ガッツ 石松(ガッツ いしまつ、男性、1949年6月5日 - )は、日本の俳優、タレント。広島国際学院大学現代社会学部客員教授。プロボクサー。元WBC世界ライト級チャンピオン。本名は鈴木 有二(すずき ゆうじ)。栃木県上都賀郡清洲村→粟野町(現:鹿沼市)出身。ガッツエンタープライズ代表取締役社長。ガッツエンタープライズ所属。ガッツ石松はヨネクラジム所属で、アジア人で初のWBC世界ライト級チャンピオンであった。当時のライト級は非常に層の厚い階級であった、そうそうたる世界の強豪を抑えタイトルを5度防衛。ボクシング引退後はタレント、俳優として活躍している。中学生時代は学校の体育の教師を夢見ていたが、家庭の経済的事情のため進学を断念し、中学卒業とともに上京。様々な職業を転々としながら、ボクシング修行を続ける。世界王者になるまでは鈴木石松というリングネームだったが、試合で少しでも形勢が悪くなると、試合放棄に近い行動を取り勝てる試合を落とすことがしばしばだったり(日本の世界王者の中でチャンピオンになる前に10敗以上しているのはガッツのみである)、ランニングが嫌いで「ランニング行って来ると行ってはジムを出て帰りに水を被ってくる(本人談)」ということがしばしばあったので、ジム側が「ガッツのあるボクサーになってくれるように」との思いを込めて今の名前に改めた。ロドルフォ・ゴンザレスへの挑戦前は、世界王座獲得後は元の鈴木石松に戻すと語っていた。因みに「石松」の由来は「死んでも直らないほどのおっちょこちょい」という森の石松から。勝利が決まった後に両手の握り拳を上へ突き上げる万歳をしたような独特の勝利のポーズをしたことから、そのポーズが「ガッツポーズ」と名づけられたといわれている。ガッツポーズは、右手が自分のための喜びを示しており、左手が観客に対する喜びという意味があるという。しかし、それより以前からガッツポーズと呼ばれるものが存在していたことが検証されていることから、ガッツポーズの起源がガッツ石松だというのは誤りとする説もある。現役時代は極端に顔を打たれることを嫌がったり、前出の形勢が悪くなる試合をすぐに放棄同然の敗退も、現役引退後の生活を考え、後遺症などを残したくないという判断があったと言われている(親に貰った顔を大事にしただけという説もある。ちなみに母親の顔を受け継いでいる)。引退後、テレビのバラエティ番組やクイズ番組に特異なキャラで出演するなどタレント活動を主とする。1996年、森喜朗の勧めで第41回衆院選に東京9区から自由民主党公認で出馬したが落選。2010年に、元世界王者により発足される「プロボクシング・世界チャンピオン会」初代会長に就任した。自ら監督・企画・脚本・製作・製作総指揮を務めた作品に『カンバック』(1990年)、『罪と罰』(2011年)がある。テレビドラマでは『おしん』や『北の国から』など、多数出演(特に橋田壽賀子はガッツが俳優として努力する様子に感じ入り、しばしば作品に起用している)。円谷プロ作品にも度々出演しており『ぼくら野球探偵団』ではレギュラーで一人二役をこなし、『ウルトラマン80』と『ウルトラマンティガ』にゲスト出演している。プロボクサーから俳優に転向したときは、「ボクシングで有名になったからといって、俳優などできるはずがない」と反対されたが、ただ、少年時代から憧れだった高倉健と共演したかっただけだという。そもそも東京に来てボクサーになった動機が「有名になって健さんと共演したかったから」だと後に語っている。俳優転向後、ハリウッド映画『ブラック・レイン』のヤクザ役でその夢を見事果たした(現役時代に高倉健主演「神戸国際ギャング(1975年)」に出演している)。現在は錚々たる面々と仕事をしており、「俳優」としての地位を確立している。現在数多く存在する元ボクサータレントの草分け的存在である。1974年4月11日に世界王者になった翌日22時からの日本テレビ系『金曜10時!うわさのチャンネル!!』に出演したガッツは「僕さぁ、ボクサーなの」という、今でこそ有名だが当時は相当寒いギャグを3発繰り出しただけだった。