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文系と理系

文系(ぶんけい)と理系(りけい)とは、主に高等教育(あるいはその準備段階としての中等教育最後期)において学問を大まかに二分類する際に用いられる用語である。それぞれ文科系(ぶんかけい)、理科系(りかけい)とも呼ばれ、両者を合わせて文理(ぶんり)という。伝統的に、文系とは主に人間の活動を研究の対象とする主に人文科学と社会科学に分類される学問の系統とされ、理系とは主に自然界を研究の対象とする自然科学に分類される学問の系統とされてきた。しかし現在では、研究対象よりもむしろ課題解決のために用いる手法で分類されることが多い。たとえば金融工学や社会工学は、研究対象こそ「人間の活動」であるが、研究対象をほとんど同じくする経済学や社会学とは異なり一般には理系とみなされる。有意な成果や果実を得るためには総合的な知見や能力が重要であるため、実際のところは、研究の現場において研究者自身が文理の別を強く意識する機会はなく、自分の専門分野がどちらに属するかをことさらに強調することもない。ただ自らの興味や社会の要請に従って、扱う問題をあらゆる手法の中から適切なものを選んで解決した結果、用いた手法がたまたま「文系的」であったか「理系的」であったかという違いに過ぎない。しかしながら、教育現場では便宜上、生徒・学生を文系と理系に分けて扱うことが多く、高等教育の普及につれてその区別を知る者が大半を占めるようになった。どちらの分野も直接的であれ間接的であれ社会において重要な役割を果たしているが、実際には社会でしばしば「文系」「理系」の区別は利用され、性向や思想信条の差、男女の差、年収の差に有意な違いがあるなどと論じられることがある。細胞生物学者の太田次郎が「どうも、文科と理科というのは、(中略)旧制高校時代にはそれなりにはっきりしていたが、しだいにその区別がぼやけてきたような感じがする」と述べているように、近年では昔に比べると文系・理系のそれぞれに特有の性質というのが明確ではなくなってきている。しかしながら、それでもなお、依然として文系・理系の区別は社会にも教育・研究の現場にも根強く残っている。ここでは、いまだ失われていない文理それぞれの特徴を洗い出し、見ていく。一般に、理系の学問は数学との親和性が高いため、「理数系」と呼ばれる場合もある。物理学や計算機科学はまさしくその代表であるし、化学や生物学のように数学とはかけ離れているように思える分野も、実際には数学と密接に関連する物理学を基礎として成り立っており、突き詰めて研究していけばやがては物理学へたどり着く(生物物理学なる分野も存在する)。高分子化学や分子生物学は純粋数学(幾何学、解析学等)の研究成果に直接影響されるし、ナビエ-ストークス方程式のような偏微分方程式の研究が進めば気象学や工学など幅広い分野を刺激するだろう。また理系分野全体にわたって種々の統計手法は重視される。一方で、法学や文学、歴史学等は、まだ数学・物理学との密接な関係が見出されておらず、政治学や言語学においても、数理的手法の応用は(増えつつあるが)まだまだ限定的である。このように、数学や物理学との繋がりの深さは理系分野に特徴的である。ただし、同じ理系であっても、全分野で一様に高度な数学を用いるとは限らない。工学博士の森博嗣は、養老孟司と対談した際、「総じていえば、実験科学に高度な数学は不要でした」と述べ、たとえば自身の専門であるコンクリートの研究においては「研究の六割方は実験」「微積分も不要」「文系の人でもできる作業」などと発言した。しかしその後とも述べ、実験科学においても突き詰めて研究していけば数学が必要になることも認めている。また、後に述べるように、文系分野における数学・物理学の活用は皆無ではない。それら例外については文系的と捉えられることが多い学問、理系的と捉えられることが多い学問を参照のこと。太田次郎は、研究業績の評価について、文理間では大きな違いがあると指摘している。いわく、とのことであり、少なくとも理工系においては「一次情報第一主義」がとられているという。また、理系の多くの分野は、研究に際して高額な実験器具や測定器具があったほうが有利であり、そのための研究費は論文数にほぼ比例して支給されるので、研究費を求める理系の研究者はとにかくたくさんの論文を量産しなければならない。