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東京海洋大学

日本の国立大学では唯一の海洋の研究・教育のみに特化した大学である。2003年(平成15年)10月に共に120年以上の歴史を持つ東京商船大学と東京水産大学が統合し開学、2004年4月から学部生の受け入れを開始した。旧東京商船大学は長年日本商船隊を支えた船乗りを輩出し、水産立国の礎を築いた旧東京水産大学とともに、現在でも海に関連する科学・工学的な専門分野における教育と研究で、その良き先達となることを目指している。大学の法人本部が設置された品川キャンパスには、海洋科学部が置かれ海洋環境、生物資源、食品生産、海洋政策文化に関する教育と研究が、また越中島キャンパスには海洋工学部が置かれ、船舶職員の養成と東日本で唯一ロジスティクスの分野の教育と研究を行っている。学部は建学以来の伝統に基づき、実学を基本とし、専門科目の講義以外にも練習船を用いた実習や、数か所ある学外の施設を用いた実験などを多く課している。大学院では海洋の科学技術に関する高度専門技術者の養成を目標としている。海洋工学部(東京商船大学)の前身である私立三菱商船学校は1875年(明治8年)11月設立、1925年東京高等商船学校に改組。海洋科学部(東京水産大学)の前身である大日本水産会水産伝習所は1888年(明治21年)に設立。両学部とも120年以上の歴史を持つ。当初商船学校は永代橋袂の霊岸島(現在の中央区新川)に繋がれた成妙丸を校舎とし、水産伝習所は越中島に校舎があったが、後に商船学校も越中島に移設された。東京高等商船学校は明治・大正・昭和を通して難関校として有名で、俗に「陸士・海兵・高等商船」と受験生から呼ばれ、陸軍士官学校・海軍兵学校と並び称されるほど、全国から秀才が集まった。当時の様子は、六代目練習船大成丸の世界周航を綴った米窪満亮著の「海のロマンス」に詳しい。水産講習所も、当時(戦前)は授業料がなかった。元内閣総理大臣・鈴木善幸は、宮古水産学校(岩手県)を卒業したが、学校の弁論大会で当時は社会主義に通ずるものとされた漁業協同組合(漁協)論を述べたため、就職先がなくやむをえず進学した。東京高等商船学校・水産講習所遠洋漁業科の学生は、在学中は海軍予備生徒、卒業すると海軍予備少尉の階級が与えられ、有事には軍務に服することが定められていた。大学祭は、越中島キャンパスと品川キャンパスで分かれて行われる。商船大系の「海洋会」と水産大系の「楽水会」がある。埋立地のこの地は戦前は海軍経理学校の戦争末期の疎開キャンパスであったが、戦後米軍に接収された。越中島キャンパスが米軍に接収され久里浜に移転していた東京水産大学(水産講習所)は旧越中島キャンパスは狭いため別の代替地を東京に探していた。1954年東京水産大学は現在の品川キャンパスの一部を入手し1・2年は久里浜キャンパスを、3・4年は品川キャンパスを使用することになった。1957年にさらに米軍接収から解除された敷地を得て1・2年も東京に呼び戻すことになった。そのような歴史のため、昭和初期の建物が多く残る海洋工学部の越中島キャンパスとは雰囲気が異なり、校舎などは比較的新しいものが多い。キャンパス内には講堂(中部講堂)、大学会館、附属図書館(蔵書数約18万冊)、「雲鷹丸」、鯨ギャラリー(鯨の骨格展示)などがある。また、併設されている水産資料館には、船舶の模型やホルマリン漬けの魚が展示してある。都心の大学では珍しくグラウンド・テニスコート・体育館・プールがあり、学部1年の体育実技は週1回キャンパス内で行われる。もっともプールは7月の「臨海実習」の前に1回、タイム測定が行われるだけで、あとは水泳部、潜水部、水産生物研究会らが使う。尚、朋鷹寮・8号館・9号館は京急本線・北品川駅で降りて裏門から入る方が早く、こちらを利用する者もいる。戦前は東京高等商船学校と水産講習所(1902年に港区芝より越中島の商船学校隣に移転)の敷地であったが、戦後米軍に接収されたため、東京高等商船学校は静岡市清水区にある現国立清水海上技術短期大学校や東海大学海洋学部の所在地に移転し、水産講習所は横須賀市久里浜の現久里浜駐屯地所在地に移転した。