その後は、クイズ番組の解答者などにおける珍解答、何を聞いても「OK牧場」と答えるあっけらかんとしたところがバラエティで受け、ゲストとして重宝される存在となっている。ただし「クイズダービー」では、番組開始当初の1976年に5枠レギュラー解答者(当時は6枠まであって、6枠がゲスト)として約半年間出演し、97勝94敗・5割0分8厘(平均5勝5敗ペース)という高い正答率を残している。1990年3月の大橋巨泉勇退時と1992年12月の番組最終回では、久々にギャンブラーとして出演したが、いずれも賞金額は0円の結果となっている。しかし1990年の時は初代4枠だった萩尾みどりとペアになり、中盤まではいいペースで得点を増やしていた。持ち点が18,000点で6問目に北野大に8,000点を賭けようとしたが萩尾に止められ結局2,000点に変更したが8倍の北野が正解し34,000点(もし賭け点が8,000点なら82,000点になっていた)に増え、続く7問目の3択の問題で3倍のはらたいらに勝負で30,000点を賭けたが、はらは不正解で残り4,000点になり結果的に0点になった。番組エンディングでガッツが言っていた様に勝負どきを間違えなければ違う結果になっていた。1987年にスティーヴン・スピルバーグ監督作『太陽の帝国』に出演。バナナ好きで有名であり、家のそこら中にはバナナが置いてありいつでもバナナが食べられるようになっている。めちゃイケの寝起き早食い選手権でもすぐにバナナを食べる驚異的な記録を持つ。ただし、番組内で目隠しをして何を食べたか当てるコーナーに出演し、バナナで問題を出されたが「オムレツ」と答えてしまい当てることが出来なかった。初めてバナナを食べたのは、ボクシングでファイトマネーを手に入れてからだという。現在はバナナは安価で容易に入手できるが、1970年代当時は高価な果物であった。2004年には、はなわのネタから生まれたCDシングル『伝説の男 〜ビバ・ガッツ〜』にてブレイク。ガッツ自身の存在感を見せつけたほか、天然ボケを武器とする、一流ボクサー出身タレント(輪島功一、具志堅用高、平仲明信ら)の再認知に寄与している。また、テレビ朝日系放送の「タイムショック21」に出演し、モザイクがかかっている画像を答える問題でなかなかボタンを押さなかった。彼曰く、「モザイクが全部消えてから答えるかと思った」。また同番組ではセットの豆球を勝手に外したりしていた。ガッツが時折繰り出すギャグは、天然ボケ半分、計算半分の絶妙なブレンドによって生まれるものであり、彼が愛される理由ともなっている。以前からガッツ本人が多用していたが、はなわの唄う『伝説の男 〜ビバ・ガッツ〜』のヒットやガッツ本人のいわゆる“伝説”をまとめた本のベストセラー化等によって、2004年の流行語の一つとなった。自身のホームページに記載されている由来(※)によれば、自身の監督映画『カンバック』を制作するにあたり、映画『ララミー牧場』で知られ、自身の憧れの俳優でもあるロバート・フラーに出演してもらうこととなり、撮影で(監督であるガッツにとって)フラーが最高の演技をしてくれたのに感激して、思わず口をついて出たのがこの言葉であったという。これ以降、何か良いことがあると「OK牧場」と言うようになったということである(一部要約)。なお、「OK牧場」と言う言葉自体はガッツが使う以前から、心理学用語や映画『OK牧場の決斗』などで存在しているが、これらの語句の読みは“「おーけー」牧場”であるのに対し、ガッツは“「おっけー」牧場”と発音している。OK牧場とは対照的になかなか使わない言葉として、「OK農場」というものがある。2006年8月2日に行われた、TBS中継による、亀田興毅のWBA世界ライトフライ級王座決定戦の試合結果について、「よくがんばったが、OK牧場とは言えない。OK農場だな」(要約)などとコメントしている。以下のシングルを発売している。
出典:wikipedia
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