一方、文系においては事情はかなり異なる。太田によれば、とのことであり、論文をこまめに発表することは「悪いとは言われない」が、基本的に業績評価の中心は総説であって、むしろ論文のほうが業績評価においてマイナーな扱いを受けることさえあるという。1973年にノーベル医学・生理学賞を受賞したローレンツ(動物行動学者)の論文について、太田は「きわめて文科的な表現の仕方」と評している。なぜなら、からだという。当時生物学の最先端であった分子生物学の専門家からは、観察結果のみを図や表を用いて簡潔にまとめ、考察も極力排したような論文が好まれる傾向にあり、また理系の他の分野についてもなどといわれるように、ほとんど考察の無い図表のみの論文が多い。このように、論文の様式も文理では大きく違うものである。数学者の広中平祐が「数学は、若いうちにやらないと駄目である」と発言したように、理系の研究者の場合、一般に若い頃の方が画期的な成果を出しやすい。数学や理論物理学の分野では、二十代がピークとされ、三十代半ばを過ぎると新たな成果は稀になる。顕著な業績をあげた学者というのは、三十歳くらいですでに傑出していることが多い。数学や理論物理学ほどではないものの、実験科学の分野でも、アイデアは若いときに出て、その後はそれを実証したり、さらに幅を広げるという人生を送ってきた研究者が多い。一方、文系の学問の場合は必ずしもそうではないという。太田次郎によれば、とのことで、「どうも、理科系と文科系では、一般に勝負の速さに違いがあるように感じている。」という。学問を文系と理系に分けることの起源がおそらく日本にあるということは、多くの論者が指摘しているところである。太田次郎は、文系と理系の区別について、「おそらくその起源は、旧制高校の制度にあると思われる」と述べた。山梨大学講師(当時)で理学博士の藤井康男によれば、「おそらくわが国だけの分け方ではないかと思う」とのことである。また藤井は、「外国の事情をよく調べたことはないのだが、」とことわったうえで、「外人と話してみてわかることは、彼らは文科とか理科とかをあまり口にしないということである。」とも述べている。日本においては、第2次・高等学校令(大正7年勅令第389号)の第8条に「高等学校高等科を分ちて文科及理科とす」(原文は平仮名部分がカタカナ)という規定があった。明治中期から第二次世界大戦降伏前は、旧制高等学校は、旧制大学で教育を受けるための準備教育を行う場としての位置づけが大きかった。高等学校の高等科においては、学修する外国語(英語およびドイツ語が大半)によって、「文科甲類」「文科乙類」「理科甲類」「理科乙類」などに分け、「文科」「理科」のどちらで学んだのか、学んだ外国語は何であったかによって、旧制大学で学ぶ専攻分野を大きく左右した。東京工業大学教授で社会学が専門の橋爪大三郎によれば、学問を文系と理系とに区別することの本来の動機は、予算がかかる学問の学生数を制限することだという。近代の日本において、大学教育に対する準備教育の課程を「文科」と「理科」に区分したことは、現代における文系と理系の区分に事実上引き継がれている。現代において文系を文科系と、理系を理科系と呼ぶのは、旧制高等学校の区分けの名残である。「系」の語が付与されているのは、「文科」「理科」という学科組織に基づく分類によっていないからである(なお、現代においても「高等学校」および「中等教育学校の後期課程」に「理数科」という学科があり、この場合、「理数科」を卒業した場合は、「理数科卒業」となる。ただし、文系の学部・学科・課程への入学制限は、一切ない)。ひとりの人間の発達史において、文系・理系の区分が初めて明確に意識されるようになるのは、一般には大学受験に備える高校の高学年からである。しかしながら、大学受験という一回のチャンスに人生が大きく影響されるという考えが根強い日本では、幼いころから「この子は算数や理科が得意だから理系」「この子は社会や国語を好むから文系」などと言われるようである。(後述)現代においても研究の最初の入り口である大学において、文系的と考えられている学問を専攻する学部・学科・課程と、または理系的と考えられている学問を専攻する学部・学科・課程とで、区分を異にした募集を行い、入学試験において異なった科目を課すことが多い。