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ナインティナインのオールナイトニッポン

『ナインティナインのオールナイトニッポン』はニッポン放送の深夜番組「オールナイトニッポン」で毎週木曜日に放送されていた、お笑いコンビのナインティナイン(岡村隆史・矢部浩之)がパーソナリティを担当したラジオ番組。通称「ナイナイのオールナイト」「ナイナイのANN」「99のANN」。全1013回。1967年(昭和42年)から放送され、深夜のラジオ番組として45年以上の歴史を誇る『オールナイトニッポン』において、歴代最長期間の記録を打ち立てた番組である。1994年4月4日の月曜2部(月曜27:00 - 29:00)の第1回から数えて2004年6月3日で通算500回を迎え、『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』の記録(11年9か月)を大幅に更新し、「オールナイトニッポン」シリーズ全体でも最長となる約20年半(2014年9月まで)も放送されていた長寿番組(ただし、鶴光は1時から5時までの4時間長時間放送。ナインティナインは1部・2部制になって2時間枠で放送されたパーソナリティでは歴代最長である)。2009年4月2日の放送で放送15周年を迎え、2014年4月3日の放送で20周年を迎えた。さらに2014年6月19日の放送で1000回を迎えた。次いで長いのは福山雅治で、通算20年(2014年8月現在)。ちなみにナインティナインと福山の2組は、2014年4月改編の時点で、有楽町のニッポン放送第1期旧社屋時代・お台場旧社屋時代、および現行の有楽町ニッポン放送第2期社屋を通してオールナイトニッポンシリーズを担当している、数少ないパーソナリティーであった。番組は、リスナーから送られてくるネタのコーナーと、ナインティナインのフリートークで構成している。より多くネタを読まれるよう努力するハガキ職人が、この番組から多数誕生した。この番組出身のハガキ職人上がりの放送作家を数名輩出しており、「将来はナインティナイン自ら育てた作家を集めてバラエティ番組を作るのが夢だ」と二人は語っている。近年メールで募集しているスタイルのラジオ番組が多い中、未だにハガキのみでネタの募集受付をしていた稀有な番組である。ネタに関しては岡村自身が毎週全てのハガキに目を通しており、ワンコーナーに数千通の葉書が送られてくることも珍しくない番組としては、かなりの労力を要する作業となる。ネタコーナーは基本的にハガキのみでの受付だが、旬のネタを取り扱う「今週のインパクト」のコーナー、および放送中での番組へのご意見・質問はメールでも受け付けていた。フリートークでは、二人のテンションがテレビの時よりも若干低くなり、落ち着いたトークが聞かれる。そこでは、普段のテレビでは見られないようなプライベートに近い一面を垣間見ることができた。2014年8月21日、番組終了数分前のエンディングにおいて突如、矢部の口から「1994年の4月以来、20年以上にわたってお送りしてきました『ナインティナインのオールナイトニッポン』なんですけども、来月・9月いっぱいで終了させていただくことになりました」との発表が行われた。「びっくりした方も多いと思いますが、今日は時間もないので、(番組終了の経緯が)どういうことかは、来週詳しくお話します」と予告したうえで、当日の放送は締められた。リスナーにとっては寝耳に水の終了発表を受け、翌週の放送までの1週間は、多くのショックや驚きの声、体調不良を起こした者まで現れ、さらに終了の経緯を説明するとした8月28日は、いわゆるスペシャルウィークに当たったこともあり、一番組の終了だけに留まらない様々な憶測を呼ぶこととなった。また1週間のうちに、裏番組の「JUNK」でも、爆笑問題・おぎやはぎ・バナナマンが、この件を大なり小なり話題として取りあげた。そして2014年8月28日、本来はフリートーク部分となる番組前半から、終了に至る経緯の説明が始まった。マイクを渡された矢部は「実は、番組を辞めさせてほしいと申し出たのは、僕の方からなんです」と自ら切り出した。「原因はひとつではない」「番組を辞めて、良いことはないのは分かっている」などと前置きしたうえで、矢部は以下のような旨を語った。こうした状況で矢部は、騙し騙し番組を続けるのは忍びがないと考え始め、「番組を卒業したい」との申し出を行うに至ったという。ただし、こうした“達成感”や“ゴール”という感覚は、飽くまでもオールナイトニッポンのみに対してのものであり、本業のお笑い及びタレント活動については情熱を失ってはいないとした。また、ここ数年のうちに次々と迎えた自身のプライベートでの節目も「全く関係ない」とし、さらに番組終了発表を機に後日取り沙汰されたコンビ解散説に関しても「それこそ郷ひろみさんの歌じゃないけど『ナインティナインは終わらない』です」と、逸早くこの時にやんわりと否定している。一方、その申し出を受けた岡村は「長年コンビでやっていて、矢部の方から仕事の相談をされたのは初めて」だったといい、辞めたいというのを軽い気持ちで言ってはいないと悟ったことから、スタッフも交えての協議を重ねた末、矢部の意向を汲んで番組を一区切りすることになった、という。ただし岡村は「やはりラジオという場でしゃべり続けたい」という思いがあったことから、ラジオパーソナリティとしての続投を熱望。その旨の打診をニッポン放送は快諾、他方よしもとからは岡村に対し「一区切りの後は冷却期間をおいたらどうか」との提案があったが、岡村は「やるなら間を空けずに始めたい」とした。こうして、9月25日の最終回をもって矢部が番組を卒業、翌週の10月2日からは、岡村が単独で残留する形で「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」が開始されることになった。