山内 豊隆(やまうち とよたか)は、土佐藩の第6代藩主。1673年(延宝元年)11月16日、山内氏の分家である武蔵指扇山内氏(新橋山内氏)の当主・山内一俊の次男として生まれる。はじめ鳥居氏の養子となって鳥居伊右衛門と名乗っていた。しかし兄で第5代藩主の豊房に継嗣が無かったため、1706年(宝永3年)に兄が死去すると、その養子として後を継いだ。しかし豊隆は無能であり、兄が登用した山内規重や谷秦山、深尾重方などを次々と処罰してゆく。1707年(宝永4年)10月4日には大地震で1,844人(10月26日時点)の死者を出すという惨事に見舞われた。このため、地震の救済に務めながら宝永の改革と呼ばれる藩政改革に着手したが効果は無く、1720年(享保5年)4月14日に江戸で死去した。享年48。跡を次男・豊常が継いだ。先代からの重臣たちを次々と粛清したことから評判が悪く、土佐藩随一の暗君と言われている。
出典:wikipedia
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