ミッケル・ケスラー(Mikkel Kessler、男性、1979年3月1日 - )は、デンマークのプロボクサー。コペンハーゲン出身。元WBA・WBC世界スーパーミドル級スーパー王者。1998年3月20日、19歳の時にオーフスでプロデビュー。デビュー戦を1回KO勝ちで飾った。 2002年11月29日、コペンハーゲンのファルコナー・センターで行われたIBA世界スーパーミドル級王座決定戦で元WBO世界ライト級王者でWBA世界ライト級王者で元WBC世界スーパーミドル級王者のディンガン・トベラと対戦し、3-0(120-108、120-108、120-108)の判定勝ちを収め、王座獲得に成功した。2003年4月11日、コペンハーゲンのK.B.ハーレンで行われたWBCインターナショナルスーパーミドル級王座決定戦でクレイグ・カミングスと対戦し、3回1分9秒KO勝ちを収め、王座獲得に成功した。2003年10月24日、コペンハーゲンのK.B.ハーレンでヘンリー・ ポーラスと対戦し、9回2分46秒TKO勝ちを収め、WBCインターナショナル王座の初防衛を果たすと共にWBC世界スーパーミドル級王座への挑戦権を獲得した。2004年3月13日、ブレンビーのブレンビー・ハーレンで元WBA世界ミドル級王者フリオ・セサール・グリーンと対戦し、1回1分20秒KO勝ちを収め、WBCインターナショナル王座の2度目の防衛に成功した。2004年11月12日、ブレンビーのブレンビー・ホールでマニー・シアカ(プエルトリコ)を7回終了TKOで破り、WBA世界スーパーミドル級王座を獲得した。2005年6月8日、オーストラリア・シドニーのシドニー・エンターテイメント・センターで元WBA世界スーパーミドル級王者でWBA世界スーパーミドル級3位のアンソニー・ムンディンと対戦し、3-0(116-112、120-108、117-113)の判定勝ちを収め、初防衛に成功した。2006年1月4日、ブレンビー・ハーレンで元WBC世界スーパーミドル級王者でWBA世界スーパーミドル級7位のエリック・ルーカスと対戦し、10回1分51秒TKO勝ちを収めWBA世界スーパーミドル級王座の2度目の防衛に成功した。2006年10月14日、コペンハーゲンのパルケン・スタディオンで行われたWBA・WBC世界スーパーミドル級王座統一戦で、WBC世界スーパーミドル級王者マルクス・バイエル(ドイツ)と対戦し、3回2分58秒KO勝ちを収めWBA王座の3度目の防衛に成功、WBC王座の獲得にも成功しWBA王座とWBC王座の統一に成功した。試合後、WBA規定によりケスラーはスーパー王座の認定を受けWBA世界スーパーミドル級スーパー王者となった。 2007年3月24日、パルケン・スタディオンでWBA世界スーパーミドル級5位のリブラド・アンドラーデ(メキシコ)と対戦し、3-0(120-108、120-108、120-108)の判定勝ちを収めWBA王座の4度目の防衛に成功、WBC王座の初防衛にも成功した。王座統一後、ケスラーはビッグマッチを熱望し、WBO世界スーパーミドル級王者でイギリスで人気の高いジョー・カルザゲと対戦を望んだがなかなか実現できなかった。しかし、2007年11月3日に両者の対決がカルザゲの母国ウェールズのミレニアム・スタジアムで実現。同対決はお互いにヨーロッパでは大変な人気を誇り、さらに3団体統一、全勝同士のスーパースター対決ということで大変な盛り上がりを見せた。試合は統一戦にふさわしいハイレベルの攻防となり、両者は死力を尽くしたファイトを繰り広げた。ケスラーは随所で得意のワンツーやアッパーでカルザゲにクリーンヒットを浴びせたものの、旺盛な手数を誇るカルザゲのハイペースに巻き込まれ、12回0-3(112-116が2者、111-117)の判定負けでWBA王座の5度目の防衛とWBC王座の2度目の防衛に失敗し、両王座をカルザゲに譲り渡す結果となったが、既にボクシングの本場アメリカで高い評価を得ていたカルザゲと死闘を演じたことでケスラーが実力者であることをヨーロッパだけではなくアメリカでも認めさせる契機となった。2008年6月21日、ブレンビー・ホールで行われたWBA世界スーパーミドル級王座決定戦でWBA世界スーパーミドル級4位のディミトリ・サーティソン(ドイツ)と対戦し、12回KO勝ちで王座に返り咲いた。