その後9月に入り、まず9月4日は通常進行ながらも大半のコーナーを終了させ、そして最終回へ向けてのカウントダウン的な企画として、9月11日には「さよならジャネット祭り」、9月18日には「復活!コーナー祭り!」を、それぞれ行った。2014年9月25日、深夜近くながらもニッポン放送の前に集まった、500人以上の「入り待ち」のリスナーが出迎えたなかで、ナインティナインの2人は最終回に臨んだ。「オッケ〜イ!」の怒鳴り(後述)と共に定刻どおりに始まった生放送で、さっそく2人は、それだけのリスナーが集まってくれたことに感謝を述べ、その後は多少の脱線はありながらも、番組にまつわる思い出話を中心にフリートークを行った。番組中盤からは、特別企画「ありがとうやべっち!ナイナイオールナイト20年!矢部浩之流行語大賞」、今回で一区切りとなる「第75回ハガキ職人大賞」、やはりこの日で最終回となった「矢部浩之のどりちんクラブ」へと進み、ラスト10数分前からは、矢部がサプライズとして「お手紙書いてきたんですよ」と、最終回に寄せての手紙という体で、リスナー・歴代のスタッフやマネージャー・岡村への謝辞を述べていった加えて矢部はエンディングでも「番組が終わるだけで、(ナインティナインは)何も変わらないので」と語り、これと前後して岡村からも「(新番組は最低でも)僕が休んだ半年はやらせていただきます」「(矢部が)しゃべりたいことがあれば(新番組に)遊びに来てください」と述べ、互いにエールを送りあう形で、「ほんとに皆さん、長い間ありがとうございました」の挨拶の後、番組は普段どおりに「わーわー言うております」「お時間です」「さようなら」というフレーズで締められた。エンディングのBGMは、番組全体のテーマ曲である「BITTERSWEET SAMBA」であった。引き続き放送された『ウーマンラッシュアワーのオールナイトニッポン0(ZERO)』内では、集まった大勢のリスナーから歓声や感謝の言葉を受け、それに応えながらニッポン放送を去る二人の様子が中継された。時報直後にナインティナイン二人が声を揃えてひとこと叫んで(通称「怒鳴り」)すぐタイトルコールがあり、間髪を容れずに「BITTERSWEET SAMBA」が流れる。怒鳴りは時事問題やナインティナイン周辺の近況などに関連して何かしらの意味を持つキーワードになっており、主にオープニングトークへのネタ振りとなっている(稀にそのパターンを裏切って特に触れないこともある)。2010年6月10日の放送では岡村の体調不良によって自身の主演する公演が延期となったことに対する謝罪から始まり、謝罪が終わってから二人で「せーの!」と言ってタイトルコールをした。芸能人の結婚報道がその週にあると「おめでとう」と叫ぶ確率が高い。2008年7月3日の放送では岡村の誕生日当日だったため合間に竹内まりやの「今夜はHearty Party」が流れ、テーマ曲がフルで流れなかった(後述を参照)。テーマ曲のイントロの後、岡村「どうもこんばんは」矢部「こんばんは」岡村「ナインティナインです」矢部「はい」というように始まる。時報からここまでは怒鳴りを除いて毎回ほぼ同じトーン、同じリズムである(矢部単独時でも同様のスタンスで「こんばんは、ナインティナイン矢部です」と言っている)。「怒鳴り」→「タイトルコール」→「オープニングトーク」→「提供クレジット読み」と、他曜日の同番組に比べやや変則的。 なおかつ、オープニングトークが10分前後なされるため、タイトルコール後に流れる『BITTERSWEET SAMBA』が全て聴ける。(途中の部分を5回繰り返しの4分15秒バージョン)前回の放送後から一週間の内で、岡村が関心を持ったことや印象深かった出来事、身の回りで起こった出来事などを話題としてトークをしていく(矢部は概ね聞き役となる)。岡村の根拠のないネタで進行することも多々あり、提供クレジットを読まなければならない時間を大幅に遅らせることもある。内容によっては思わぬ方向に話が流れるため、担当ディレクターや矢部が岡村の話の腰を折り強引に進行される場合もある。ただし、思わぬ盛り上がりをみせたトークは後半のネタコーナーにさえ影響を与え、トークで盛り上がった人物が後日ハガキ職人によりネタやトークのネタフリとして登場することもある。また、前回の放送から一週間の間におきたニュース(社会政治、芸能、スポーツ、気象現象 下ネタ とりあげる話題の範囲は広いが、広く浅くの場合が多い)など放送直前におきた出来事を語る場合もある。二人にとってどうでもいいニュースはあえて軽く触れスルーする場合もある。ナインティナインの二人が出演した番組や映画、舞台、イベントなどの裏話や見所やこれらを楽しむためのポイントが語られる事も多く、番組初期の頃に自分たちが仕事の現場でおきた失敗や体験談を他ではしゃべらずにラジオ用に温存していることも語られた。番組の裏側でおきていることをリスナーも楽しみにしており、その人気のバロメーターは番組に届く反響のメールやハガキの数で判断されている。このフリートークは、会話のテンポやトークの流れから当日の二人の体調・ご機嫌がどのようなものなのかをリスナーに伝える役割も果たす。岡村、矢部の仕事や社会情勢での不満を吐き出すいわば「毒吐き、ガス抜き」としても使われる。深夜の深い時間とあって番組がはじまった初期のころはリスナーを意識しない内容のトークも多くリスナーからの苦情やクレームまでもネタにしてしまう怖いもの知らずの内容が多かった。ラジオでは言いたいことを言いたいという姿勢は初期のころから続けているのだが、インターネットの普及やラジオがネット配信で手軽聴くことができるようになり、個人の意見が出回るスピードが変化したため最近では岡村が番組内で発言したことが、インターネットのニュースなど話題になることがある。加齢と世間の変化と共に過激さは減ったものの悪ふざけは相変わらずで岡村のフリと矢部のトークへの焚きつけへの間はこの番組ならではである。また、仕事以外でプライベートは一切関わらない二人の意志の疎通の場所としても使われており、ナインティナインが今後どうなるかなどの深い話もこのフリートークの場を使い行われる。