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松山町 (宮城県)

松山町(まつやままち)は、平成18年(2006年)まで宮城県志田郡にあった町。宮城県の北部に位置し、北東部に鳴瀬川が流れ、南部には高寺山を中心として東西に大松沢丘陵が連なっている。毎年10月に行われるコスモス祭り、地酒の一ノ蔵や刀匠・法華三郎の鍛錬所などが有名で、キャッチフレーズは「花と歴史の香るまち」であった。松山の名は、遠藤盛継が応永11年(1404年)に創建した万年寺の山号・嶺松山に由来するという。盛継は応永8年(1401年)に鎌倉公方・足利満兼より志田・加美・玉造三郡の奉行として派遣されてこの地に土着し、松山城(千石城)を築いて居城とした。戦国時代に入ると、伊達稙宗の急速な勢力拡大にともなって遠藤氏もその傘下に組み込まれた。松山一帯は、もとは長世保(ながせのほ)と呼ばれていたが、天文7年(1538年)に稙宗が作成させた『御段銭帳』には「松山庄」とあり、この頃には「長世」に替わり「松山」が地名として用いられるようになっていたことがうかがい知れる。天正19年(1591年)に遠藤氏が松山から登米郡石森に移された後は石川昭光・古田重直が領主を歴任し、慶長8年(1603年)に茂庭良綱が松山に入部。以後、幕末に至るまで茂庭氏がこの地を治めた。

出典:wikipedia

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