。僕はそういう人になりたいと思う。」と語っている。また就寝前に携帯音楽プレイヤーで2代目桂枝雀の落語を聴きながら眠りに就く事が良くあるとも語っている。島田紳助は紳助・竜介時代に、ダウンタウンの芸風の方向性を松本に問いただすと、模索中ながらもある程度の確信がある旨を明かし、後に紳助は、ダウンタウンの漫才の方向性が正しかったことに衝撃を受け、これが紳助・竜介を解散するきっかけになった。また自身の著書『遺書』においても「もしこの世にテレビがなく、ラジオだけだったとしたら、このオッサンは間違いなく天下を取っているだろう」と紳助を評している。そんな紳助とは友人関係にあり、M-1グランプリの審査員として紳助と共に2004年度を除き全て出演した。3人兄弟の末っ子。祖父(昇次郎)(1896年 - 1971年6月8日)は著書にもよく名が出てくる。家族構成は父(譲一)(1933年 - 2014年8月18日)、母(秋子)(1933年 - )、兄(隆博)、姉(奈緒美)。兄はヒューマックス株式会社の取締役であり、2007年に歌手デビューをした松本隆博。2014年8月31日、8月18日に父・譲一が亡くなったことをフジテレビ系「ワイドナショー」内で明らかにした。番組では家族の話をすることが多く、共演することもある。2009年に元タレントの伊原凛と結婚し、娘がいる。ダウンタウンとしての出演番組・作品はダウンタウンの出演項目を参照。吉本興業・松本人志未公認2007年6月頃、大日本人公開に合わせてインタビューのラッシュがあった。全リストは脚注参照。
出典:wikipedia
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