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名松線

名松線(めいしょうせん)は、三重県松阪市の松阪駅から同県津市の伊勢奥津駅に至る東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(地方交通線)である。雲出川の渓流沿いを走るローカル線で、名張と松阪を結ぶ計画であったことから、両都市の頭文字をとって名松線と名付けられた。現在、終点の伊勢奥津駅から名張駅前行きの三重交通の路線バスが運行されているが、早朝の1便のみであるため松阪から名張への移動に名松線を利用することは困難である。営業収入は約4000万円、営業費用(維持管理費)は約8億円となっている。なお、名張 - 松阪間は、近畿日本鉄道(近鉄)大阪線および同山田線によりほぼ直線的に結ばれている。赤字83線として廃止勧告対象となり、特定地方交通線第2次廃止対象線区にも選ばれていたが、岩泉線とともに代替道路未整備を理由に廃止対象から除外された。岩泉線廃止以後はJRが運営する唯一の特定地方交通線元対象線区である。現在は伊勢八知まで三重県道15号久居美杉線の道路改良が済んでおり、伊勢八知 - 伊勢奥津間も未改良ながら津市コミュニティバスが運行されている。2009年10月8日の台風18号の被害により、家城駅 - 伊勢奥津駅間がバスによる代行運転となっていた(詳細後述)が、2016年3月26日に運行が再開された。全線を東海鉄道事業本部が管轄している。2009年10月の台風被害以前は、2009年3月14日改正時点で1日8往復が運転され、そのうち夜の松阪駅発下り最終列車が家城駅止まりであるほかは松阪駅 - 伊勢奥津駅間の運転であった。松阪駅 - 家城駅間が復旧した2009年10月15日からは、列車はすべて同区間の運転で、台風被害前と同じく、1日8往復が2時間に1本ほどの間隔で運転された。家城駅 - 伊勢奥津駅間の代行バスは、1日下り5本・上り6本の運行であった。上り列車には紀勢本線多気駅や、参宮線の伊勢市駅に(2010年3月改正前は鳥羽駅にも)直通する列車があった。家城駅 - 伊勢奥津駅間が復旧した2016年3月26日からは、松阪駅 - 家城駅間が1日8往復の運転で、うち6往復が松阪駅 - 伊勢奥津駅間全線の運転。家城駅 - 伊勢奥津駅間が前記の全線運転の列車に加え午前中に下り1本・上り2本の区間運転列車があり、あわせて下り7本・上り8本の運転になっている。紀勢本線や参宮線との直通列車はなくなり、すべて線内運転となった。民営化後の1989年からは、全列車がワンマン運転されている。松阪駅からの家城駅行き下り最終列車に充当された車両は同駅で夜間滞泊となる。かつては最終列車の1本前の伊勢奥津駅行き列車も同駅まで回送されていたが、2006年8月20日に発生した構内留置車両が本線に逸走する事故と2009年4月19日に再び発生した同様の事故(これらの事故については「車両逸走事故」の節で詳述)を受け、管理体制の見直しが再検討され、2009年6月1日から伊勢奥津駅から家城駅まで回送していた列車を松阪駅まで回送して留置するように変更した。担当乗務員区は伊勢運輸区である。名古屋車両区所属のキハ11形気動車で運行されている。かつては伊勢車両区所属の基本番台(0番台)または100番台が使用され、300番台はごくまれにしか入線しなかったが、2015年8月より基本的に300番台が使用されるようになった。2016年3月の全線復旧時に伊勢車両区が廃止になり、同時にJR東海で運用されるキハ11は名古屋車両区所属の300番台4両 (303 - 306) のみとなったため、これが使用される。編成も単行(1両)がほとんどで、2両編成以上になる列車は少ない。また、2016年3月の全線復旧時からキハ25形気動車も使用されるようになった。名松線では繁忙期に2両編成となりキハ11形4両すべてを使うことがあるが、このとき検査等で不足が出た場合のみ使用される。このほか、リゾートライナーも入線したことがある。名松線は改正鉄道敷設法81.にある、「奈良縣櫻井ヨリ榛原、三重縣名張ヲ經テ松阪ニ至ル鐵道及名張ヨリ分岐シテ伊賀上野附近ニ至ル鐵道並榛原ヨリ分岐シ松山ヲ經テ吉野ニ至ル鐵道」の一部として敷設された。このうち、伊賀鉄道(現在の伊賀鉄道伊賀線を開通させた会社だが、現在の伊賀鉄道とは別会社)が名張駅(後の西名張駅。近鉄に合併された後の1964年に廃止) - 伊賀神戸駅 - 伊賀上野駅間を改正鉄道敷設法成立と同じ1922年に開業させていたため、桜松線(おうしょうせん、桜井と松阪から各一文字を取った)の一部として、松阪駅から名張駅(後の西名張駅)を目指して工事が進められることになった。しかし、1930年に参宮急行電鉄が現在の近鉄大阪線・山田線にあたる桜井駅 - 名張駅 - 参急中川駅(現在の伊勢中川駅) - 松阪駅 - 山田駅(現在の伊勢市駅)間を開通させたため、松阪 - 名張間の旅客輸送目的で名松線は建設意義を失った格好になり、1935年までに松阪駅 - 伊勢奥津駅間を開通させたにとどまった。ただし参宮急行電鉄は親会社の大阪電気軌道との直通を前提として標準軌規格で開通したため、貨物輸送や大阪から東紀州方面への連絡で意義があるとして、道路整備によるモータリーゼーションが普及する前の1960年代まで桜松線の建設要望は継続された。