2人にとってオールナイトニッポンはテレビでのナインティナインとは違い、素顔の自分たちを出すことが出来る唯一の場でありライフワークとしてラジオを大切にしていると語ることもある。このためラジオのギャランティは低く設定されていることや、遠回しの言い方で芸能界の裏事情などテレビ番組では触れないぶっちゃけトークなども飛び出すこともある。毎回スペシャルウィークのゲスト告知をする時は矢部「それでは、岡村さん…ゲストの方をお願いします!」岡村「○○(ハリウッドスターや当時話題になった人物等到底呼べそうにない人物)です。」矢部「そうなんです。」岡村「そうなんです。」とボケる。岡村はフリートーク内での話題で出たキーワードやフレーズなどで自分が気になってしまった言葉を、突然語感のリズムだけで喋ってしまうことがよく見受けられる。「言葉のスタンプ」、「言葉のだるまおとし」と名付けている。それらのフレーズは年末恒例のコーナーである流行語大賞で取り上げられることが多い。しかし必ずしも毎回うまいことをいうわけではなく、失敗してしまうことも多い。その他、ゲストが若手俳優や俳優業に進出したばかりの芸人などの時に、話題が芝居や演技のことに及ぶと「僕はブルーリボン新人賞を獲ってね…」などと過去の栄光を自慢し先輩風を吹かせようとするボケがお約束になっている。センター入試の直前など受験シーズンには受験生へのアドバイスとして、金八先生のセリフを引用して「鉛筆を2本持っていけ」など毎年ほぼ同じことを口にする。岡村が午前2時(JST)の時報(ネット局によっては鳴らない)とともに「2時!」と怒鳴る。1997年3月20日に有楽町からお台場へと放送局が移動した頃、お台場からの放送よりインカムから時報が聞こえ始めたのが最初。この頃は「2時をお知らせします」という言い方だった。約半年間くらいこの時報のお知らせは続いたがリスナーからの注文で終了(後述の爆笑問題が先に使用していたとリスナーに言われたため)。次にこの時報のお知らせが始まったのは2002年5月30日放送から。はじめは2時に始まることが多かったコーナーの名称である「悪い人の夢」と叫んでいた。進行状況によりコーナーの開始時間が前後することが多々有ったので、2時の時報が気になり進行できない岡村はネタとして、コーナーの開始に関係なく2時になると「悪い人の夢!」と叫ぶようになっていった。その後、「悪い人の夢」のコーナーが早い時間に移動になり、2006年6月13日の放送から単に「2時!」と叫ぶようになった。その後再び「悪い人の夢」のコーナーが時報と同時に開始する事が多くなったため、「2時!悪い人の夢」とエコー付で怒鳴る。ただし、ゲストが来ている場合やトークの途中の場合は「2時!」や「2時!(コメントあり)」と言う。CM中に時報になった場合は「2時○○秒」や「2時ちょっと過ぎ」と言っていたが、最近はフィラー中でも強制的にBGMを止め岡村が「2時」と言っている。現在は話の途中で言うため、テンションの低い「2時」でさらっと時報を知らせることが多くなった。長引いた場合など、やらない(または忘れる)週がたまにある(2008年7月17日放送分では、スラムダンクについて熱く語ってしまい忘れてしまった)。2008年10月23日(当日は矢部の誕生日)放送分で、ゲストで来た上戸彩との話で盛り上がり、岡村が叫ぶのを忘れていたので、代わりに矢部が叫ぶということもあった(例:(キー局ニッポン放送での時報)喋り・ピポ、ピポ、ピポ、ポーン「2時」)。なお、この時報のどなりには岡村いわく裏テーマがあり、長い2時間の深夜放送で眠くなってしまうリスナーの眠気を覚ますための行動であるらしい。しかしこれは後付の理由で、岡村自身がただ気持ちがいいからというだけの事である。タイムテーブルの進行で2時にコーナーの怒鳴りが言えればよいだけの行動で進行が早かった場合は内容の無いトークで強引に時間調整をしている。この意味のないこだわりに、当初矢部も少々困惑して遠まわしに注意をしていた。しかし岡村は「繰り返す事に意味がある笑い」であることをこだわり続け、現在では文句すら言わなくなったが困惑していることは変わらない。また、矢部のみになってからはコールを行っていなかったが、2010年9月9日の「ナインティナインの日」の放送で「2時」とコールを行った。矢部が一人で放送している期間に2時のコールは現在この回のみであるが、2013年10月24日の放送でも岡村が「有楽町一丁目ミニマラソン」の参加の為、CM明けにはスタジオから居なかったので代理でコールを行った。2時の時報と共に叫ぶのは岡村が始めたネタであったが、爆笑問題の太田光が『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』で「2時!」と叫んでいたため、議論になった。この問題については太田が一方的に謝罪して決着した。実際には岡村のほうが少し早い時期から言っていたため現在も使用している。ただし、このような時報の叫びはナインティナイン以前にも、「スーパーギャング コサキン無理矢理100%」でもかつて行われていた。最近では福山雅治が『福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ』で「12時!」と言っており、また、岡村が2005年12月18日に『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』にゲスト出演した際、鶴瓶とのトークの最中に時報が入り「5時!」と叫んでいる。この日の放送は通常より30分長い拡大版で放送されオールナイトを聞いているヘビーリスナーにしか分からないネタを披露した。点取り占いと同じだが、エンディング前にナインティナインの二人が前回の放送から一週間の間におきたニュースや出来事をとりあげ、岡村が話題を提供し矢部が聞き手となるという形をとっている。話題に対しての二人が率直な感想を語り、特に話を引っ張るわけでもなくスカして終わる(岡村不在時は矢部が独自で話題を提供している)。