六町(ろくちょう)は、東京都足立区の地名。現行行政地名は六町一丁目から六町四丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は121-0073。足立区東部・綾瀬川右岸に位置する。主に住宅地として利用されるが、農地も多く残る。また、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開通に伴い、開発が行われている。町域中央をつくばエクスプレスが通り、四丁目に六町駅が設置されている。東は綾瀬川を挟んで北加平町・加平、西は一ツ家・保塚町、南は西加平、北は南花畑と接している。元来、竹の塚・六月・保木間・花畑等の飛地であり、各村出身の次三男による開墾によって成立した比較的新しい町である。古くからの寺社はないので、竹の塚をはじめ元の出身地に菩提寺を持つ住民が多いようである。六町とは、江戸時代までの六月村の飛び地の字であり、竹塚村の字である新川、五反田を中心として形成された。他に花又村や保木間村の飛び地の一部からも成り立っている。これらの飛び地はさらに内部に小さな飛び地をもち、多くの村々が複雑に混在していた。これは六町地区が江戸時代の中でも比較的新しい開拓地であったために、周辺諸村が競って非農耕地を開墾したためである。これは綾瀬川が開削されたことで、主要流通路となった沿岸に村領を広げることで農業用肥料の下肥えを船で運び、農業生産効率を上げるためであったと考えられている。内陸部を本村とする六月村や竹塚村の飛び地がこれほど東へ延びているのはそのためである。この当時の開墾競争の激しさを示すものとして、西加平神社の前身の稲荷神社が作られたのは北から南下してくる他村に対し、嘉兵衛新田(現・西加平)の村民らが自分たちの村域を示すためであったという言い伝えがある。民家があったのは綾瀬川開削で出た廃土を盛って標高を高くした場所だけであり、それ以外は水利の悪い低湿地が広がっていたと言う。集落があったのは現在の六町一・四丁目にあたり、二・三丁目に農家が進出するのは明治時代を待つことになる。
出典:wikipedia
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