スピードワゴンは、日本のお笑いコンビ。ホリプロコム所属。略称は「SPW」「スピワ」「スピワゴ」「ワゴン」。両者とも名古屋吉本の養成所・名古屋NSCに通っており、共に名古屋吉本の2期生にして名古屋NSC2期生である。吉本での同期デビューの芸人は次長課長や徳井義実(チュートリアル)、ブラックマヨネーズなどの大阪NSC13期生、札幌吉本1期生のタカアンドトシなどで、また名古屋NSCにおいてはボルサリーノやスギちゃんが同期で、1期上にタックインがいる。小沢は高校中退後フリーター生活を送っていた頃にNSCの宣伝を見て幼馴染とオーディションを受け、井戸田は高校時代の同級生とコンビを組む予定だったがオーディションにその同級生が現れず、結局1人で受ける。受験番号が前後であった事、小沢のコンビのネタの完成度が高かった事、井戸田は社交的で声も出ており陽気で騒いでいた事などから、互いに印象に残っていた。NSCでは常にライバル関係で、名古屋吉本の劇場の舞台出演を賭けた「芸人の卵」たちによる週1回のオーディションライブがリーグ戦形式(観客と審査員による投票でランクが決まる。ネタ時間の長短で区分される2リーグ制で入れ替えあり)で行われていたが、そこでは両者ともネタ時間の長いAリーグの常連で、小沢のコンビ「バツイチ」は毎回優勝、井戸田のコンビ「マグニチュード」(この時は井戸田は相方と併せて『ひろき』『じゅん』という芸名で、またそれ以前のピン芸人の頃は『イトリ』という芸名だった)は毎回2位(バツイチが出場しなかったら1位)であった。NSC卒業後は、バツイチは「爆笑BOOING」で5回勝ち抜きを達成しチャンピオンになった経歴を持つほか「オールザッツ漫才'95」に名古屋吉本の代表として出演した事があるが、その時は「『ウンコ』という名前の馬が出走する競馬ゲーム」の漫才を披露。生放送で「ウンコ」を連呼してダダ滑りし、西川のりおから「お前もう辞めたらいいねん。うそつきペッカーみたいな声しやがって」と言われてしまい、小沢は思わず「あんたもでしょ!」と逆ギレしたという。他に「マンスリーよしもと」208号(1997年7月号)には、小沢の事が当時属していた「メトロイド」というコンビで掲載されている。一方マグニチュードの方もなんばグランド花月の舞台に立ったり雨上がり決死隊と共に「吉本印天然素材」「ピッカピカ天然素材!」に出演したり「ミックスパイ+(この番組にはバツイチも時折出演していた)」のレギュラーを務めるなどの活動を行っており、名古屋吉本の中では期待株だった。また、吉本時代は育ての親である吉本興業の新田敦生(大阪制作チーフプロデューサー、当時は名古屋吉本の所長)に非常に世話になり、ホリプロに所属してからもラジオで共演を果たし、プライベートでも親しくしている。その後、井戸田は1997年10月に東京吉本に移り、半年ほどの間マグニチュードとしてアルバイトをしながら銀座7丁目劇場で活動するが、相方が芸人を辞めた事で解散となった。この頃に井戸田は名古屋にいた小沢がコンビ別れを繰り返していると聞き、以前より小沢とコンビを組みたいと考えていた事もあって1998年夏ごろに小沢に声をかけた。しかし腰の重い小沢はなかなか名古屋から出ようとせずコンビ結成に意欲を見せないため、井戸田がトラックをレンタルして名古屋まで小沢を迎えに行き、小沢は身ひとつで上京した。小沢は住まいが見つかるまで井戸田の家に居候し、井戸田は小沢の昼食を作るために一度アルバイトの昼休みに帰宅してはバイト先に戻る生活をしていた。そして1998年12月11日にスピードワゴンを結成。それから間もなく吉本を辞め、いくつかの事務所のオーディションを経て当時のM2カンパニー(現・ホリプロコム)社長の宮原匡彦に誘われ、1999年5月に同社所属タレントとなる。雨上がり決死隊からは「ギャラが安いから、お前ら吉本辞めて正解だったよ」とも言われている。また以前スピードワゴンと名古屋の正月特番で共演した岡村隆史(ナインティナイン)は「正直、やっぱスピードワゴンって名古屋でくすぶってた感ありましたもん」と語っている。仕事がない日が続いていた時に転機となったのは後述の2002年M-1グランプリ決勝戦への敗者復活枠での出場。これを機に名前が知られるようになり、注目度も高まった。本人たち曰く、M-1決勝出場前の月給は3000円だったが、出場後はテレビ出演が増えたため一気に100倍の額になったという。この頃の打合せの際、井戸田が「来年から忙しくなるよ」と小沢に言ったというエピソードがあり、その言葉通りこの大会を境にテレビ出演も増え、知名度も上がった。