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川崎ローム斜面崩壊実験事故

川崎ローム斜面崩壊実験事故(かわさきロームしゃめんほうかいじっけんじこ)は、1971年(昭和46年)、科学技術庁が中心になり、建設省、自治省、通産省、国立防災科学技術センターなどの権威者を集め、関東一円に広がるローム台地におけるがけ崩れに関する研究が3年計画で5500万円の費用を投じて行われ、1971年(昭和46年)11月11日、その最終段階としての災害防止実験を川崎市生田緑地公園内で実施した際に斜面崩壊実験の失敗により発生した大惨事である。この事故により研究従事者及び取材の報道関係者ら15名が生き埋めとなり死亡した。現在、生田緑地内、川崎市岡本太郎美術館入口脇に慰霊碑が建っている。当時の佐藤内閣で科学技術庁長官を務めていた平泉渉が、本事故を受けて11月15日に引責辞任した。この実験は四省庁の研究機関(科学技術庁国立防災科学技術センター、通商産業省工業技術院地質調査所、自治省消防庁消防研究所、建設省土木研究所)による合同実験で、斜面崩壊の発生機構を解明すべく、科学技術庁が昭和44年度から三カ年計画で進めてきた関東ローム層で構成された台地における斜面崩壊に関する総合研究の一環として行なわれたもの。生田緑地公園内に設定された試験地において、実際に斜面に散水し降雨を再現することで、人工的に斜面崩壊を発生させ、基礎データを収集しようとするものであった。この実験と試験地の選定については、昭和42年度から準備が開始され、横浜市磯子地区、南多摩の造成地、川崎市周辺などが候補にのぼっていたが、昭和45年2月18日付で正式に川崎市長から許可を取得して現場が定められた。また、昭和46年6月9日にこの実験計画の承認が行なわれている(決裁は研究調整局長)。試験地の斜面角度は30度、崩壊予定部の底辺は幅100m、観測計器・観測用ビデオカメラの設置場所は斜面最下部から約50m離れた箇所、丸太の防護柵の高さは1mであった。試験地の両側は木立が茂っており、計測班や報道陣は試験地の側面ではなく、崩落面の正面(流れてくる下側)で計測・記録を行っていた。現地における予備実験(予備散水)は、4月27-28日、7月8-9日、11月4-6日の合計7日間行なわれ、さらに11月7日は雨が降っていた。9日午後3時半から散水を開始し、11日午後3時34分、総雨量(総散水量)が470mmに達したとき、轟音とともに斜面に爆発的な崩壊が発生。崖上部から捨土、ローム層本体、さらに砂礫層の一部が崩落し、土砂は防護柵をなぎ倒して崖下55mの池にまで到達した。その崩壊の速度及び規模が予想外に大きかったため、実験関係者、報道関係者を含む25名が生き埋めになり、15名(実験関係者11名、報道関係者4名)が死亡、10名が負傷した。事故の瞬間は死亡したフジテレビの佐武正カメラマンによってカメラが土砂に埋没する最後の一瞬まで撮影されており、同局で放送された。また、日本テレビのカメラマンによっても撮影されており、1971年(昭和46年)11月12日付の読売新聞夕刊に連続写真として掲載されている。この実験に際して、安全対策上の不備、特になどの点が挙げられている。

出典:wikipedia

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