3時の放送終了前、最後のジングルが明け、矢部の提供クレジットの読み上げの後に岡村が、芸能ニュースで多少話題になっている人物や、時事問題などをからめて「本日は○○スペシャルと題しまして2時間ぶち抜きでお送りしましたけれども…」などと語ることがしばしばあるが、実際は多少触れた程度または全く触れていない話題であることがほとんどである。分かる人にはわかるネタの場合もある。また、聴取率調査週間(スペシャルウイーク)では、「スペシャルウイーク一週目、(二週目)無事、怪我も無く終わろうとしているんですが…」と言うのもお決まりである。その後、終了までの短い時間でトークを行う。内容は、番組でとりあげた話題に関しての補足、トーク内容に関する反省、翌日の仕事の話、来週の放送の告知、番組スタッフへの駄目出しなど多岐にわたる。番組を締める時(正確には2時58分ごろ)に矢部が「わーわー言うております(「言うとります」と聞こえる)」、岡村が「お時間です」、最後に二人で「さようなら」と漫才の締めに言う台詞を言ってフェードアウトとなる。これは、「番組が静かに終わってしまうのが寂しい」というリスナーのハガキをきっかけとして定番化した締め台詞である。この締め台詞が初めて登場したのは2部時代の1994年5月23日であるが、当初は岡村が1人で全ての台詞を言っていた。現在の掛け合いパターンになったのはそれから2週間後の6月6日である。なお、どちらかが不在で1人での放送の場合には当日の担当者が全ての台詞を言うことになっている(岡村不在時には矢部が全て言っていた)。その後はBGMの曲が流れ続け、ニッポン放送などオールナイトニッポン0(ZERO) を続けて放送する局では、3時の時報前に「ニッポン放送、ナインティナインのオールナイトニッポン」(.com時代は「ニッポン放送LF+R、ナインティナインの@llnightnippon.com(オールナイトニッポン・コム)」)と入る(CMアイキャッチでも使用されている音声)。「ニッポン放送」と付けることによってキー局がニッポン放送であることを知らせている(これも岡村不在時には矢部のみの音声で流れていたが、CMアイキャッチでは使用されず、3時の時報前のみであった)。一部ネット局(主にオールナイトニッポン0(ZERO)をネットしない局)では局名告知もしくはCMのため2時59分頃にフェードアウトして終了する。このため、トークが3時ぎりぎりまで続いた場合、ネット局では強制終了する形となっていた。近年は改善され、2時59分までに必ず「さようなら」の台詞を言って終了している。他の曜日は一定しているが、この番組のみ異例でエンディングテーマは毎週の番組内でのトークで話題となった関連した曲がスタッフの判断などによってランダムに決定されている。1998年頃までは後述の「月夜の星空」が毎週エンディングとして流れていた。その後、当日のOAでのキーワードをエンディングに使うことになり、現在のような形に落ち着いている。基本的には「僕の点取り占い」が読まれるか、後述する様々なシチュエーションにおける二人のコント調のジングルが流れる。エンディング前の「口笛ジングル」も「点取り」のように話題になっているネタを評価している。季節の行事やスペシャルウィーク毎にナインティナインの二人のコントのジングルが製作されている。シュールな内容のコントがほとんどで、これらはほぼノープランで作成されており(番組内での岡村のコメントで明かされた)時に岡村のアドリブによる暴走で矢部が我慢できずに笑い出してしまうこともある。それも普通のジングルとして使用されている。後述のよくネタにされる代表的な言葉での水谷豊の「ジ〜グ〜ザ〜グ〜」はこのコントジングルからヒットしたもので、勢いあまって付け足したことが、トークで話題となり「こんなの僕ら世代にしかわからない」と忘れた頃にネタとして登場する。番組初期に作成されたジングルにはナインティナインの二人が高校時代に所属していたサッカー部での伝統の「した」と呼ばれる部活の終了の挨拶をつかった物や、吉本印天然素材のネタで使われていた物などもあり、現在でもたまに使用されている。ゲストがいる場合、Hi-STANDARDのNEW LIFEのイントロをバックにゲストがコメントを言っているジングルが流れる。また、そのゲストが過去に出演したときのもの、関わりのある人のものが使われることがある。3時の放送終了と同様に、「ニッポン放送、ナインティナインのオールナイトニッポン」(.com時代は「ニッポン放送LF+R、ナインティナインの@llnightnippon.com」)とBGM中かあるいは前に入る。かつては岡村あるいは、矢部の声で「“ニッポン"はカタカナで」というSEが入っていたが、2005年のライブドアによる株式大量取得事件で一躍有名となって以降は廃止された。ネタコーナーでは下ネタの含まれたものも読まれる。度が過ぎると罰則の対象になる(ハガキ職人にはあえて説教をするが下ネタのハガキを選び、読むのは岡村の判断)。ある意味、逆に名誉とされている。ただし、名誉の場合は何ももらえない傾向にある。一時期「毒まんじゅう」とよばれるノベルティをもらえないの判断基準の上限ラインで配布されていた(現在は終了)。判断の基準は番組の担当ディレクターに委ねられている。主にビビアン・スー、梨花、ジャネット・ジャクソン、反町隆史、アニータ・アルバラード、加藤鷹、村西とおる、杉本彩、杉田かおる、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」の人気コーナーであった「鶴光のミッドナイトストーリー」がネタにされる。1994年の年末より開始。原則として3か月に1回(番組初期の頃は次の回まで4ヶ月〜半年空くもあったが、現在はこの期間に定着している)期間中にネタコーナーで読まれた回数を競うハガキ職人大賞を開催している。放送では1位から5位、また、入賞しなかった数名(頑張り屋さん)が発表される。