例えば、東京大学(旧制・第一高等学校および旧制・東京帝国大学の後身)においては、(新)入学者の募集区分が「文科一類」「文科二類」「文科三類」「理科一類」「理科二類」「理科三類」となっていて、すべてに「文科」と「理科」の語がついている。このように「文科」「理科」を冠して(新)入学者を募集する例は少なくなっているものの、21世紀を迎えても、日本国内の大学には、「文系の(新)入学者選抜」「理系の(新)入学者選抜」が少なからず存在している(なお、一部の大学の学部・学科・課程においては、文系・理系の枠を外した総合的な入学者選抜を行い始めている)。このような事情もあって、「高等学校」および「中等教育学校の後期課程」などにおいて、大学進学を希望する生徒が科目を履修する際には、大学の入学者選抜に対応するために、生徒の希望学部・学科・課程の入試科目に応じて、生徒の履修科目が文系型または理系型になるように、教員や保護者が指導することが慣習化し、学習塾もこれを受けた事業を展開している。文系と理系に分かれるさい、最大の要因となるのは数学の得手・不得手である。「理系」分野へ進学を希望する場合、入学試験科目の一つに数学が課せられることが多い反面、「文系」では数学が必須でない大学が圧倒的に多く、また数学を必須とする大学でも文系の場合には配点が低めに設定されている。このことから「数学が出来ないから理系をやめて文系を目指そう」と考える者が少なくない。一方、理系の大学入試で国語が独立科目として必須とされる例は東京大学、京都大学などほんのわずかしかなく、選択できるのもごくごく一部の私立大学のみにとどまっている。数学と地理歴史の選択制をとっている入試が多い文系に比べると、理系の入試は科目選択の幅が小さく、見方を変えればそれは苦手科目を抱えてしまった際の逃げ道が少ないということにもなる。理系の入試においてほぼ必ず数学が課せられている現状に対しては、太田次郎による次のような批判がある。3教科入試を採用することが多い私立大学では文系なら英語、国語、社会科(多くの場合日本史、世界史、政治・経済から選択)、理系なら英語、数学、理科(多くの場合物理、生物、化学から選択)を入試科目に設定するので、私立専願の学生は早いうちから文系・理系どちらかの勉強に絞り込むことができる。地理学や情報学など文理両方にまたがる学部は文系向けと理系向けの入試を両方用意する場合が多い。旧制高等学校は、戦後になって新制大学教養部として大学に組み込まれた。多くの大学で教養部が廃止された現在においても、その名残から文系と理系のどちらかに大学教育の内容を分ける習慣がある。多くの大学では、1・2年次の教養科目の選択パターンが文系学部同士・理系学部同士でそれぞれ酷似していたり、必修授業の一部を文系学部全体・理系学部全体の合同で行ったりする。また法科大学院には理系学部出身者を優先的に入学させる「理系枠」なるものがあるなど、専門課程を過ぎても「文系」「理系」の括りは何かにつけて付いて回る。しかしながら西欧圏では、学問分野は基本的に自然科学・人文科学・社会科学の3つに大別される。文系と理系は、日本の歴史的な事情によって形成された便宜的な分類である。実際に事物を深く学修・研究しようとすると、文系と理系という二者択一の区分法に、限界が見て取られることは多い。太田次郎はと指摘している。医・歯・薬学は厚生労働省の医療政策との兼ね合いから定員が制限され、大学独自に増員できないため割合としては僅かである。日本では理系のほうが文系に比べて修士・博士課程に進学する割合が高く、博士号取得者の8割が理系である。これは卒業後の就職・採用事情と大きく関係しており、理科系は研究室の教員の紹介が中心となるのに対して文科系には研究職の募集が極端に少なく、経理や営業現場でのOJTを重視する傾向にあるためと見られる。文系とされる博士号取得者は欧米には多数存在する一方で、日本では付与条件や取得状況が極端に厳しく、これが海外留学生の受け入れにおいてしばしば問題とされる。旧制高校には全寮制のところが多く、しかも文系と理系の学生がひとまとまりに同居する形であったため、文系・理系の学生たちは最低限の知識を共有することができ、互いの交流を通して「全人的な影響」を受け、「文科と理科のカオスなかに若い燃えたぎる生命が打ち込まれ、陶冶され、そして磨かれてい」った。ところが、旧制高校は「エリート教育だから」という理由で戦後の学制改革により廃止され、学生運動対策として学生寮もどんどん壊された結果として、現在の大学が輩出する人材は戦前に比べて文系・理系のどちらかへとより偏り、後述のごとき「会社人間」が蔓延することにつながっている。