伊達 英二(だて えいじ)は、森川ジョージ原作の漫画『はじめの一歩』に登場する架空のプロボクサー。アニメ版での声優は相沢正輝。元WBA世界フェザー級1位で、元日本・OPBF東洋太平洋フェザー級チャンピオン。リカルド・マルチネスとの試合で付けられた鼻に残る傷跡がトレードマーク。身長168.5cm。生年月日は1964年7月3日(初登場時28歳)。血液型A型。一歩の日本タイトル初挑戦時の王者で、公式戦で初めて黒星を付けられた対戦相手。日本屈指のクレバーなテクニシャンで戦術眼も長けている経験豊富なボクサー。腰を据えて相手を迎え撃つスタイルだが、若い頃はエネルギッシュなほどに闘争本能をむき出しにした相手をねじ伏せるタイプであったが、現在でも荒々しさで打破を狙う一面もある。目標の為に黙々と努力を重ねる、男の理想像・ダンディズムを体現するが、時折見せる大人気ない負けず嫌いな姿など決してお堅い存在ではなく気さくで男気とユーモアに溢れる、その名の通りの伊達男。社会能力も非常に高く、一時期、引退してサラリーマンになったときは前例を見ない速さで出世をして、伊達本人は「満足できていない」と語っていたものの、設立したジムを水準以上に軌道に乗せている。日本王者としての孤独を知り共に世界を目指した盟友・鷹村守とはお互いに実力を認め合っていて、年齢差を越えて仲がいい。サラリーマン時代は酒を嗜むほどに飲む程度だったが、指導者になってからは心酔している沖田も呆れるほどに酒癖が悪くなっている。モデルはかつて東洋チャンピオンだった尾崎富士雄であることがインタビューで述べられている。19歳でプロデビュー。天才児と称されながらも一切努力は惜しまず、「東洋に敵なし」とまで言われ、幼き日のアルフレド・ゴンザレスも強い挑戦者と評する程だった。23歳時に世界初挑戦。敵地メキシコでリカルド・マルチネスに挑むも、全く歯が立たず2RKO負けで惨敗。さらに帰国後に妻・愛子の流産を知り、あまりに大きなものを失ったショックに1度引退。引退後は妻の兄の会社に就職し順当に出世を重ね、愛妻と新たに生まれた息子・雄二ら三人の家族で穏やかな生活を送るが、悔しすぎる敗戦が心の中で尾を引いており、その後、復帰を望む心の内を見抜いた夫人の言葉に後押しされ、26歳の時にカムバックを決意。不屈の闘志を得て、復帰2戦目で日本タイトルを獲得。数度のタイトル防衛後、世界戦を前に一歩を最後の日本タイトル挑戦者に指名。一切屈しない一歩との死闘の最中で若い頃の闘争心を再びむき出しにし、最後にはハートブレイク・ショットを決めて下し、チャンピオンの拳の重さを見せつけた。やがて、世界再挑戦が決まり、その世界戦へのスパーリングでは一歩のライバルでもあり東洋太平洋王者でもある宮田一郎を指名し、減量前のベストウェイトの状態の宮田ですら圧倒するほど国内では敵無しの強さであり、日本のボクシング界を引っ張っているリーダーといえる存在でもあった。そして、世界初挑戦失敗から7年後。なおも世界王者に君臨し続けるリカルドに再度挑む。伊達はかつて挑んだ頃の全盛期以上の力量を得ていたが、それが逆にリカルドの100%の力を引き出してしまい、肋骨と顎を砕かれ絶対王者の比類なき強さを味合わされる。起死回生を狙いハートブレイク・ショットを撃つもエルボーブロックにより不発、右拳も砕いてしまう。満身創痍となりながらも妻・愛子も激励により自分の原点を思い出し死力を振り絞ってリカルドに立ち向かい、必殺のハートブレイク・ショットを打ち込むが、拳が砕けていたため決め手となるだけの時間を止められず、最後は10RKO負け。担架に乗せられリングを降りたが、その奮闘ぶりはリカルドに尊敬の念を抱かせた。試合後、入院先の病院を見舞った一歩に自らの後を託し引退する。引退後は自らのジムを創設するが、門下生の成績が今ひとつなのが悩みの種。もっとも、登場する度に敗戦ばかりではあるとは言え東日本新人王になった選手もおり(全日本で敗退)、言うほどは悪くない。ジムを構えてからも度々顔を合わせる一歩にメンタル面で重要なアドバイスを送っていて、その事を知った鴨川会長も伊達の指導者としての実力を高く評価している。西暦が不明であるため、便宜上、一歩の鴨川ジム入門後の経過年数と本人の年齢を表記する。
出典:wikipedia
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