ジェームス・パトリック・エドモンズ(James Patrick Edmonds , 1970年6月27日 - )はアメリカ合衆国・カリフォルニア州フラトン出身の元プロ野球選手(中堅手)。左投左打。ファースト・ライト・レフトとしてのプレー経験もある。、ドラフト7位指名でカリフォルニア・エンゼルスに入団。9月9日にメジャーデビュー。は開幕からメジャーロースター入りを果たし、新人選手としてはリーグ3位の94試合に出場した。には141試合に出場し、打率.290、33本塁打、107打点、120得点を記録。得点数はドン・ベイラーの球団記録に並んだ。その年のオールスターにも代打として出場を果たした。その後、守備でも、、と2年連続でゴールドグラブ賞を受賞。は打率.304と自身初の3割を上回ったが、2回の故障者リスト入りを経験し、出場試合数は114で、は8月1日に背中の痛みを訴え故障者リスト入りとなり、出場試合数は133にとどまり、地区優勝を逃す要因にもなった。テリー・コリンズからは来シーズン最低150試合以上出場するように言われ、エドモンズはシーズン終了後の10月中旬に両ひざの手術を受けた。は154試合に出場し、25本塁打を記録し、5月21日のアスレチックス戦で通算100本塁打を達成。また、自己最高の42二塁打を記録した。しかし、は開幕を故障リスト入りで迎え、8月2日になってシーズン初出場。打率.250とデビュー年以来の低さに終わった。3月23日にセントルイス・カージナルスにトレードに出される。カージナルスに移籍したエドモンズは、移籍1年目の2000年に自己ベストの42本塁打、108打点と大爆発し、5年ぶりにオールスターゲームに選出され、7番センターで先発出場し、オールスター初安打を記録した。本塁打数はロジャース・ホーンスビーに並び歴代4位だった一方、167三振は球団新記録となった。そしてエンゼルスでは縁がなかったプレーオフにも出場を果たし、チームの躍進に貢献する。2000年からにかけて6年連続でゴールドグラブ賞を受賞した。は4月に打率4割を記録するも5月から7月にかけて打率は.260を下回ったが、8月は.328、9月は.368の高打率を記録した。シーズントータルで打率は.304を記録し、自身初となる3割・30本塁打・100打点を記録した。 には42本塁打、111打点でシルバースラッガー賞を受賞。7月には打率.381・13本塁打・27打点を記録し、いずれもリーグ1位で、初の月間MVPを受賞した。この年カージナルスはワールドシリーズへ駒を進めるも、自身の大不振もあって4連敗に終わった。は怪我の影響もあり、大きく成績が落ち込んだが、チームはワールドシリーズ制覇を成し遂げ、初めてのチャンピオンリングを獲得した。オフに、デビッド・フリーズ+金銭と交換でサンディエゴ・パドレスへトレード移籍。しかしは打率.178本塁打1本と精彩を欠き、5月9日にパドレスから解雇。その後5月14日にシカゴ・カブスと契約をした。にミルウォーキー・ブルワーズで2年ぶりにメジャーへ復帰。OPS8割台と健在ぶりを示し、8月9日にクリス・ディッカーソンとのトレードで地区首位を走るシンシナティ・レッズへ移籍した。2011年2月18日、前年から痛めていたアキレス腱の回復が見込めないことを理由に現役引退を表明。故障の悪化はチームドクターの杜撰な選手管理に責任があるとして、レッズを非難した。エドモンズのバッティングの特徴はボールをよく選ぶことで、2006年には1打席当たり4.07球相手投手に投げさせている。一方で三振もかなり多い。自己ワーストは2000年の167三振。また、左投手を苦手としており、通算で右投手の打率は.297に対し、左投手は.253と4分以上低い。
出典:wikipedia
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