近代以後、学問各分野における専門知識の増大により、自然科学・社会科学・人文科学などの異なる分類の学問間のみならず、同じ分類にされている学問内においても研究の相互理解が困難になりつつある。このような状況は、最近はじまったことではなく20世紀当初からあったとC. P. スノーは “The two cultures and a second look” の中で述べている。また専門化と同時に隣接分野の融合(学際化)も起こっており、言うなれば「○○系寄りの□□系」、「□□系寄りの○○系」といった分野も存在するため、これが同一学問系内における更なる乖離を生み出している。学際化が文系と理系にまたがると文理融合(ぶんりゆうごう)と呼ぶ。また、そのような分野が文系・理系の両方にわたることを強調して学際系と呼称することもある。なお、工学的知見と文系諸学問の知見の双方が扱われる分野を「文工融合(ぶんこうゆうごう)」と呼ぶ者もいるが、あまり普及した言葉とは言えない。文系・理系の区別は、社会生活にも大きな影響を与えている。橋爪大三郎によれば、大学が社会へ送り出す人材が文系と理系とに専門化されることにより、個の力が弱まり、大組織中心の社会が形成されるという。技術系の最高資格である技術士一次試験での共通科目受験免除の条件の一つとして理科系の学部学科卒が挙げられている。またNASAの宇宙飛行士に応募するためには理系出身でなくてはならない。過去には太平洋戦争末期に行われた学徒出陣において、理科系学生が技術要員として徴兵猶予が継続された一方、文科系学生は士官候補生として動員された。学問の分類として生じた文理の区別は、時として、それぞれに属する「人間」の区別に転用されることがある。「文系の人」と「理系の人」に対して持つイメージは人によってさまざまだが、中には広く一般に定着しているものもある。しかしそれらはどうしてもステレオタイプに陥りがちで、扱いには万全の注意を要する。ここでは文系論・理系論の執筆に特に熱心とみられる識者の意見を中心にとりあげ、各論者に対する誤解の生じぬよう、前後の文脈をできるだけ排さず慎重に見ていく。世間でいうところの「文系の人」とは、「理数系科目、とりわけ数学が嫌いな人、苦手な人」とされており、対する「理系の人」とは、「理数系科目、とりわけ数学が嫌いではない人、苦手ではない人」であるとされている。森博嗣によれば、文系に進んだ人の多くは、子供のころにひとたび算数・数学で躓くと「自分は算数には向いていない」「数学なんてものは無意味なものだ」と決めつけ、自分を守るために、無意識のうちに算数や数学から自分を少しずつ撤退させていったと考えられる。応用物理学者の志村史夫によれば、自分が「文科系の人」であるか「理科系の人」であるかは、学校でそのように思わされた結果の「自認」でしかなく、自ら進んでそのような分類に飛び込んでいったのではなく学科の成績によってそのように分類されただけなのだ、という。本節冒頭に示したような定義によれば、たとえば専攻している学問が理工系であっても、その人が「理系の人」であるとは限らない。志村によれば、理工系学生の中にも数学や物理が嫌いあるいは苦手という学生は少なくない。森もまた、理系の学生が数学などの能力に限界を感じたときに「自分は文系なのかな」と意識し始めると述べている。両論者はともに「理科系の人」とは「文科系の人」に属さない者(いってみれば「その他」あるいは「補集合」)であるとの認識を持っているが、なかでも志村は、と、世の中は「文科系の人」が大半を占めていると主張したうえで、志村の専門である物理学を例にとりという傾向が日本の学生たちの間にあることを指摘し、日本において「理科系の人」(すなわち、理数科目が不得意ではない人)が「文科系の人」から特殊な存在として見られていることを示した。森博嗣は、文系の人間は数学や物理から逃避する傾向にあるが、理系の人間は特に国語や社会科から逃避しているわけではないと述べている。理系の人の多くは、単に「ものを覚える」という勉強が面倒なのでやらないだけで、「やる気になれば、いつでもできるもの」と考えているので決して苦手意識を持ってはいないのだという。そのうえで、次のような興味深い指摘をしている。一方、物理学の博士号を持つサイエンスライターの竹内薫は、これに関して森とは別の考えを持っているようである。