入賞者には順位に応じて賞品として「ナインティナインのオールナイトニッポン」の判子が押してあるハガキが送られ、それぞれの枚数は1位は50枚、2位は30枚、3位は20枚となっている。このランキングにカウントされる枚数はネタハガキだけではなく、普通のお便り、FAX投稿やメールでの意見なども含まれている。これはハイレベルなネタを投稿してくる職人が多く投稿枚数の多い激戦の番組でハガキ職人大賞に参加しやすくするための配慮である。大賞で獲得した賞品のハガキを使って他の番組に送ったことが発覚するとハガキ職人を破門になる。毎年恒例となっている行事がいくつか存在する。長く聴き続けているヘビーリスナーにとって欠かせない1年の通過儀式となっている。毎年1年の始まりの放送でナインティナインの2人がお正月休みの話をする。主に岡村の大阪帰省話が中心となって進められる。岡村の中学、高校の同級生との新年の飲み会の話を軸として、東京では自分を発揮できない岡村がホームである大阪で起きた事件をリスナーに報告するものである。このトークに登場する岡村の同級生はほぼ全員一般人である。にもかかわらず、毎年の恒例であること、キャラが立っている人物が多いこと、岡村の話術等から、ヘビーリスナーには登場人物、関係性、起こった出来事等についての共通認識が確立されており、毎年リスナーや業界関係者、番組放送作家などに注目されるトークとなっている。高校時代の友達はナインティナインのTV番組にも登場したこともある。最近では笑福亭鶴瓶の番組の『A-Studio』で岡村がゲストの回で鶴瓶が取材しており、「こいつらおもろいなぁ、飲み会あったら俺も呼んでくれ」と岡村にお願いしている。矢部の休み中は温泉旅行の話が中心となっており、その時に付き合っている恋人との旅行や、後輩芸人達との旅行の話がメインである。海外に出かけて放送作家の藤本義一と偶然会ったが無視をしてしまった話(2003年)や、中村雅俊の家族と偶然会った話(2001年)などが有名である。初期の頃は、大阪帰省で岡村と矢部の遊ぶ場所がほぼ被っていて飲み屋で偶然出会ってしまう話(1994年10月)などがあった。矢部と出川哲朗のスキャンダル記事が週刊誌に掲載されたことにより、その真相を語るためにゲストで呼ばれた出川とナインティナインとの他愛のない恋愛話から始まった恒例行事で、年の終わり頃にやるコーナー。3人の恋愛観、恋愛経験値の差が大きいため議論が白熱し、リスナーからの反応がよかったため年1回やることが決まった。その差ゆえ、議論は盛り上がるものの交わることなく平行線で終わることが多く、リスナーからの意見は「あまり参考にならなかった」や「面白かったんでまたやってください」など様々である。2000年10月19日の放送から現在のタイトルになった。岡村の流れるプール論、ゆがんだ恋愛観、出川の嫁とのSEXレス、矢部の火遊びや恋愛経験が豊富なことから来る「上から目線」の見下しトークなど、それぞれ三者三様のトークが熱く繰り広げられる。それぞれが「お前らには負けたくない」という譲れない部分があり、終わらないトークが番組の最後まで続く。このほか、ナインティナインの恋愛スキャンダルが報じられた時に出川が番組に呼ばれ、事の真相を赤裸々に話すこともある。毎年12月最終週(原則)の放送では、「流行語大賞」と称してその年に矢部と岡村が発した印象的な言葉をリスナーから募り、互いに発表し合うという年末恒例のコーナーがある。「流行語」とはいっても番組内で実際にその言葉が流行したわけではなく、普段の何気ないトークの中からリスナー各自が特徴的だと思ったフレーズのみを断片的に拾い上げてあるだけであり、言葉を発した当人ですら発言意図や当時の会話の内容、前後の文脈などを覚えていないことが多い(その不可解さを楽しむコーナーでもある)。例として岡村は自身が気になっているフレーズに対して何か面白いコメントを言おうとした時にでる発言など。矢部は自身が好きで使っている物や好みを「僕、〜なんですよ」と突然発表する言葉など。なお、例外的に番組スタッフやゲスト、ナインティナイン担当マネージャーなどの言葉や発言も「番外編」として取り上げられることがある。近年では、年末が近づくと特に告知や募集をしないにもかかわらず自主的に投稿が寄せられるようにまでなっている。このような面白い発言を何で言ってしまったなど、その年の出来事などを思い出し一年を振り返っている。番組内では概ね、岡村がフリートークの主導とネタハガキ読み、矢部は聞き役及びリアルタイムで届くメールや提供クレジット・各種告知文の読み上げといったように、役割分担がある。放送開始から現在に至るまでこれらの分担に関しては様々な試行錯誤され現在のような形が出来上がった。矢部が告知や提供クレジットの読み上げなどを上手くまとめることに嫉妬した岡村が何度か挑戦を試みるも、緊張して上手く喋れないまたは大事な部分で失敗するなどから、結局矢部の方が向いていると納得して現在の形に収まっている。これに対して、ネタハガキに関しては、矢部も過去に読んでいたこともあったが、岡村の面白おかしくネタハガキを読むテクニックや、必ずしも似てはいないが秀逸にデフォルメされた物まねキャラクターを作るセンスを矢部自身が認め、それを面白いと納得して楽しんでいることから、岡村にこれらを任せている。ネタハガキを投稿してくるハガキ職人はこういう部分も考慮してネタに盛り込んでくる場合があり、また、細かい音楽の指示や、「この人の物まねでお願いします」と指示を出してくることも多い。岡村は、このような面白くしようと努力する職人の気持ちに応え、事前に物まねの練習をしたり、ネタのシチュエーションや構成が適切でない場合に訂正・脚色を行ったりしている。これらの作業を番組放送開始前の限られた時間の中でこなし結果を出す岡村の笑いにストイックな部分を、矢部も信頼している。役割分担に関しては岡村の方の仕事量が多いため、一時期ケンカになることもあった。番組初期からこの役割は変化せず、1997年に出版された「オールナイトニッポン大百科」で番組の取材した記事が掲載されており、机の上に岡村を囲むようにつまれたハガキとは別に写真週刊誌やスポーツ新聞に目を通す矢部と両極端な写真が掲載されている。