山口組(やまぐちぐみ)は、日本の兵庫県神戸市に本部を置く暴力団で、日本最大規模の指定暴力団。組員数は約14,100人(構成員6,000人、準構成員数は約8,000人)。山形県と広島県と沖縄県を除く44の都道府県に系列組織を置いている(2014年末時点)。住吉会、神戸山口組、および稲川会とともに国家公安委員会から主要暴力団に位置づけられている。山口組の組員は1名の「組長」(親分)、数名の「舎弟」(弟分)、および数十名の「若中」(子分)から成る計100人弱に過ぎないが、組長を除く全組員はそれぞれが数十人から数千人の構成員を抱える組織の首領であり、「直参」(直系組長)と呼ばれる。米経済誌『フォーチュン』の推計(2014年)では、世界のあらゆる犯罪組織の中で屈指の収益力を有する組織であるとされ、麻薬の密売や賭博などの非合法ビジネスによる総収入は年間およそ66億ドル(約7000億円)に達する。これはロシアンマフィアに次ぎ、イタリアマフィアの最大組織カモッラを凌ぐ規模にあたる。菱形の中に“山”の文字を描いた“山菱”(やまびし)と呼ばれる意匠のマークを組織の標章、いわゆる代紋としている。2016年4月現在、神戸山口組と共に、特定抗争指定暴力団への指定が検討されている。山口春吉が沖仲仕を集めて神戸市内を本拠に結成。のちに“神戸ヤクザの頂点”と言われるに至る大嶋秀吉率いた「大嶋組」の傘下にあっての結成で、およそ50名の労務者を抱える「山口組」として発足。民家に“山口組”の看板を掲げた事務所を兵庫区の西出町内に置いた。1915年(大正4年)のことであった。しばらくは大嶋組の傘下にあって活動したものの、いつしかその勢力は本家の大嶋組を凌ぐものとなり、1925年における山口登の二代目襲名を経て、神戸中央卸売市場の開設に伴う利権を巡り大嶋組と対立、死者を伴う激しい抗争の末に同卸売市場の運搬作業の独占権を得るに至り、1932年をもって大嶋組から独立した。1942年における山口登の死後、しばらくは跡目が決することなく組長不在の状態にあったものの、1946年に田岡一雄を首領に据えた三代目体制が発足。この田岡率いる三代目体制下にあって、昭和30年代〔1955〜1964〕から昭和40年代〔1965〜1974〕にかけて日本全国各地へ進出、対立抗争を繰り返しながら急速に勢力を拡大していった。田岡襲名時の山口組の総勢はわずか33人に過ぎないものであった。それが1965年までに、傘下424団体、総勢9450名を数える巨大組織に発展。その間に当事者となった対立抗争は日本の各地を舞台としたもので、「小松島抗争」、「明友会抗争」、「鳥取抗争」、「博多事件」、「広島代理戦争」、「松山抗争」などが主要なそれであった。警察当局によるいわゆる「第一次頂上作戦」のさなかで直系組長らの脱退と直系組織の解散が相次ぐに至り、一時期弱体化するも、勢力の回復を経て、田岡の死去の前年にあたる1980年までに、2府33県に559団体、1万1800人余の総勢を擁する組織に成長。そうした三代目体制期を築いた田岡は山口組の中興の祖として記憶されるに至った。1984年における竹中正久の襲名によって四代目体制が発足するも、これを不服とした離反勢力を相手とする大規模な抗争(→山一抗争)に突入。その過程で抗争相手の一和会により暗殺された竹中に代わって、抗争が終結するに至った平成元年〔1989〕、傘下山健組を率いた渡辺芳則を首領に据える五代目体制が発足。暴力団対策法施行の年でもあった1992年には、直系組織総数が三代目体制下1963年以来の最大数(120超)を記録した。五代目体制期の1995年に阪神・淡路大震災が発生すると、渡辺自身の陣頭指揮による組織ぐるみの救援活動を展開。その活動は地元紙記者をして“半端なものではなかった”と言わしめた。1997年になると五代目体制開始以来の非常事態と言われた「宅見若頭射殺事件」が発生。この事件は以後の組織に混迷をもたらす未解決の懸案事項となった。2004年から長期休養に入るとともに組織運営の全権を執行部へと委譲していた渡辺であったが、2005年の7月に引退を表明。予期なき突然の引退であった。ここに16年間の長きにわたった五代目体制が終焉。そして若頭の役にあった司忍こと篠田建市の新たな襲名をもって、同年のうちに六代目体制が発足し現在に至っている。2015年(8月)には、司忍の出身母体にあたる名古屋の弘道会と関西地方の山健組を筆頭とする諸団体との不和が表面化し、事実上の分裂の事態が発生した。9月には離脱した13団体と新加入した1団体が新組織「神戸山口組」を結成、初会合を開いたと報じられている。分裂後、山口組と神戸山口組のそれぞれの傘下団体が関係する事件が2016年3月までに20都道府県で49件発生しており、警察庁は対立抗争状態と認定している。山口組は以下の「綱領」を定めている。この5か条の「綱領」は田岡三代目時代に制定されたもので、定例会などの行事の際に唱和される。加えて、年度ごとに定められる「組指針」がある。山口組における「若頭」は、「組長」に次ぐナンバー2の立ち位置にあたり、稲川会にいう「理事長」、政治政党にいう「幹事長」や「書記長」に相当する。二代目時代三代目時代三代目代行時代四代目時代四代目代行時代五代目時代六代目時代主たる事務所(本部)は兵庫県神戸市灘区篠原本町4-3-1である。一次団体にあたるこの本部「山口組本家」に対し、二次団体の首領は「本家」に直に繋がる組長という意味を込めて「直系組長」あるいは「直参」(じきさん)と呼ばれ、「本家」にあってはそれぞれ、「組長の弟」を意味する「舎弟」(6名)あるいは「組長の子供」を意味する「若衆(若中)」(約80名)の役職名を与えられている。日本全国に散らばるこれら直系組織は「関東・北海道」、「中部」、「大阪北」、「大阪南」、「阪神」、「中国・四国」、ならびに「九州」という7つのブロックに分かたれ、各ブロックの長は執行部から選出される。この「ブロック制」は五代目体制発足直後の1990年に全国の暴力団に先駆けて導入されたもので、当初は「大阪中」のブロックも存在していたものの、2007年にこれが廃された結果、全国7ブロックとなった。各ブロックごとに毎月「ブロック会議」と呼ばれる会合を開いており、各ブロック長は管轄地域の直系組長と執行部との伝達役のような役割を担っている。司忍率いる六代目体制に入って以降の山口組は、『盃外交』と呼ばれる活発な他団体交流を展開し、かつての反目組織をすら含む日本各地の暴力団組織と友好関係を築いてきた。関東地方を本拠地とする住吉会は六代目山口組と数多の抗争事件を引き起こしてきたが、組長の司忍が出所した2011年をもって正式な組織間交際関係を樹立。山口組関係者の言によれば、六代目山口組が組織ぐるみの縁を持たないのは、工藤会と道仁会のみである。山口組は2006年の7月からIDカードを用いたセキュリティ認証機構を総本部に導入、前代未聞の事態であるとして注目を集めたが、これは総本部への道仁会による攻撃を警戒してのものであったのだという。
出典:wikipedia
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