同年の大会では立川談志に「俺、下ネタ嫌いなんです」とネタを酷評されたが、中田カウスと島田洋七には「後半の畳み掛けがよかった」と評価されている。そして2003年のM-1グランプリでは準決勝を勝ち抜き、敗者復活でない決勝進出を果たした(そのため、キャッチフレーズが『正門突破』だった)が、その際に披露したネタは童謡(しかも『サッちゃん』や『グリーングリーン』といった都市伝説があるものばかりだった)をネタにしたものであったためDVDでは大部分がカットされており、場合によってはネタ自体が収録されていない。翌年には「爆笑オンエアバトル」(NHK)で第6回チャンピオン大会ファイナル2位、勝率0.750、オンエア率15/20でゴールドバトラーの称号を与えられており、同番組の黄金時代を支えた芸人の1組でもある。ちなみに当番組のオフエア最高得点(461KB)という珍記録の持ち主でもあり、この記録は番組終了まで破られなかった。小沢がプライベートで使用していた「甘い言葉」をネタに使用、一気にブレイクした。「爆笑オンエアバトル」では本分である漫才で(甘い言葉自体も元々漫才のネタであった)、よくも悪くもさらに知名度や人気を上げるきっかけとなった。また若手芸人の登龍門的存在の「エンタの神様」(日本テレビ系列)に出演した事も知名度向上に大きな影響を与えた。同ネタを番組内で使ってもらおうと始まった(後に趣旨はずれるが)「激あま〜い」(TBS)に出演、キー局での初メインレギュラー番組となった。2005年9月14日、井戸田が安達祐実と入籍。ちなみにこの日は安達の誕生日だった(安達はこの時点で妊娠2ヶ月で、2人はできちゃった結婚となった)。また安達の母親で井戸田の義母である安達有里がヘアヌード写真集を発売した事や写真集発売とほぼ同時期に井戸田の不倫疑惑が写真週刊誌に報じられた事で、何かと話題を集め、メディア露出が格段に増えた。2010年8月6日、NHK総合放送の「笑・神・降・臨」第3シーズンに出演。「現時点でのスピードワゴンの総決算」を目指して自ら厳選した漫才4本を披露したが、ラストの漫才「富士山」は2人に取って「大好きだけどハマるかどうか不安」という挑戦ネタだった。幕間のVTRでは井戸田のピン芸・ハンバーグ師匠も登場している。2013年5月19日、東京・しもきた空間リバティにおいて漫才ライブ「東京センターマイク 〜スピードワゴンと数組の漫才師〜」を主催。このライブは以後も2-3か月に1回の割合で開催されており、「漫才にこだわったライブ」として毎回実力派から若手まで多数の漫才師のゲストを招き、東京のライブシーンを盛り上げる事を趣旨としている。2014年、「THE MANZAI」に開催4年目にして初出場、認定漫才師50組に選出される。2015年、なごやめしPR大使に就任。トークライブ「話スピードワゴン 名古屋編」の会場にて任命式が行われた。2002年度の第2回M-1グランプリにおいて、この年から導入された敗者復活枠の制度で初出場にして初の決勝進出を果たす。そこで披露した「小沢が考える次世代のヒーロー」というネタは、中田カウス、島田洋七、ラサール石井がそれぞれ3位の笑い飯よりも2点高い「85点」、「86点」、「86点」をつけ、大竹まことからは同じく笑い飯と同点の「80点」、松本人志は優勝したますだおかだより5点高い「75点」をつけたが、島田紳助は最下位のアメリカザリガニと同じ「73点」、立川談志は歴代最低得点の「50点」をつけるなど、評価が大きく分かれた。結果は8位のダイノジと1点差で7位となった。また、談志が「50点」をつけた理由としては「下ネタが嫌いだから」と発言していたが、その後「爆笑オンエアバトル」の第6回チャンピオン大会で談志と共演した際、本番後に談志は小沢に「お前らの漫才、面白いよ」と声を掛けたうえ、井戸田の役になって先ほど披露した漫才の稽古をつけた。小沢は「M-1の一件のフォローだったのかも」と振り返っている。第3回は決勝に進出し、6位。前述の通り童謡の替え歌ネタだったことからDVDではほぼカットされた。2004年度も出場したが、準決勝止まりで敗者復活戦も辞退。2005年度や2006年度は出場すらしていない(理由については、『井戸田の結婚のおかげで決勝に進めた』と言われるのを嫌ったためともいわれる)。2007年度は出場したが準決勝で敗退し、ラストイヤーである2008年度も準決勝で敗退した。