ストライパー(Stryper)は、アメリカ・カリフォルニア州出身のクリスチャン・ヘヴィメタルバンドである。1983年の結成から1992年の解散まで、主に1980年代に活躍し、クリスチャン・メタルの先駆者として知られる。キリストを賛美するような歌詞やステージ上から聖書を投げるといったライブパフォーマンスで有名で、LAメタルシーンの中でも異色のバンドであった。2003年には再結成を果たして2005年にはアルバムをリリース、メタルシーンに復帰している。ストライパーというバンド名は、イザヤ書53章5の文中の"stripe"という単語に由来する。以下抜粋;"He was wounded for our transgressions, He was bruised for our iniquities: the chastisement of our peace was upon Him; and with his stripes we are healed. (彼はわたしたちの背きのため刺し貫かれ、わたしたちの咎のため打ち砕かれた。彼の受けた懲らしめによって、我々に平和が与えられた。彼の受けた傷によって、我々は癒された。)" また、バンド名を"Salvation Through Redemption, Yielding Peace, Encouragement, and Righteousness."の略であるという説もある。なお、イザヤ書53章5(ISAIA 53:5)の文字は、彼らのいくつかのアルバムジャケットにバンドロゴと並んで見ることができる。ストライパーは当初、マイケル(ヴォーカル・ギター / 弟)とロバート(ドラム / 兄)のスウィート兄弟と、オズ・フォックス(ギター)を中心に、ROXX REGIMEというバンド名で活動していた。ティム・ゲインズ(ベース)の加入後、バンド名をストライパーに変更し、1984年7月10日、デビューEP"The Yellow And Black Attack" をリリース。しかしボン・ジョヴィやラットらと同じカテゴリーのバンドとして世に出たため、「彼らは本物のキリシタンバンドではない」などの批判を浴びせられていた。1985年3月15日、彼らは初のフルレンス・アルバムである "Soldiers Under Command" をリリースした。このアルバムは初のゴールド・ディスクに輝き、50万枚以上のセールスを記録した。この成功を受け、デビューEPの "The Yellow And Black Attack" をわずか2万枚の出荷を埋め合わせる意味も兼ねて1986年8月11日に再発することになった。1986年10月24日、3rdアルバム "To Hell With The Devil" をリリース。これはプラチナムディスクを獲得し、"Calling On You"、"Honestly"のヒットも手伝って、100万枚以上のセールスを記録。彼らの中で最も成功したアルバムというだけでなく、クリスチャン・メタルバンドとして初の成功を収めるという偉業を達成した。"Honestly"は彼らの中でも最もよく知られた曲の一つである。しかしティム・ゲインズはこのアルバムのレコーディングには参加しておらず、アルバムのリリース前に脱退してしまう。後任にはマット・ヒューリッチが迎えられたが、ティムはその後バンドに再び戻り、ワールドツアーに参加している。1988年7月28日、4thアルバム "In God We Trust" をリリース。このアルバムもゴールド・ディスクを獲得し、"Always There For You" が大ヒットした。しかしこのアルバムは以前にも増してポップなサウンドとなり、売れ線に走ったと批判された。前作同様、ティムはレコーディングには参加せず、ツアーには同行した。1990年8月21日、5thアルバム "Against The Law" をリリースした。しかしこのアルバムは従来のストライパーのイメージとは著しく変化しており、アルバムジャケットに必ず黒と黄色のカラーが含まれていたり、神を賛美するような歌詞というような彼ら独特の要素が一切排除された。その一方で、バンドは黒い革のパンツやレザーというようなオールド・メタルのイメージに一転し、サウンドもより重厚かつヘヴィなものに変貌した。この大きな変化に関して、ドラマーのロバート・スウィートは「前作のポップイメージを払拭したかった」と発言している。また、このアルバムにはジェフ・スコット・ソートがコーラスで参加しているほか、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのカヴァー曲「シャイニング・スター」に、ジョー・ジャクソンが参加している。"Against The Law" 発表後、所属していたレコード会社のが倒産。新たにHollywood Recordsと契約した後、1991年に新曲2曲を含むベスト盤"Can't Stop The Rock" をリリース。そして1992年2月までのツアー終了後、ソロ活動を理由にマイケルがバンドを脱退。その後オズ・フォックスがギターとヴォーカルを兼任してヨーロッパを回ったが、アメリカへ帰国後に自然消滅という形でバンドは解散。その後、オズ・フォックスとティム・ゲインズはSINDIZZYを結成し、1998年にアルバム "He's Not Dead" をリリースした。マイケル・スウィートは1990年代に4枚のソロアルバムをリリースし、クリスチャン・ミュージック市場に貢献した。ロバート・スウィートは様々なバンドのドラマーとして活躍し、2002年にはソロアルバムもリリースしている。SINDIZZYのメンバーは一度、1999年にプエルトリコで開かれたロック・フェスティバルにてマイケル・スウィートを含めたメンバーでストライパーの曲を披露している。また2000年にニュージャージーで開かれた「Stryper Expo」にて、8年ぶりにストライパーとして復活した。これと同年にはコスタリカで公演を行った後、2001年にはロサンゼルスにて再び「Stryper Expo」を行っている。2003年、Hollywood Recordsの要請を受け、マイケル・スウィートはコンピレーションアルバム用に2曲新たに書き上げ、この新曲2曲を含むバンド2作目のコンピレーションアルバム "7-The Best Of Stryper-" をリリースし、再結成ツアーを行った。全米36箇所にて行われ、プエルトリコのサンファンでの公演を最後に終了した。またこの翌年にはこのツアーの模様を収録したライブアルバム "7 Weeks-Live In America-" をリリースし、プエルトリコ公演の模様はDVDとして映像化された。しかしこのプエルトリコのライブはオリジナルラインナップ最後の公演となってしまった。2004年、スウィート兄弟とオズ・フォックスは新たなアルバムのレコーディングのためにスタジオに入ることを決心したが、ティム・ゲインズは乗り気になれず、代わりに長年マイケル・スウィートのソロバンドのベースを務めたトレイシー・フェリエが参加した。11月、ストライパーはメキシコのPalacio De Los Deportesでのイベントを予定していたが、これを突如キャンセルし、参加するはずだった他バンドのメンバーやプロモーターとの間で衝突が起こった。ストライパーはプロモーター側に落ち度があると主張したが、他のクリスチャンバンドを敵に回すことになった。プロモーター側はストライパーに準備金の全額を返すように要求したが、ストライパー側はこれを拒否し、プロモーターは多額の損失を出すことになった。その後、ストライパーは自身のウェブサイトにてグッズ等を販売し、プロモーターに払い戻しを行う姿勢を見せた。2005年、彼らにとって15年ぶりのオリジナルアルバム "Reborn" がリリースされた。この作品はオルタナティブ・ミュージックやグランジの側面を取り入れたモダンなサウンドに仕上がっており、歌詞は以前のような神を賛美するようなものに戻った。2006年、2年前のプエルトリコ公演の模様を映像化したDVD "Greatest Hits-Live In Puerto Rico-" をリリースした。2008年、この年の6月よりリードシンガーのマイケル・スウィートはボストンに加入。サマーツアーに参加している。2009年、オリジナルメンバーだったティムが復帰し、25周年ツアーを行っている。2011年、ヘヴィメタル・フェスティバル、LOUD PARK11にて、久々の来日を果たす。
出典:wikipedia
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