竹内は「理系に属する人間には、自分が理系であるというだけで文系に属する人間を見下す者が多い」と指摘している。そのような人間は、文系人間こそが異質な存在であると考えているか、もしくは自分自身が異質な者であることを強く意識したうえでそれを逆手に取って優越感に浸っていると考えられ、いずれにせよ森の主張には沿わない。文系・理系間のイメージの違いというものは、つい最近になって生じたものではない。たとえば、一般に文系の人間は、理系の人間に比べると「暇そう」な印象を持たれているようであるが、それは今も昔も大きくは変わらないものであった。旧制高校から東京大学理学部へ進んだ太田次郎は、旧制高校時代を次のように述懐している。藤井康男は、太田によるこの論評について「読んでいて笑い出した」と心からの同意を表明したうえで、次のように呼応した。文系学生には理系学生に比べて自由に使える時間が多く、それゆえに遊びがちであることは、竹内薫らも指摘しているとおりである。しかし太田によれば、これはなにも学生に限った話ではない。教員や研究者(学者)にも同様の傾向がみられるという。このほかにも太田は「文科系の人々には、一般に整理嫌いであるか整理が得意ではない傾向が強い」とも述べたうえで、「文系の人間=優雅で不精」、「理系の人間=律儀で几帳面」という対比を強調している。さらに太田は、理系の学生や研究者が文系のそれらと比べて律儀になりやすい理由も分析している。その理由とはすなわち業績評価の仕方が文理間で異なることであって、これにより「もともと律儀の人がますますこまめになってくる」のだという。さらに太田によれば、理系分野においてこのような基準で業績評価が行われている現状は、大学教官を単なる「論文かせぎ」に走らせ、私生活を犠牲にしてでも「最終電車まで研究室で実験を続けたり、しばしば研究室の中で仮宿泊をしたり、涙ぐましい追われるような生活を続け」ることを強いる。よって、理科系の人間には気分的な余裕がなく、文科系ほどに優雅ではないのだという。森博嗣は、養老孟司との対談において、「(文系の人は「人間は言葉で考えている」と思っているようだが)僕は言葉で考えていない。思考の大部分は映像で、数字を扱う場合は座標や形で考える。」などと前置きしたうえで、と述べ、文系は物事を言葉で割り切る傾向にあるとした。森は直後に「文系を非難しているわけではない」と釈明し、「多くの社会的活動では、言葉で割り切った方が処理は速いでしょうし、相手も同じ文系なら説得しやすいのでしょう」と分析を添えている。養老孟司は、森博嗣との対談において、「特に日本の文系に言えることですが、彼らは前提の吟味をしませんね」と発言している。それに続く発言では、として、法を扱う専門家たる弁護士が法の前提を理解していないことを引き合いに出しながら「前提をきちんと把握する」ことの重要性を訴えている。複雑系や自然哲学などを専門とする博士(学術)の鈴木健は、社会科学の問題を人間の細胞の話から論ずるようになったことの動機としてと述べ、社会科学の前提をとことん追求していくともはや社会科学の外にその前提を求めなければならないと指摘している。竹内薫は、「誰もが大体同じ」く持っている理系人間のマイナスイメージとして、「コミュニケーションが下手」「会話に専門用語がバンバン出てくる」などを挙げた。竹内によれば、文系人間は「幅広く色々なものに興味があり、会話の引き出しも多い」ため、「色々な話に対応でき、自分から話題を振ることもできる」という基本的なコミュニケーション能力を備えているが、一方で理系人間は、「専門分野に特化し」「一つのことを突き詰めている」ために引き出しが少なく、「喋ること、書くことなど、コミュニケーションを最初から諦めている人が多い」うえに、さもなければ「相手が関心のないことを延々と話す」のだという。毎日新聞科学環境部による『理系白書』(2006年刊)は、二十代のある理系学生が、研究室でスキー合宿に出かけた際、たまたまリフトで隣り合ったスキー客に、師事する教授の名を片っ端から挙げて自慢したが、その客は誰一人として知らなかったという話に続けて、「研究室がすべて」の世界に生きていたという彼自身による悔悟を紹介した。