ザコパネ(ポーランド語:Zakopane)はポーランドの都市。マウォポルスカ県に属する。ポーランド屈指の避暑地、保養地であり、ウィンター・スポーツも盛んである。人口は約2万7千人(2005年)。タトラ山脈の山麓に位置しており、ポーランド屈指の避暑地、保養地として知られる。近隣の都市としては、約85キロ北のクラクフが挙げられ、鉄道とバス路線で結ばれている。タトリ山脈の南麓はスロヴァキア領となっている。小さな山間の集落であったが、19世紀末になると、鉄道網の整備や庶民に旅行を楽しむ習慣ができたことで、ザコパネの開発が進むことになった。この頃、初のホテルも建てられている。20世紀になると、ポーランドの建築家、芸術家らの注目を集め、この地で活動を行う者が増えた。現在は、ポーランド有数のリゾート地へと成長を遂げている。ザコパネは、多くの芸術家を魅了した。1907年にザコパネに居を移した音楽家ミェチスワフ・カルウォーヴィチは、この地で多くの作品を作り上げた。音楽家カロル・シマノフスキも、この地の民族音楽に関心を抱き、一時この街にとどまった。社会主義運動にも関わった詩人ヤン・カスプローヴィチも、ザコパネの山岳民の生活に共感を抱いた人物である。その晩年はザコパネで生活し、この地で没した。建築では、スタニスワフ・ヴィトキエヴィッチが、いわゆるザコパネ・スタイルと称される木造建築様式を創始している。息子のヴィトカツィは画家として活躍した。19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した民族運動家、文化人類学者であるブロニスワフ・ピウスツキ(ポーランドの民族的英雄ユゼフ・ピウスツキの兄)は、ロシア皇帝暗殺計画の容疑で逮捕され、樺太へ流刑となった。この際に樺太などの極東地域に関心を抱き、再度樺太に渡り樺太アイヌの言語研究を行った。1980年代になって、その際の蝋管レコードがザコパネで保存されているのが発見されており、アイヌ研究に大きな寄与をもたらした。オスツィーペックと称されるスモークチーズがザコパネの名産品である。動物や樽の形をしており、形状を眺めるだけでも楽しめる。ただし味はかなり特徴的。ポーランドにおけるウィンター・スポーツの中心地である。1929年、1939年、1962年と3度ノルディックスキー世界選手権の開催地となっており、1993年と2001年と2度にわたってユニバーシアード冬季大会の開催地にもなっている。冬場には多くの観光客が訪れ、スキーなどを楽しむ。ポーランド国鉄のザコパネ駅があり、クラクフと結ばれている。ただし、ポーランドの列車は総じて所要時間が長く、最長で4時間以上かかる。バス路線でもクラクフとザコパネが結ばれており、所要時間はその半分程度。本数、所要時間ともにバスの方が合理的。
出典:wikipedia
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