ジェイコブ・"ティト"・オーティズ(Jacob "Tito" Ortiz、1975年1月23日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。カリフォルニア州ハンティントンビーチ出身。チーム・パニッシュメント所属。元UFC世界ライトヘビー級王者。総合格闘技団体UFCに長きに渡って参戦し続け、UFCを代表する人気選手の1人であった。試合に勝利した際は墓掘りのパフォーマンスをする。高校時代はレスリングでカリフォルニア州王者に2度なった。レスリング部のコーチのポール・ヘレラが、タンク・アボットと親交があり、スパーリングパートナーを探していたアボットの下で一緒に練習するようになった。1997年5月30日、UFCデビューとなったUFC 13のライト級(-91kg)トーナメントのリザーブマッチでウェス・アルブリトンと対戦し、開始31秒でTKO勝ち。1回戦に勝利したエンセン井上が決勝を棄権したため、決勝に進出した。決勝ではケン・シャムロック率いるライオンズ・デン所属のガイ・メッツァーと対戦し、フロントチョークで一本負け。試合後メッツァーに対し、「奴は組み付いて膠着ばかり狙ってきやがる。奴はガイではなくゲイ・メッツァーだ!」と発言。これに対し師であるシャムロックが激怒し、長きに渡るシャムロックとの因縁はここより始まる。1999年9月24日、UFC 22のUFC世界ミドル級(現ライトヘビー級)タイトルマッチでフランク・シャムロックと対戦し、パウンドでギブアップ負けを喫し王座獲得に失敗した2000年4月14日、日本で開催されたUFC 25のミドル級王座決定戦でヴァンダレイ・シウバと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。その後、近藤有己、エヴァン・タナー、エルヴィス・シノシック、ウラジミール・マティシェンコ、ケン・シャムロックを相手に3年余り5度に渡って同タイトルを防衛。2003年9月26日、UFC 44のライトヘビー級王座統一戦で暫定王者ランディ・クートゥアと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座陥落となった。2004年4月2日、UFC 47のライトヘビー級王座挑戦者決定戦でチャック・リデルと対戦し、KO負けを喫した。2006年4月から6月にかけて放送されたリアリティ番組「The Ultimate Fighter 3」でケン・シャムロックと共にコーチを務めた。2006年4月15日、UFC 59でフォレスト・グリフィンと対戦し、2-1の判定勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2006年12月30日、UFC 66のライトヘビー級タイトルマッチでチャック・リデルと再戦し、パウンドでTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2007年7月7日、UFC 73でラシャド・エヴァンスと対戦し、引き分け。2008年5月24日、UFC 84でリョート・マチダと対戦し、0-3の判定負け。この試合でUFCとの契約が終了となり、UFCを去ることとなった。2009年11月21日、1年半ぶりの復帰戦となったUFC 106のメインイベントで3年7か月ぶりにフォレスト・グリフィンと再戦、終盤打撃で圧倒され0-3の判定負けを喫した。2010年10月23日、UFC 121でマット・ハミルと対戦し、0-3の判定負けを喫した。2011年7月2日、UFC 132でライアン・ベイダーと対戦し、ギロチンチョークで一本勝ち。サブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した。4年9か月ぶりの勝利となった。2011年12月10日、UFC 140でアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと対戦し、TKO負け。2012年7月7日、引退試合となったUFC 148でフォレスト・グリフィンと対戦し、0-3の判定負け。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。また、UFC殿堂入りを果たした。2013年8月、舞台をBellator MMAへと移し、復帰することを発表。また、同月15日にはプロレス団体であるTNAに登場。クイントン・ジャクソン率いるメインイベント・マフィアのメンバー入りを打診されるもこれを断り、クリス・セイビン vs ブリー・レイとの試合中に介入してブリーの勝利に貢献した。2014年5月17日、Bellator初参戦となったBellator 120でミドル級王者のアレキサンダー・シュレメンコと対戦し、肩固めで一本勝ちを収めた。2015年3月16日、チェチェン共和国大統領ラムザン・カディロフの大統領宮殿に招待された。2015年9月19日、Bellator 142のライトヘビー級タイトルマッチでリアム・マギリーと対戦し、横三角絞めで一本負けを喫し王座獲得に失敗した。
出典:wikipedia
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