また、薬学の博士号を持つ小説家の瀬名秀明は、大学院時代を振り返り「実験室に何時間いるかで評価される雰囲気もあった」と研究室にこもりがちであったことを指摘したうえで、研究費の獲得や社会に向けての情報発信は教授の仕事なので「若い研究者たちは、必要に迫られない限り、外との付き合いをせずに済む。それで世界が完結するんです。」と述べた。このように、理系の若い研究者は専ら研究室・実験室に軸足を置いた生活を送っており、専門家同士の交流が人間関係のすべてとなっているために、非専門家との交流に慣れていないのだという。さらに竹内は、理系の男性は「女性に対して奥手が多い」とまで言い切り、と述べた。理系に進む女性が少ないために、会話の引き出しが少なく専門の話しかできない理系男性と話を合わせられる女性が少なく、結局理系男性は女性と会話できないのだという。『理系白書』においても、理系男性の結婚の問題が取り上げられている。ある理系研究者Aは、大学院修士課程修了までの6年間、同級生に女性が一人もいなかった。29歳でポスドクとして渡米する時点では婚約者がいたが、「恋愛に関して経験不足だった」せいでうまくいかなかったという。外資系企業に勤めるエンジニアBは、「およそ女性が喜びそうなものには興味がない」と語り、30人の職場に独身女性が2人しかいないことから「恋愛に限っていえば、理系は損」と断言した。『理系白書』によれば、結婚情報サービス大手の「ツヴァイ」における男性個人会員のうち、「事務系会社員」や「公務員」はそれぞれ15%程度しかいないが、「技術系会社員」は40%もおり、「彼らの焦りを映しているようにも見える」という。しかし、「ツヴァイ」アドバイザーの女性によると、理系男性は総じて女性たちからのウケが良くないらしく、「初デートから、難しい専門の話ばかり」などと戸惑われるという。『理系白書』は、理系人が結婚できない原因として、単に学校や職場に女性が少ないことだけでなく、「適齢期」には大学院生もしくは身分の不安定なポスドクであることが多いことも挙げた。『理系白書』によれば、「理系人をオタクと同じようなイメージでとらえる人がいる」とのことである。ここでいうオタクとは、「数学オタク」や「機械オタク」の意味ではなく、サブカルチャーに精通し、アニメやゲームなどのキャラクター産業を大量に消費する者を指している。しかし、毎日新聞が取材した限りでは、秋葉原の大手フィギュアショップ「海洋堂」に入り浸る客のうち、文系・理系のどちらが多いのかは確認できなかったという。利用客の一人は毎日新聞の取材に対し「フィギュアのファンに文系も理系も関係ない」と語った。東京大学で「オタク文化」の講義を担当したという評論家の岡田斗司夫は、と述べ、「だから理系が目立つのではないか」と推測する。東京大学の学生に関していえば、1年生においては「アニメオタク」の数に文理差はないが、文系の人は学年が上がるごとに「社会性みたいなものを身につけて」オタク仲間から離れていくという。しかし岡田によれば、理系の生活とオタク的趣味は相性がいいという。小学校高学年から思春期にかけて、男の子は算数(数学)・理科が、女の子は英語・国語が得意、あるいは好きだとするイメージがある。実際、国内の多くの大学では理系学部は入学者・在籍者に占める女子の比率が有意に低く、同じ理系学部内での比較においても生物学系・農学系・医歯薬系学科より物理学系・機械系・電気電子系学科の女子比率が明らかに低い。このような現状が「女子は文系科目のほうをより得意とする」とするイメージを増強している可能性はある。文理選択は将来の学部選択・専門分化を通じて職業選択に影響する。特に医師・歯科医師・薬剤師・建築士など資格取得に学歴を要求するような職業は、たいてい人気が高いこともあり大学入学の1~2年前からすでに準備していなければならない。したがって、本人の学問に対する興味そのものよりも、本人の希望する職業、あるいは親が子供につかせたい職業によって文理選択を決める(決められる)場合が往々にしてある。それゆえに文理選択の全体的な傾向は、選択時の経済状況や経済予測、技術革新や流行等に影響を受けるとされる。一般に、「不況になると理系が人気になる」とされている。代々木ゼミナール進学情報・指導部本部長(当時)の坂口幸世は、理・工学部志望者が減少して1995年頃に最少となり、そこから増加し2002年までに減少前の水準に戻った(代ゼミ調べ)ことについて、と分析している。文系人気・理系人気は時代とともに変わりゆくので、需給のバランスもまた変わる。