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マシュハド

マシュハド(; Mashhad)はイラン第二の都市でシーア派の聖廟都市のひとつ。テヘランの東、約850kmに位置し、ラザヴィー・ホラーサーン州の州都である。2006年現在の人口は約250万人。日本語ではマシャド、マシュッハド、メシェド、メシェッド、マスハッド、マシュハッドなどと表記されるがいずれも著しい転訛。開基は823年にさかのぼる。この年はシーア派・12イマーム派の第8代イマーム・アリー・アッ=リダーの没した年であり、マシュハドとはマシュハデ・レザー、すなわちリダー(現代ペルシア語読みでレザー)の殉教地の意である。アリー・アッ=リダーは以前にサナーバードという小村であったこの地で、アッバース朝のカリフ・マアムーンの命により暗殺されたとシーア派では考える。こうしてサナーバードにはイマームの死没地としてモスクが建設され、徐々にその周囲に街が形成されるようになった。ガズナ朝のスルタン・マフムードが建立した墓廟はマシュハドの最初期の主要建築の一つである。現在、聖廟とその博物館(アースターネ・クドゥス・ラザウィー)はイラン最大規模の手稿本、絵画などの文化的芸術的宝庫となっており、また重要な学派も聖廟との関わりをもつ。1912年、イマーム・レザー廟がロシア軍に爆破され、全世界のシーア派ムスリムに広範な憤激を呼び起こした。マシュハドの宗教的重要性は巡礼地でもあるという点にもあらわれている。たとえば「富者はマッカへ、貧者はマシュハドへ」と言われるし、またマッカ巡礼を果たし、ハーッジの称号を冠するに至った者もまた、次にはマシュハド巡礼(特にイマーム・リダー廟)をおこない、マシュティーの称号を得るのである(住民もマシュティーと呼ばれる)。現在も年間約2000万人のムスリムがマシュハドを巡礼に訪れる。政治史的にもマシュハドは重要な都市である。1736年~47年にイランを統治したアフシャール朝のナーディル・シャーのもとでは首都として繁栄し、聖廟も多大の援助を受けている。ホラーサーンの北部がロシア領、ヘラートを中心とする東部がアフガニスタン領となったガージャール朝以降、マシュハドはイラン領ホラーサーンの中心都市として、さまざまな歴史的事件の舞台となっている。主要人口はムスリムが占めたものの、数世紀にわたり宗教的少数派の多い街でもあった。たとえば1839年に強制改宗させられたユダヤ人などがおり、「ジャディード・アル=イスラーム」(イスラームの新参者)と呼ばれ、表面上はムスリムの習慣に従ったが、実質的にはユダヤ教徒のアイデンティティ・伝統を維持し、宗教的二重生活をおこなった。また近代ではバハーイー教の弘通が著しかった場所であり、また最大の迫害が行われた都市でもある。最近のものでは1998年、2人のバハーイー教徒が処刑されている。マシュハドは北緯36度20分、東経59度35分。ビーナールード山脈とヘザール・マスジェド山脈に挟まれ、トルクメニスタンとの国境を流れるキャシャフ川谷に位置する。気候は山岳性のステップ気候(ケッペンの気候区分での "BSk")で、冬に非常に寒く、春と秋は美しく、夏は暑い。年間降水量は 250mm と少ないが、冬には雪が降ることがある。夏は暑く乾燥しており、日中の最高気温が35°Cを超えることもある。冬から春にかけては降水量が多く、冬には夜間に凍結することもある。年間の日照時間は 2900 時間を超えない。マシュハドの人口は300万人近く、エスファハーンの約2倍に達する。主にペルシア人からなり、ほかに毎年2000万近い巡礼者が訪れる。マシュハドは長らく宗教教育の中心地であるとともに、世俗的にも芸術・科学の中心地であった。ペルシア語詩人の巨人フェルドウスィーの名を冠した大規模なマシュハド・フェルドゥスィー大学はこの地にある。また宗教教育の面では、17世紀に設置され現代的施設に模様替えされたアーヤトッラー・ホイー・マドラサがもっとも伝統的なものである。街の中心部には1984年、聖廟複合施設内に設置されたラザヴィー・イスラーム諸学大学がある。マシュハドの伝統的宗教教育は世界的に有名であり、各国から留学生(ターレバーン)を集めている。マシュハドは、6世紀以上の歴史を持ち、中東でも古い図書館の一つに数えられるアースターネイェ・クドゥス・ラザヴィー中央図書館の所在地でもある。ここには約600万の歴史的文書があり、またアースターネ・クドゥス・ラザヴィー複合施設内のアースターネイェ・クドゥス・ラザヴィー博物館には、さまざまな時代の7万以上にのぼる手稿が収められている。1569年、梅毒に関する最も初期の論文を著したイマードゥッディーン・マスウード・シーラーズィーはマシュハドの病院の医者であり、同書はヨーロッパ医学に影響を与えている。マシュハド近郊のカーシュマル絨毯は、この地域の伝統的ペルシア絨毯である。人口ではイラン第2位となる聖都マシュハドは毎年1200万人以上の観光客と巡礼が訪れ、多くは8代イマーム・リダー廟を訪れる。リダー廟は中世以来の参詣地であり、有名な世界旅行家アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・バットゥータもマシュハドを訪れている。近傍の美しい大公園や、トゥースやニーシャプールの歴史に名を残した人々の墓廟を別とすれば、マシュハドのナーディル・シャー廟、クーフ・サンギー公園は、とりわけ注目を集める観光地である。マシュハド空軍基地(以前のエマーム・レザー空軍基地)は軍民共用空港で、ミラージュ戦闘機の基地である。郊外に目を転ずれば、イマーム・リダーの弟子たちの廟がある。テヘラン道沿いのハージェ・ムラート廟があり、街の北約6kmにはサファヴィー朝の書家レザー・アッバースィーによる銘が有名なハージェ・ラビー廟、ニーシャープール道の沿線では約20kmの地にハージェ・アーバーサルト廟がある。ほかにマシュハドから24km離れたトゥースの地に大詩人フェルドウスィー廟が、トルガーベ、トログ、アフラーマード、ゾシュク、シャーディズなどの夏の行楽地がある。サファヴィー朝期の建築として有名なシャー公衆浴場(1648年竣工)は、近年修復され、博物館に転用されることになっている。近郊にあるマシュハド国際空港に、イラン国内の各空港への国内線と、主に近隣のアラブ諸国への国際線が就航している。マシュハド都市鉄道会社により、4路線、総延長77kmのの建設が進められている。2011年2月21日に、22駅19kmの最初の路線が完成しており、マシュハド国際空港につながる予定である。また12駅14kmの路線を2014年完成を目指して建設中である。テヘラン方面(西)、ヤズド方面(南西)、(東、トルクメニスタン国境)方面の3つの主要路線がマシュハドに接続している。サラフス経由でウズベキスタンやカザフスタンに向かう貨物列車もマシュハドから出ているが、軌間の違いにより貨物の乗せ変えが必要である。ヤズド方面の路線は、アフガニスタンのヘラートにむけて延伸路線を建設中である。またイラン北部のゴルガーンなどに向けた路線も計画中である。路線はすべてイラン・イスラーム共和国鉄道が所有しているが、旅客路線はラジャー旅客鉄道が運用している。

出典:wikipedia

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