2008年10月25日、ドイツ・オルデンブルクにて指名戦でWBA世界スーパーミドル級1位のダニロ・ハウスラー(ドイツ)と対戦し、3回KO勝ちで初防衛に成功した。2009年9月12日、ヘアニンのメッセセンター・ヘアニンでWBA世界スーパーミドル級1位グスミエル・ペルドモ(ベネズエラ)と対戦し、4回TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。同年11月3日にスーパー王座に認定され、自身2度目のWBA世界スーパーミドル級スーパー王者になった。2009年10月に開催されたSuper Six World Boxing Classicに参加。同年11月21日にアメリカ・カリフォルニア州オークランドのオラクル・アリーナで行われたWBA世界スーパーミドル級スーパータイトルマッチでアンドレ・ウォード(アメリカ)と対戦。10回にウォードのバッティングでケスラーが右目上をカットし、11回負傷判定負けで3度目の防衛に失敗し王座から陥落した。2010年4月24日、メッセセンター・ヘアニンでカール・フローチ(イギリス)の持つWBC世界スーパーミドル級王座に挑戦し、3-0の判定勝ちで王座返り咲きに成功した。2010年9月25日にアラン・グリーン(アメリカ)と対戦予定であったが、目の負傷により試合をキャンセル。参加中であったSuper Six World Boxing Classicからも離脱した。同日、WBCから名誉王座に認定された。2011年6月4日、パルケン・スタディオンで行われたWBOヨーロピアンスーパーミドル級王座決定戦でメディ・ボウドラ(フランス)と対戦し、6回2分25秒TKO勝ちを収め、王座獲得に成功した。2012年5月19日、パルケン・スタディオンで行われたWBC世界ライトヘビー級シルバー王座決定戦でSuper Six World Boxing Classicで対戦予定だったアラン・グリーン(アメリカ)と対戦し、4回17秒KO勝ちで王座獲得に成功した。2012年12月8日、ヘアニンでWBA世界スーパーミドル級王者ブライアン・マギー(イギリス)と対戦し、3回TKO勝ちで3度目のWBA王座返り咲きを果たした。マギーは試合後ドーピング検査で覚せい剤の一種であるオキシロフリンとβメチルフェネチルアミンの陽性反応を示し6ヶ月の出場停止処分が下された。2013年5月25日、イギリス・ロンドンにあるO2アリーナにてIBF世界スーパーミドル級王者カール・フローチと再戦し、WBA・IBF王座統一戦を行い、12回判定負けでWBA王座の初防衛に失敗すると共にIBF王座の獲得にも失敗、WBA・IBF2団体統一に失敗すると共にWBA王座から陥落した。2015年1月31日、上述のフローチ戦を最後に2年近く試合から遠ざかっていたケスラーはジェームス・デゲールやジョージ・グローブスとの対戦よりもアンドレ・ウォードやカール・フローチとの再戦に意欲を見せていたが、再戦交渉に失敗し、練習するモチベーションを保てなくなった為、引退を表明した。彼のファイトスタイルは、しばしば「ボクシングの教科書」と評される。実際にその通りのファイトを展開し、水準以上のスピードを活かして自分の距離を守り、しっかりとした高い防御技術で相手の攻撃を遮断しつつ、素晴らしく美しいジャブとコンパクトかつ端正なワンツーで対戦相手を痛めつけるシンプルかつ手堅い試合をする。また、彼は非常にゆったりとしたペースで闘い、それでありながら相手にペースを奪われることがほとんどないところに彼の異能ぶりが現れている。北欧のデンマーク出身であることからついた「"Viking Warrior(ヴァイキングの戦士)"」という物々しい異名とド派手なタトゥーとは裏腹に、実にオーソドックスで美しいファイトスタイルである。活動拠点がデンマーク中心であるため、無敗の快進撃を続けながらもアメリカでの認知度は高くなかったが、ジョー・カルザゲとのWBA・WBC・WBO世界スーパーミドル級王座統一戦で広く名を売ることになった。ボクシングスタイルと同じくルックスも端正であり、故郷デンマークではモデルとしても活動している。
出典:wikipedia
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