2010年に発売された「小栗旬のオールナイトニッポン」のムック本の「旬刊小栗」の付録に収録された岡村と小栗旬との対談が納められたCDでは、ナインティナインのANN開始前の打ち合わせをしている場所にプライベートで仲のいい岡村へ挨拶訪れた小栗が、会議室のピリピリした空気に驚き、「自分のやっていたオールナイトでは時間が来るまで雑談でだらだらとしていたが、この2人の出す何とも言えない空気に耐え切れずすぐに帰ってしまった」と語っている。岡村いわく、ハガキ選びに集中しているため小栗にかまっていられない状態で申し訳なかったと謝罪している。小栗は普段、岡村とよく酒を一緒に飲みに行く間柄で自分には見せない仕事中の岡村を見た感想を「昼間のパパの仕事をしている場所を見ちゃった、みたいな」と裏側を目撃した感想を述べている。小栗以外にも番組開始前の2人に挨拶にいった人たちは、小栗と同様にナインティナインの番組では見せない部分に驚くという。これらの作業をこなしハガキを書いてくる職人の苦労と労力を2人はありがたく感じ、感謝しており、番組に来たゲストが出演時間をオーバーした場合にたとえ先輩であろうとも「ハガキ読まなアカンから早く帰って」と言ったり話の腰を折ったりして、ネタハガキの時間を優先させる努力をしている。それでも消化できなかったネタハガキが出てしまうこともあり、スペシャルウイークで、あえてゲストを呼ばずに「ハガキ倍増スペシャル」と題して年に数回、感謝の意味をこめてハガキを読みまくるという枠を設けている。これらに関して2人は照れくさい部分もあり、あまりこのことをくどくど説明をせず職人いじりでおちゃらけるイメージが定着していたが、16年という長期にわたる放送で新しく聞き始めるリスナーには説明不十分であったため、ネタハガキを数枚読まれたことのあるリスナーから「ハガキ職人に対するねぎらいの言葉もなく、矢部さんの宛先読みも機械的だ」と言われ、破門騒ぎに発展してしまうハプニングもあった。矢部の不調などの理由で岡村がそれらを代読するというイレギュラーな事態も稀に起こる。2007年8月16日放送では矢部が喉(声)に不調を来たしたために実際にそのような事態となったが、岡村はここぞとばかりにこれをいじり、笑いに転じた。変則的な雰囲気とそのしゃがれ声を面白がったリスナーによる矢部への物真似リクエストのメールが殺到した結果、岡村によってメールが通常よりも多く読まれるという珍事も起きた。このような矢部にアクシデントが起こった場合や、矢部が珍発言をした場合には、岡村とリスナーとが一緒になって「矢部いじり」をすることがお約束となっている。コーナーは構成作家らによる立ち上げで立案される時と注目の番組や芸能人、既存のコーナーでとりわけ勢いのあるネタやキャラクターから発案される。担当ティレクターや構成作家からの提案で立ち上がる場合はネタの説明や例題が始まる前週の告知の時におこなわれる。この例題からハガキ職人たちの投稿がある。初回はネタの方向性の探りあいで投稿してくるが、優秀なハガキ職人の場合、ナインティナインの二人が笑いそうなシチュエーションを把握している場合があり、独自の世界観を展開してくることもある。最初に提案された例題からまったく意図しない方向の転がる場合の方が多い。「最初どんなコーナーだったっけ?」や「いい方向に転がり始めた」と岡村が言う場合もある。逆にイマイチ方向性が定まらない場合は「もう一週様子を見てみましょうか」や「(職人に対して)君らはやればできる子なんだから」ということがある。あるコーナーで人気になったネタ、キャラクターへのネタハガキの投稿が増えることやナインティナインの二人の提案で新コーナーが立ち上がる場合がありこれらを「独立」という。(大笑福亭悪びん、悪い人の夢、ジモンさんのコーナー、三村さんのコーナー、爆笑田中問題、オパブンミ一家など、これらは独立で始まったコーナー)人気になるキャラクターやネタは、投稿されるハガキの人気が集中する場合が多くナインティナインも殺到するはがきの多さに困惑することが多い。このような時にはコーナー内で別のキャラクターやネタを生み出して投稿した場合の方が採用される確率が高くなると注意をしている。一方終了のタイミングは、勢いがなくなった、コーナーの元ネタとなった番組が終了、元ネタの芸能人がこの番組に出演し区切りがついたなどさまざまである。当初予想していた方向と違った方向へ行ってしまい、収拾がつかなくなり終了することも少なくない。このような事態を、壊れるという。また、投稿するハガキ職人がもうそろそろいいんじゃないかという意味も込めてコーナーを壊すために意味不明な投稿で潰しにかかる場合もある。このため壊し屋の異名を持つ職人もいる。ゲスト出演に合わせて1度しかやらないコーナーもある。新コーナーは告知後の次の週に始まり、コーナーが終了する際には通常岡村の「終〜了〜!」という怒鳴りと「ファンファーレ」で「長々と愛されてきた○○(コーナー名)ですが今回を持ちまして無事終了となります、ありがとうございました」と言い終了となる。ネタハガキは岡村がすべて選出して読む。一方、コーナー「どりちんクラブ」に送られてきたハガキとフツオタ、メールは矢部が選出して読む。ただし、番組初期は矢部もネタハガキを読んでいたことがある。ハガキは岡村に分かりやすいように文字を書かないと不採用とされる場合がある。鉛筆で記入することはハガキが汚れたり文章が消えたりするという理由で、蛍光ペンなどでハガキの枠に色をつけたり文章を書くことは岡村が見づらいという理由で、それぞれ禁止されており、黒ペンの利用を推奨している。ジャネットのコーナーで片言を表現するためにカタカナで書かれたネタに、読みづらいためひらがなを使うようにと注意したこともある。ハガキを選ぶ基準はあくまでもネタの内容や出来であり、細工を施したとしてもあまり意味がなく、ハガキ職人の名前により選ぶこともない(当番組の構成作家を務めていたメルヘンうんこが投稿したネタを、放送中にペンネームを読みあげるまで気付かず選出したことがある)長文のネタはハガキ複数に分けて投稿することとなっており、原則封書での投稿は禁止されている。