トゥアティエン=フエ省() は、ベトナムの省(地方自治体)の一つ。北中部に位置し、東はバクボ湾に、北はクアンチ省に、南はクアンナム省およびダナンに、西はラオス(サーラワン県、セーコーン県)に接している。世界遺産でもある故都フエ(フエの建造物群)を抱えている(故都は中国の故宮を意識してベトナム人がフエを呼ぶ際の枕詞であり、古都という意味ではない)。7世紀頃からチャム族のチャンパ王国の中心地の一つ(烏里州:現クアンビン省、クアンチ省、トゥアティエン=フエ省)として栄え、1306年にチャンパと大越の政略結婚の花嫁代償として大越陳朝の領土に編入されてホア州(化州)が置かれた。フエという地名はこの「ホア」の訛りといわれる(チャム語起源説もあるが、20世紀中葉までチャム族はフエをウリクと呼んでいた)。17世紀に地方領主の広南阮氏によりトゥアンホア(順化)都城が築かれ、19世紀初頭に最後の王朝となった越南阮朝(広南阮氏の後裔がベトナムを統一して樹立)の都フースアン(富春)京が置かれた。多くの宮殿が1947 - 48年のフランス再征服軍との戦いで傷つき、1954年以後トゥーズー皇后やベトナム共和国考古院、トゥアティエン省建設司による修復が行われた南北ベトナムに分断されていた時は、南ベトナムの北端近くに位置する大学都市として知識人が集った(現在でもフエ大学は7つの単科大学及び高等専門学校からなるマンモス大学である)。フエ旧市内は1968年のテト攻勢の際には激しい戦闘の場所となり、南ベトナム解放民族戦線(主力は北ベトナムの人民軍兵士)による占領中に、多くの保守派知識人、僧侶がここで虐殺され、解放軍の逃走後は逆に容共派知識人や学生活動家が虐殺された。解放軍逃走の際に虐殺を免れて一緒に北ベトナムに逃亡した学生活動家の中から、ら今日のフエの有力政治家が輩出した。ベトナム戦争中は多くの宮殿が基本的にずっと半壊状態のまま放棄されていた。近年修復が目覚しい建造物群の他、宮廷音楽、宮廷料理など無形の文化物が多く存在する。トゥアティエン=フエ省は、以下の行政単位に区分される。キン族、、、、ホア族。フエ方言はダナン方言と共に声調の発音が極めて曖昧・不明瞭であることで知られ、声調が苦手な外国人にとっては比較的まねしやすいが、一般のベトナム人には異質でわかりにくい方言とされている。
出典:wikipedia
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