越中島キャンパスは連合軍の接収解除後に警察予備隊(保安庁)が引き続き使用し、1956年に東京商船大学に返還され、3・4年と本部が東京に復帰した。1960年に旧水産講習所部分も東京商船大学に所管換えとなり1・2年も東京に復帰した。隅田川の河口沿いに位置し、約10万平方メートルの敷地には教室・教育研究室をはじめ、海事、船舶に関する資料、展示物を展示する百周年記念資料館、海の日の由来ともなった明治天皇の東北・北海道地方巡幸に利用された日本最古の鉄船明治丸(重要文化財)、船舶運航性能実験水槽、プラネタリウム(日本で2番目に古い)、艇庫、保健管理センター、ポンド(船着場)などがある。また、物流センター等での作業シミュレーションを行うシミュレーターや世界最大級の操船シミュレーターがあり、CGの影像による模擬乗船実習などに活用している。さらには、1930年(昭和5年)に建てられた1号館(登録有形文化財)をはじめとする歴史的な古い特徴ある建物がいくつもあり、数多くのテレビドラマや映画のロケ地として使われ、2005年度は19回のロケが行われている。海洋工学部の学部生・乗船実習科生の一ヶ月以上の乗船実習は国土交通省所管の独立行政法人航海訓練所の練習船で行われる。建前としては両学部生とも両方の寮に入寮希望を出し(第1志望は朋鷹寮・第2希望は海王寮として出すのも可能である)、海王寮から品川キャンパスに通うことも可能である。実際には東京駅で京葉線から京浜東北線への乗換に20分かかり、かなり大変である(京葉地下丸の内口または京葉地下八重洲口から東京国際フォーラムを通り、有楽町駅京橋口に抜けるルートもある。定期券でなくても利用可能)。朋鷹寮は入寮希望者が多い(「家賃」に当たる「寄宿料」が4,700円のため、水光熱費は別途必要)が、海洋工学部の学生も少数ではあるが入寮している(これに対し、海王寮は「寄宿料」が700円だが、相部屋以外の入寮が認められていない)。ちなみに商船大時代の寮歌「嗚呼月明は淡くして」と応援歌「錨を上げてーアメリカ海軍軍歌の替え歌」(相撲の対抗戦等で使用)は他大学生が口ずさむほど大正時代は有名であった。海王寮は今も寮歌指導・カッター訓練等伝統を受け継いでいる(応援歌などはいつしか忘れられ、なくなっている)。一方「朋鷹寮」は個室化による「アパート化」を防ぎ、自治寮の伝統を守るべく腐心している。2009年より「海王寮」改修(2人部屋)に伴い、暫定運用になっている。現・寮生も部屋の移動が行われている。本部によると「『朋鷹寮』選考で海洋工学部生を差別しない」とのこと。どちらの寮も、食事(寮食)がない。学期中の平日昼間は生協食堂を利用できるが、それ以外は外食・コンビニ弁当・自炊となる。特に「品川」は東口再開発で手頃な店が少なく、北品川商店街もシャッター通りになっている。場合によってはジャスコ品川シーサイド店まで行く必要がある。学生は、乗船に集団秩序が求められるため、保守層が多い。1960年の安保闘争時の「東京水産大学新聞」によると、当時、学生で自民党支持が社会党支持の2倍に達した。学生運動の高揚した1960年代後半においても、学内の左翼系政治組織は「警鐘」グループ(後の日本共産党(革命左派)神奈川県委員会)がほぼ唯一の存在だった。学内に日本民主青年同盟の班がない(同盟員3人で班になる・同盟員がいないとも言われる)。一方で卒業生に「しんぶん赤旗」の記者がおり、元京都府知事の蜷川虎三の出身でもある。港区・江東区の区立図書館で、両キャンパスの図書館の本を借りることができる。メールによるリクエストはできないが、附属図書館の蔵書を検索した上で、区立図書館の窓口でリクエストカードに「海洋大越中島(品川)所蔵」とカードに書くか、職員に伝えればよい。(「大学禁帯出」及び都内区市立に同一資料がある場合を除く。)"この項目は、のを使用しています。" "64664

出典:wikipedia

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