後の章で述べるように、平均収入や生涯賃金は文系と理系との間に有意な差があることが多く、時に優劣を逆転させながら、時代の流れによる需給バランスの変化に伴い連続的に変化してきた。それが原因となって逆に、文系人気・理系人気の波が加速・減速することもある。すなわち、文理選択の時点での文理別平均収入や生涯賃金予測を参考にして文理選択する者もいるわけである。たとえば、理系の生涯賃金の平均が文系より5000万円近く低いとする1998年の調査もあり、これが理系離れの原因だと主張する言説が往々にして見受けられる。一方で2009年のデータを元に2011年3月に公表された調査報告では、46歳男性では理系出身者の平均所得が600.99万円で文系559.02万円を上回るとされた。この違いについて、IT産業の興隆などにより理系出身社長・取締役が増えたことやバブル期の調査データには銀行・証券会社など給料が製造業より高くこれが文系理系の差に反映されていたとの分析がある。収入に関する統計には、文理別・学部別・偏差値別・男女別の様々な統計が出されている。日本の政党では自民党と公明党に「文系」出身者が多く、民主党と共産党と社民党に比較的「理系」出身者が多い。共産党委員長経験者では不破哲三、志位和夫が理系出身であり、民主党代表経験者では、鳩山由紀夫、菅直人が理系出身である。しかし、戦後の日本では自民党が政権を担っていた時期が長かったこともあって、結果的に戦後首相のほとんどが「文系(特に、法学部・経済学部)」から輩出されているなど文系優位が常識化していた。2009年の政権交代に伴い民主党代表の鳩山由紀夫(東京大学工学部卒)が首相になった。これにより戦後初の「大学教育における理系」(工学部)出身の首相が誕生した事になる。この事についてはマスコミでも取り上げられ、話題を集めた。その後に組閣された鳩山由紀夫内閣でも理工系出身者が多く(首相、副首相、内閣官房長官、文部科学大臣)、川端達夫文部科学大臣自身が経団連との会談で「お理工(お利口)内閣」という冗談を述べるなど、政界でもある程度の認識として存在している様である。鳩山内閣が総辞職し、その後を引き継いで菅直人が民主党代表、及び首相となった。これにより、日本初の東京工業大学卒の首相が誕生した。1871年の工部省報告書において既に「事務官僚に比べて技術官僚は、その地位を卑ふし」と記されているように、中央官庁では古くから文系出身者が実権を握ってきた。総務省総務審議官を務める東京大学教授(当時)の月尾嘉男は、その理由を「日本は役所が法律を作っているため」としている。自民党資料によれば、2001年7月現在、国家公務員I種試験の合格者のうち理系出身者は55%を占めるが、審議官級ポストの占有率は19%、局長級は13%であり、次官級は3%にまで落ち込む。このデータは霞が関において理系出身者が昇進しづらいことを如実に示している。キャリア官僚は、国家公務員1種試験の受験科目によって事務官と技官に分けられる(出身学部で分けられているわけではない)。この区分は1946年に出された勅令の名残であって、現在では実質的な意味はないとされるが、理系出身者の多い技官は、文系出身者の多い事務官と比べて昇進や昇給のスピードが遅いという。1997年、政府の行政改革会議中間とりまとめにおいて「事務系職員は一括採用し、8年程度で省庁間異動を行う。技官の採用・配属などは原則としてその分野に固定する」という文言が盛り込まれたことで技官の不遇が明文化された。なお、2001年12月に閣議決定された公務員制度改革大綱においては「採用試験区分(中略)に基づく画一的・硬直的な人事管理が一般的に見られ」と改めて指摘され、そのうえで「国家行政組織法の一部を改正する法律(昭和25年法律第139号)附則第2項に基づく官の制度(事務官・技官等の別)は廃止する」と記された。自民党の自見庄三郎衆議院議員は、エイズや病原性大腸菌O157の被害拡大はこの不合理な制度によって招かれたと指摘する。毎日新聞社が2002年3月に行ったアンケートでは、現職官僚70人(文系出身者54人、理系出身者16人)のうち35人(うち理系出身者10人)が「昇進に関して文理格差がある」と答え、そのうちのほとんどは「文系有利」と回答した。「収入に関して文理格差がある」と回答した者は全体では17人にとどまったが、うち理系は8人もいた。このように、理系官僚は文系官僚に比べて、地位や収入など実利的な面で何らかの不満を抱えている者が多いことがわかる。