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野蒜駅

野蒜駅(のびるえき)は、宮城県東松島市野蒜字後沢にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線の駅である。高城町駅から東北本線へ直通する仙石東北ラインの列車も停車する。もともと奥松島・野蒜海岸の観光開発のために設置された駅だったが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波の被害を受けて使用不能となり、仙石線の内陸移設に合わせて海抜22mの新駅舎に移転した。野蒜村と宮戸村(両村とも現・東松島市)との間には宮戸島を陸繋島とする陸繋砂州「洲崎浜」(須崎浜)があり、太平洋・仙台湾(石巻湾)に面していながら波が穏やかだった。この洲崎浜に宮城電気鉄道(現・JR仙石線)初代社長の山本豊次が目を付けて海水浴場の観光開発を計画し、1928年(昭和3年)に「野蒜駅」が設置された。場所は、鳴瀬川河口に建設された野蒜築港と松島湾とを結ぶ東名運河沿い。1931年(昭和6年)には兵庫県神戸市の須磨海水浴場にならい、「東北須磨駅」に改称した。海水浴場は宮電直営で「野蒜不老山海水浴場」(現・野蒜海水浴場)と呼ばれ、砂浜には「野蒜海水浴プール」も設置した。また、駅前には宮電直営のホテルや、長寿館という名称のキャバレーも開業した。宮電はさらに「東北須磨バンガロー村」も設置している。1944年(昭和19年)の国有化時に「野蒜駅」に戻された。日本三景・松島は当線松島海岸駅がある松島町が観光面での中心地となっており、仙台市から見て同町の先(奥)に当駅はある。そのため当駅がある鳴瀬町(当時)の日本三景・松島の観光地区(東名浜、野蒜海岸、宮戸島等)は「奥松島」と呼ばれるようになった。1980年代になると、町は当駅を奥松島駅に改称すべきかどうかを訊く住民アンケートを実施したが、改称には至らなかった。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波によって大きな被害を受け、以降は当該線区とともに無期限での営業停止となった。震災翌年、震災後不通となっていた区間のうち陸前大塚駅から陸前小野駅までについては線路を内陸に移設して復旧することが決定。これに含まれる野蒜駅についても従来よりも約500メートル内陸部に新設されることが発表され、2015年度内の全線復旧を目標として工事をすることが2012年1月にJR東日本から発表となった。2015年5月30日より新線上で営業を再開。島式ホーム1面2線を有する地上駅で、ホームと駅舎が歩道橋で連絡している他、トイレやエレベータも整備されている。当駅は、国内有数の景勝地として知られる松島に位置しており、文化財保護法による特別名勝の保存管理を受けるため、「人々が集い行き交う船宿のような町の拠点、復興のシンボル」をコンセプトに、切妻屋根や外壁の配色を木材と土壁をイメージした配色、和風の格子窓を採用した。同じく高台移転した東名駅と同じく、ロータリーと市内在住者向けのパーク&ライド予約型駅前駐車場が整備されている。石巻駅管理の業務委託駅(JR東日本東北総合サービス委託、早朝夜間駅員不在)。出札窓口(営業時間 平日7時15分 - 18時30分、土休8時15分 - 17時30分 POS端末設置・指定券取扱い)・自動券売機・簡易Suica改札機設置。島式ホーム1面2線を有する地上駅であり、ホームへは構内踏切で連絡していた。また、駅舎が線路の南側にあったため、現在とは逆に上り線側から1番線と割り振られていた。なお、当駅を通過する列車の為に1線スルー式の分岐となっていて、下り線側(2番線)が直線であった。矢本駅管理の業務委託駅(東北総合サービスに委託)で日中のみ駅員配置。POS端末・自動券売機・簡易Suica改札機設置であり、駅舎内に奥松島観光情報センター(Nまっぷ)が併設されていた。2015年5月29日まで松島海岸駅と矢本駅を結んでいた代行バス停留所は、駅舎前および道路上に設置されていた。また、2015年8月8日に東松島市の阿部秀保市長は旧駅舎のプラットホームについて、震災遺構としての保存方針を示した。なお、旧駅舎と合築されていた「奥松島観光情報センター」(Nマップ)は改修され、観光交流拠点「野蒜地域交流センター」となり、1階部分に「ファミリーマート東松島野蒜駅店」が開店、2階部分は多目的スペースとして利用されている。

2016年2月現在、造成工事中である。

出典:wikipedia

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