開封時に中の便箋を破いてしまう可能性があるためである。(過去にノートにネタを書いて封書で投稿したハガキ職人時代のメルヘンうんこが注意を受けている)このため長文のネタの場合ハガキ複数枚に分けて投稿するハガキ職人もいる。パソコンで印刷されたネタの投稿は可能だが、常連の職人になった場合にたまに手書きで投稿するとワープロ書きとのギャップをいじられる場合がある。ハガキには原則として一枚に一ネタとなっており個々のコーナーのネタを複数書くことは禁止されている(僕の点取り占いのみ複数のネタを書き込むことが可能)。この約束事を知らない新しいリスナーからの投稿が増えた頃に、番組内でハガキの書き方、注意などを促している。しかし、2014年4月から消費税増税に伴うハガキの値上げもあって、同じコーナーであれば1枚のハガキに2つまでなら書いてもいい形になった。ただし1枚のハガキに書くので「長文ネタのため文字が細かい」などの弊害が出てくる可能性があるため、あくまで暫定的なものになっている。ノベルティはネタコーナーで送られる。初期は面白かったネタハガキにのみノベルティが配られていたが、現在は読まれた人全員にノベルティが送られている。第1回から第8回ハガキ職人大賞で連続で1位を獲得した現在放送作家の谷中つよしはノベルティを独占することが多くなり、何ももらえなくなってしまった。「なにもあげません」が名誉であるのは面白いネタを送ってきた常連のハガキ職人を意味していたのだが、谷中が送ったビビアン・スーの下ネタの印象が大きくなり秀逸の内容の下ネタに「なにもあげません」が使われていくようになった。しかしこれは下ネタであるからという理由で恥じるべきことではなく名誉である事をナインティナインの二人は強調している。このほか昔からの常連の古いハガキ職人が久々に読まれた場合「なにもあげません」と最後にオチで使われることもある。基本的にノベルティは2種類あり、基本的に普通のネタには岡村の名前がついたノベルティ。ウケたネタには矢部の名前がついたノベルティが進呈される。ただ後述の「クイズ!アホ学王」(同様のコーナーも含む)のみ紹介されたネタすべてに対して同じノベルティが送られる。二人が大爆笑したときのみ、「ダブル(2個)」となる。特有のノベルティがあるコーナーもあり、現在「点取り占い」では「ナイナイバッジ」、「今週のインパクト」では「インパクトコンパクト」が、それぞれ送られる。インパクトコンパクトは面白かった内容のネタのみ選出され送られる。「点取り占い」の採用者はエンディングで矢部が紹介する。過去には面白かったネタの採用者に岡村個人の私物が送られることがあった。ガンプラや岡村がその場で適当に考えたグッズで届くまで何がくるのかわからない物もあった。スペシャルウィークのプレゼントなどで無茶な内容のも本当に製作して贈られた(河内マネージャー特製糸鋸トンファー、神田ディレクター特製サイコロ、つるつるの石など)。また、岡村がハガキの内容を読み間違えたり、途中で噛んだりするなどミスを犯した場合には私物が送られることもある(番組で明かされた私物でテレビ番組のスタッフジャンパーが送られた時があった)。ノベルティの画像はすべて非公開とされ(過去のノベルティも含む)、実際に貰わなければどんなものなのかわからなくなっている。ネットオークションでの転売、サイトでの画像の公開が発覚した場合、破門になる。ナイナイバッジ、ステッカーで使用されているデザインは藤井フミヤによるもの。当時、藤井が番組にゲスト出演した際、コンピューターグラフィックスでのデザイン制作に興味を持っているという話をし、ナイナイの二人が「作ってください」と頼んだどころ、本当に作ってきてくれたので採用された。オカニオ、ヤベニオはB-DASHのGONGONの弟のSOTAがデザインを担当している。この番組にはハガキ職人に対する処罰があり、ナインティナインの二人とディレクターで判断を下す。上位の項目ほど罰が重いと見られる。読み手である岡村自身に対する罰則として、ネタを読んでいる時に著しく噛んだり読み間違えたりした時に、投稿者へのお詫びとして岡村の私物を送ることが恒例となっている(軽度の場合や、噛みや読み間違いを物ともしない程に大きくウケた場合は適用外となることがある)。ネタに関して忠告やお願いが発せられることがあり、これに従わなかったハガキ職人が複数出て番組中に岡村が説教を始めたこともある。説教でやめろという言葉をいかに職人がネタとしての前フリとしてどのようにリアクションをしてくるのか、どう受け取るかという部分も含まれている場合もあり、反省文も職人としてのテクニックがためされる場合もある。以降ジングルや曲間違いがあった場合でもディレクターの鈴木賢一が謝罪するのではなく宗岡が謝罪することになっている。近年放送されたコーナーのみ一部掲載。その他のコーナーは こちら を参照。ある人物が話題に上ったりネタになったりすると、それにまつわる以前に収録した本人の声によるキーワードがすかさず挿入されることがある。また、ネタの中には周期的に登場する人物名やフレーズがあり、フリートークや過去のコーナーでナインティナイン・ハガキ職人達が作り上げた悪いキャラが忘れた頃に登場する。採用時に岡村は「こんなん扱ってるのウチのラジオだけやで」と言う(新しく立ち上げる短文のコーナーに多い)。ヘビーリスナーにとっては懐かしいと同時に笑いのツボにはまるフレーズである。長期にわたる放送期間のため分かる人には分かり、分からない人には何のことなのかわからない。現在では世代にギャップがおきており、岡村が元ネタについての解説をすることもある。関西芸人(及び関西人)を扱うネタの際は二人が大爆笑することが多い。その際関西地域のみ伝わるネタの場合は、岡村が「関西地区は大爆笑」と全国ネットを配慮したコメントをする。