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グエン・ズー

阮攸(グエン・ズー、、1765年 - 1820年)はベトナムの詩人、政治家。初期の阮朝に仕える。中国の小説『金雲翹伝』をチュノムに翻案し、『金雲翹()』を書いた。字は素如()。雅名として清軒()を名乗った。現在のハティン省ギースアン県ティエンディエン社に、黎朝の宰相・阮儼(グエン・ギエム)の子として生まれる。このころの黎朝帝室は実権を失い、北部は帝室を牛耳る東京鄭氏が、南部は半独立の広南阮氏が支配し、更に南部では西山の乱が興るなど、世は大いに乱れていた。父ギエムは東京鄭氏の鄭楹、鄭楷の代に吏部尚書として皇帝に仕え、兄弟の多くも要職につき、ズー本人も19歳で科挙に通り武官となっていた。しかし20歳のときに西山軍の阮恵が都の昇龍を攻略すると鄭氏は敗走し、東京鄭氏と黎朝は滅びた。ズーは代々黎朝に使えた一族の末として一時は黎朝復興運動に関わるが、それが叶わぬと知ると、ハティンとゲアンの境のホンリンで自然に親しむ隠遁生活を送る。阮朝が起こると初代皇帝・嘉隆帝に召しだされ、不本意ながらもフエの宮廷に仕えるようになる。嘉隆帝はズーを重く用い、「皇帝の柱」とまで呼ばれるようになったズーは東閣学士に任じられ、1804年には清朝からの使者を国境で迎える役を勤め、1813年には正使として北平(現在の北京)に派遣される。この時に金雲翹伝に触れ、これを「金雲翹」に翻案する。嘉隆帝が没すると、二代目皇帝・明命帝により三度目の対清正使に任じられるが、その直後に重い病にかかり、1820年の旧暦8月10日に没した。金雲翹のほか、中国の詩選3篇、短編詩「若い帽子屋の言葉」、ベトナム詩の「降霊」がある。

出典:wikipedia

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