また、戦中には狭軌で開業した名古屋線との直通や軍需輸送を目的に、大阪・山田線の狭軌化と国鉄線・南大阪線との接続が検討されたこともあった。なお、改正鉄道敷設法で定められたこれらを結ぶ鉄道は、経路が異なるものの榛原 - 松山(旧大宇陀町) - 吉野をのぞいて現在の近鉄各線によって実現している。1982年8月、三重県全域を襲った台風10号により名松線全線が不通となり、伊勢奥津駅には2両の気動車が取り残された。その後、被害の大きかった伊勢竹原駅 - 伊勢奥津駅間はバス代行となる。日本国有鉄道(国鉄)は三重交通によるバス転換の方針を打ち出し、同年11月には名松線の廃止承認の申請を提出した。しかし、熱心な反対運動や道幅が狭くバスを走らせるのは困難と判断されたことで復旧作業が続けられ、翌年6月に全線の運行を再開。1985年には廃止対象から除外され、廃止承認申請が取り下げられた。2009年(平成21年)4月19日 22時13分頃、家城駅で車両の入換待ちをしていた最中に運転士がおよそ5分間列車を離れたところ車両(1両)が無人で下り坂を走り始め、およそ8.5km逸走して井関駅 - 伊勢大井駅間で停車した。手歯止めを装着せずに運転士が車両を離れたことが原因で、踏切計23か所を通過したものの死傷者や踏切事故などはなかった。家城駅では2006年8月にも今回と同様に夜間滞泊させていた車両が逸走しており、このときは手歯止めを装着せずに留置したことに加えて、空気圧が抜けてブレーキが緩む構造だったことが分かり、通常の自動空気ブレーキに加え、車両のエンジンを切ると自動的に直通予備ブレーキがかかるよう改修した。 中部運輸局は2度も同様の事故が起きたことを重く見て、JR東海に対して警告書を渡し、行政指導を行った。JR東海ではこの事故の対策として家城駅で夜間滞泊させていた車両2両のうち、これまで伊勢奥津駅から家城駅まで回送されていた列車を松阪駅まで回送することにより、家城駅での車両入換作業を廃止し、家城駅での夜間滞泊は22時前の最終列車のみとしている。また、2009年8月1日より同線を担当する運転士を約70名から20名に限定するなどの対策も実施している。JR東海は2009年10月29日、同月8日の台風18号による災害のため不通となり、松阪駅 - 家城駅間が復旧した15日以降も不通のままの家城駅 - 伊勢奥津駅間について当面はバス代行を続けると発表した。そのうえで、「名松線全区間の旅客輸送は引き続きJR東海が担うが、松阪 - 家城間は鉄道を維持したうえで、家城 - 伊勢奥津間はバスでの輸送に切り換える。運賃等は現在の考え方を維持する」とし、関係自治体等に説明すると発表した。理由について「仮に同区間を復旧したとしても今後もより大きな自然災害が発生するおそれがあり、長期運休等でお客様に迷惑をかけるおそれが高いため」としている。当時の判断について、JR東海広報部は2016年の週刊誌の取材に対し「鉄道の安全を確保する前提となる治山治水対策(をJRが実施すること)は難しい」という前提の元に廃線提案を行ったものであるという。代行バスは昼間の2往復が削減され、伊勢奥津行きが5本、家城行きが6本となっていた。JR東海の廃止方針を受け、沿線である津市美杉町の自治会長らは10月30日、津市のJR東海三重支店を訪れ、存続を求める要望書を提出した。また、津市の松田直久市長は10月30日の定例記者会見でこの問題に触れ、早期に住民説明会を開いて意見を聞いたうえでJR東海に存続を求める要望書を提出する考えを明らかにした。これに基づき同市長は11月4日にJR東海本社と中部運輸局を訪れ、名松線を鉄道として全面復旧させるよう求める要望書を手渡した。これに対しJR東海の中村満専務東海鉄道事業本部長は沿線の山林荒廃等にも触れ「復旧しても再び災害は起こる」と従来の見解を繰り返したが、今後情報を共有した上で協議を進めることでは一致した。また、三重県の野呂昭彦知事は11月9日の記者会見でこの問題に触れ、来年度予算編成前に行う国への提言・要望の中で復旧を求める考えを示した。JR東海の山田佳臣社長は2010年11月24日の定例記者会見において、名松線の現在の不通区間の復旧について自治体による協力などの要件を満たすことを条件に復旧させる考えを明らかにし、台風で被害を受けた線路周辺の山間部と河川部の修復とその後の維持管理に対し自治体が将来にわたって責任を持ち、「運行の安全性が確保される」ことを条件に挙げた。これを受けて、2011年5月20日、JR東海、津市、三重県の三者間で協定書が締結され、治水工事については津市が、治山工事は三重県が担当することにより復旧工事を行い、2016年度に全線で運転再開を目指すことが明らかになった。その後、三重県・津市による治山・治水工事が順調に進んでいることから、JR東海も2013年5月30日より線路内の土砂撤去・盛土復旧・線路・電気設備の復旧に着手すると発表した。費用は発表時点で約4.6億円と見込まれている。2015年12月18日、JR東海は2016年3月26日のダイヤ改正にあわせてこの区間の列車の運転を再開すると発表、2016年3月26日9時35分に伊勢奥津駅を松阪駅行きの一番列車キハ11形300番台2両編成(キハ11-305・キハ11-306)が出発し、運休から実に6年半ぶりの全線復旧となった。

出典:wikipedia

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