第1回大会に出場しなかった理由は、公には「コントしかやっていなかったから」である(実際は結成当初から漫才を本分としている)が、本音は小沢曰く「単純に怖かったから出場しなかった」という。小沢が荒木飛呂彦の漫画「ジョジョの奇妙な冒険」のファンであり、コンビ名は作中に登場する架空の人物・ロバート・E・O・スピードワゴン及びその人物が設立した財団の名称、スピードワゴン財団に由来する。その縁で、2007年公開の映画「ジョジョの奇妙な冒険 Part1 ファントムブラッド」にゲスト出演するが、構成上の理由から(元ネタの方の)スピードワゴンは登場しておらず、小沢はこの事に少なからずショックを受けたという。またコンビ名の候補は他に「ワイルドチョコレート」などがあったらしい。この「スピードワゴン」という名前のルーツはアメリカの自動車メーカー、レオ・モーター・カー・カンパニーが1930年代に製作したトラックの名前であり、そこからアメリカのロックバンド・REOスピードワゴン→「ジョジョ - 」のスピードワゴン→お笑いコンビのスピードワゴンとつながっている。西寺郷太(ノーナ・リーヴス)曰く「スピードワゴンの事は家族みたいな気持ちで見てしまう。他の芸人さんはネタがつまらなかったら『つまらなかった』で済むけど、スピードワゴンは心配になる」。コント「甘い言葉」がよく知られているが、本分は漫才であり、M-1決勝に2回進出している。M-1覇者であるますだおかだが自身のラジオで「スピワはM-1(優勝)十分狙えるコンビ」と評価している。2人のテンションと話術に裏打ちされた正統派のしゃべくり漫才をするが、クールでベタなボケと大声でテンションの高い独特なツッコミから、「新感覚のポップ漫才」と称されることがある。ネタは青臭いものが多く、特につかみの所などでちょっとした芝居をやったり空想に入り込んだりする小沢を井戸田が「小沢さーん!」と名前を呼んで現実世界に引き戻すのが特徴的(他に、井戸田が『(つかみが)長ぇよ!入りづれーよ、おい!』と突っ込んだり、井戸田も一緒に芝居に入った後『なんだこれ!?』と突っ込んで現実に戻るノリツッコミに近いパターンもある)。小沢が一人複数の役で自分の作った小説や物語をやり、その内容に井戸田が突っ込んでいくパターンも多く見られる(このパターンは特に『ドラマチック漫才』とも称される。初期はカセットレコーダーなどの小道具を用いたコントとして行った事もあった)。本人たち曰く「グダグダ」である。また、非常にマイナス思考でブラックなぼやき漫才も多い。オチにつながる伏線の張り方も巧妙で、従来の漫才形式の暗黙の了解的な点に焦点を当てて逆説的な笑いを取ったりもしている(例:戦隊物の話を振った井戸田に対し小沢が全く関係のない野球のネタを始め、『何俺とフリに恥かかしてんだお前』『なんだよ、フリがあったらそのフリのネタやらなきゃいけないの?』『あたりめぇだろ!』『誰が決めたんだよ』『やすきよだよ!』など)。基本的に、「死ね」などのきつい言葉や頭を叩くなどの激しいツッコミは見られない。他に、「笑・神・降・臨」でも披露した漫才「富士山」では、笑い飯のWボケにも似た新たなパターンを構築している。小沢が「行列のできるラーメン屋を開きたい」という自分の夢を語るが、店の売りは「器が自慢のラーメン屋」「週刊誌の品揃えが豊富なラーメン屋」など変な物ばかり→それに井戸田が突っ込むが、「富士山のようなでっかい男」に憧れる井戸田の話はことごとく富士山の話に進んでしまう→それに小沢が「結局潤の夢の話になってんじゃん。ラーメン屋の話はどうなったの?」と突っ込んで軌道修正という流れで、若干ボケの要素を感じさせる井戸田のツッコミの特性をうまく活かした新機軸といえる漫才である。ネタ作成は、基本的に井戸田立ち会いの下で小沢が行う。ある程度台本ができあがったら井戸田が全体を通しで読んでみて、小沢がそれを客観的に見て修正するというやり方を採っており、制作中は井戸田は部屋の掃除や筋トレなど暇つぶしをしているという。小沢はこれを「原稿が書きあがるのを待ってる漫画家と編集者みたいな関係」と称している。井戸田は読みながら、小沢は書きながらが一番覚えやすいため、この方式が両者に一番合っているらしい。また、こういう方式を採っているためかネタ合わせはあまりやらないという。メンバー単独での出演は、井戸田潤、小沢一敬の項を参照。
出典:wikipedia
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