寺村 友和(てらむら ともかず、1974年4月22日 - )は、千葉県千葉市稲毛区出身の元プロ野球選手(投手)。台湾での登録名は山崎 友和(やまざき - )。小学校時代は、ヤングジャイアンツに所属(小島よしおも所属)中学時代は、千葉ジャガーズに所属し、高橋由伸は1年後輩に当たる。千葉商高から、本田技研を経て、[[1997年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1997年度ドラフト]会議]にて[[千葉ロッテマリーンズ]]から2位指名を受けて入団。プロ入り後は球威はあるものの制球難に苦しみ[[サイドスロー]]に転向したものの結果は出なかった。[[2000年]]オフに[[山崎貴弘]]との交換トレードで[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]へ移籍。移籍1年目に先発 中継ぎとして、2勝をマーク。[[2003年]]に金銭トレードで[[大阪近鉄バファローズ]]へ移籍したが、1年で退団。[[2005年]]、台湾・[[誠泰コブラズ]]に入団したが開幕してすぐ戦力外通告を受けた。引退後は様々な職業につき、[[松永浩美]]が主催する[[埼玉県]][[三郷市]]の野球教室「松永浩美ベースボールアカデミー (M.B.A)」の投手コーチを務め、2011年11月に[[大東文化大学硬式野球部|大東文化大学]]の野球部のコーチに就任。[[イースタン・リーグ]]で1球勝利投手になったことがある。ロッテ時代の1999年8月31日(対ダイエー戦)で、[[村松有人]]の強烈なピッチャー返しを捕球した際にボールがグラブに挟まって取れなくなったため、[[グラブ]]ごとそのまま[[一塁手]]の[[初芝清]]に投げ、打者をアウトにするという好プレーを見せた。寺村の好判断もさることながら、投げたグラブを抱きかかえるようにキャッチした初芝も素晴らしかったと言える。ヤクルト時代の2001年8月15日の対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦([[明治神宮野球場|神宮球場]])で4-0の時に[[石井一久]]に代わって登板、試合を三振で締めくくったが最後の1球で思い切り転倒してしまった。[[Category:日本の野球選手]][[Category:Honda硬式野球部及びその前身チームの選手]][[Category:千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手]][[Category:東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手]][[Category:大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手]][[Category:米迪亜ティー・レックス及びその前身球団の選手]][[Category:千葉市出身の人物]][[Category:千葉商業高校出身の野球選手]][[Category:1974年生]][[Category:存命人物]]
出典:wikipedia
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