しかしその一方で、「仕事や生活に対する満足度」に関しては、文理格差があると答えた理系官僚は1人しかいなかった。理系官僚は仕事において、自分の能力を十分に発揮できるとか、自分に向いた仕事・自分の好きな仕事をできるという点で充実を感じているようである。中華人民共和国では地方の知事や市長は80%以上が理系であり、江沢民・胡錦濤・習近平など中国共産党の執行部は「理系」出身者で占められており、同じ社会主義国のソ連でも多くの指導者が工学や理学の習得を経て、ソ連共産党政治局のメンバーは89%がエンジニアだった。これは社会主義の唯物論、科学的社会主義に基づいた発想であるが、そうした社会主義の創始者達(マルクス、レーニン、毛沢東)は哲学や経済学などを専門としていた。1979年から1990年までイギリスの首相を務めたマーガレット・サッチャーは、オックスフォード大学で化学を学んだ。2005年からドイツの首相を務めるアンゲラ・メルケルは、1973年にカールマルクス・ライプツィヒ大学(現ライプツィヒ大学)で物理学を専攻し、東ベルリンの科学アカデミーで理論物理学の研究を行っていた。2013年から韓国大統領を務める朴槿恵は、西江大学校で電子工学を学んだ。2005年から2013年までイランの大統領を務めたマフムード・アフマディーネジャードは、土木技術者だった。ただし、経営学・経済学・社会学・言語学・心理学・デザイン学には高度な数学的・統計学的解析を伴うものも多く、たとえば東京理科大学には文理融合型の経営学をうたった経営学部が1993年に設置されている。さらに近年では経済物理学という新分野の開拓や、言語学研究における脳波解析の活用、音楽における音響工学の応用などにより、人文科学・社会科学と物理学との距離が縮まっている。政治学や国際関係論の研究にはゲーム理論等の応用数学的アプローチが用いられることがあり、公共政策大学院には実際に数学の授業が開講している。一方、地理学は地球科学と密接な関係を持ち、特に自然地理学や地図学は理系の学問と位置づけられることも多い。考古学も放射性炭素年代測定など理化学的検査の必要が年々増加しているため、やはり数学や理科が重要視される傾向にある。心理学は脳機能科学や神経科学との関連が密であり、人間の行動や認知を扱う基礎心理学は認知科学などの分野と親和性がある。臨床心理学は精神医学と関連する部分も多い。福祉関係分野では医療に関する知識も必要となる。また、家政学は、自らを「総合科学」と定義(詳細は同項を参照)しているように、医学寄りの学問である栄養学や、理系寄りの分野である児童発達学、被服材料学をも内包する。哲学は歴史的に自然科学の影響を強く受けてきた。集合論をはじめとする数学基礎論の発達は、哲学が紀元前から武器としてきた「論理」に確かな拠り所を与えたし、量子力学の勃興は、それまでの宇宙観を大きく揺るがすものとして哲学の幅広い分野を刺激してきた。他方、臓器移植や多様な生殖医療の出現は哲学に生命倫理への深い考察を要求した。農学、工学には経営学、経済学、拓殖学や地域研究と近い分野がある。例として金融工学や経営工学、農業経済学がある。このうち農業経済学は、多くの大学で農学部に含まれるが、戦時には文系と同様に扱われたことがある。デザイン学、生物学・医学には哲学・倫理学が密接にかかわり、とりわけ精神医学は文系に属する心理学と深く関わっている。情報学には社会学と近縁な分野がある。また文系と同様、理系分野にも自身の歴史を扱う分野がそれぞれ存在する(「○○学史」「○○史」と呼ばれる)。建築学は概ね理系の範疇に入るが、建築デザインなど一部の分野は美術の範疇に入る部分もある。また、造園学はランドスケープデザイン学・環境デザイン学として、それらを学ぶことができる学科自体が文理双方で多岐にわたって設置されている。また、日本では大学入試センター試験における地学科目の試験がほかの理科科目に比べて易しいため文系受験生からの人気が高く、一方で理系出身者の中には地球科学や天文学を全く学んでいない者も多いため、当該分野の知識・理解が文系出身者のほうが優れているという逆転現象がみられる。なお、地質学等の研究では、過去の自然災害を調べるため古文献にあたることもある。

出典:wikipedia

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