毎年最初(原則)の生放送では、岡村が正月休みを利用して大阪に帰省し、中学、高校の頃の同級生と再会した時の話をするのが恒例となっている。特に、矢部も後輩として所属していた大阪府立茨木西高等学校サッカー部の同級生(俳優の鈴木健介も同席している)の変化(主に頭髪に関してで、禿げネタが番組内で非常に大きな笑いになる)や酒の席の様子の話は、リスナーのみならず、相方であり後輩でもある矢部も楽しみにしている。岡村は年一ペースでみつまJAPAN'(旧:「美妻隆盛」)のたこ焼き屋さんの近況を気にし、中山秀征がプロボウラーに挑戦したこと、西川峰子の新築の自宅が豪雨で流されたこと、元ミモ・ファルスのメンバーの1人が楽屋泥棒の常習犯であったこと、海老名美どりがミステリー作家宣言で記者会見を開いた話など、同じ内容をぼんやりと思い出す。本番組のハガキ職人を経て、プロの放送作家になったものもいる。しかし作家転向後にナインティナインの二人に報告に来る職人は少ないとのことで、転向した際には番組へ報告するように呼びかけている。下記は本人が投稿で申告してきたり、ナインティナインが番組中で作家になったことを明かして、判明した限りのハガキ職人出身の放送作家である。このうち顔面凶器は当番組の放送作家としても活動している(メルヘンうんこは2012年7月20日をもって番組を卒業)。また、番組本『ナインティナインのオールナイトニッ本』には、この2名と谷中つよしとおくだたいの4名が構成に参加している。オールナイトニッポンではレイティング期間になるとスペシャルウィークと称して各番組にゲストが出演するが、この番組は通常放送時(岡村曰く「平場(ひらば)」)でもゲストが出演することがある。ゲスト登場時に鳴るファンファーレは、コーナー終了時やハガキ職人大賞の1位発表時に鳴るものと同様のファンファーレを使用している。告知や宣伝を目的として来たゲストに対しては岡村が「この番組で告知(宣伝)しても効果ありませんよ」という主旨の断りを必ずといっていいほど入れる。ほっしゃん。が自身の単独ライブのチケットを番組内で電話予約した際(受付先が本人の自宅であった為、自宅の電話番号が公開された上に多数のいたずら電話が寄せられた)、新たに9枚しか売れなかったというエピソード(1999年12月23日OA)を具体例として挙げて説明することが多い。ゲスト出演時のCM明けには、Hi-STANDARDの『NEW LIFE』のイントロにのせて、ゲストが何らかのコメントとタイトルコールをしているジングルが事前に作られ使用されている。このジングルは保存されており、後日そのゲストの話題で盛り上がった時などに(そのゲストが来ていなくても)再利用されることがある。ゲストとして来訪していないがジングルが作成された事もある。岡村の父親や妹や親友、矢部の兄(矢部美幸)や母などの一般人もゲスト出演している。2010年7月15日から11月25日の岡村の休養期間は9月9日放送分(「ナイナイの日記念 ハガキ倍増スペシャル」と称して矢部が一人で放送を担当)以外は「ゲストパーソナリティー」として毎週ゲストが出演していた。現在過去番組開始15周年を記念した番組本が制作されることが2009年2月5日の放送で発表され、同年7月30日の放送ではタイトルが『ナインティナインのオールナイトニッ本(ニッポン)』に決定したことが発表された。当初15冊出版する方針であったが、全5冊出版に変更され、さらにナインティナインのオールナイトニッ本 スペシャルで番組本として初の2冊同時発売されたことから合計7冊出版することになった。この本を出版するにあたり、本の構成するための資料として2部時代の音源が行方不明になっていることが番組で明かされた。このためvol.1は欠落している回が数本ある。この本のためのハガキコーナーとして番組では期間限定で「リスナー広場ビーンとこけし」というネタ募集のコーナーが立ち上がる。また、同じくこの本独自のコーナーとして矢部によるサッカーレッスン、歴代マネージャーが語るナインティナインとの思い出、歴代ディレクターの珍エピソード、ハガキ職人へのインタビューなどが掲載されている。この本のネット販売の告知をする度に岡村が「ア〜マ〜ゾ〜ン!」と仮面ライダーアマゾンの掛け声と引っかけてAmazonで先行発売されることを告知するのが恒例になっている。ただし岡村が叫んだ後に本物のアマゾンの掛け声が流れるため「僕が叫ぶ意味があるのか」と語っている。主に地方局へのCM時のフィラーとして、『カモ・エブリバディ・ナインティンナイン・イン・ザ・ハウス』などナイナイライブにて使われていたオリジナルの楽曲が流れる(一切一般音源化はされていない)。初期(1999年頃まで)のフィラーはダルファーのアルバム「dig」からセレクトされて流れていた。1999年から2000年にかけては岡村主演の映画『無問題』のサウンドトラックからセレクト。2001年頃から現在のようにオリジナル楽曲という形になっている。ジングルとしてB-DASHの『情熱たましい』をアレンジしたものやHi-STANDARDの『SATURDAYNIGHT』が使用されている。ファンファーレに使用されている楽曲は、ディズニーランドで行われていたショー「ワン・マンズ・ドリーム」のサウンドトラックから『パイレーツ・メドレー』のイントロを編集したもの。番組初期の頃からスペシャルウイークの時に毎回2人でカラオケを歌うことを盛り込んでいた。単独でのオールナイトニッポンの時も歌われた。空耳替え歌などのネタもあり、替え歌の詩は放送作家の顔面凶器が担当している。現在もたまに新しい曲が登場することがある。矢部の歌うDO-DO FOR MEやHOWEVERは人気があり放送回数も多い。最初から特別番組として放送されるケースと、ナインティナインが春休み、夏休み、秋休み、正月休み、ライブの準備、スケジュールの都合、海外出張で休む時に代役として起用されるケースがある。

出典:wikipedia

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