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松本明子

松本 明子(まつもと あきこ、1966年4月8日 - )は、日本のタレント、女優、歌手である。本名、平井 明子(ひらい あきこ)。愛称はあっこ、松本、松本さん、おねだり妻。デビュー時のキャッチコピーは「アッコ、とんがってるね」。香川県高松市出身。血液型はA型。ワタナベエンターテインメント所属。堀越高等学校卒業。夫は6歳年下の俳優・本宮泰風。本宮より2歳年上の兄で俳優の原田龍二は戸籍上義兄であるが、4歳年下であり、ドラマで何度も共演している弟のような存在であるため、「姉さん」と呼ばれ慕われている。高松市立屋島中学校卒業後の1982年3月25日にアイドル歌手を志して上京。その模様は『ズームイン!!朝!』でも紹介された。1982年、オーディション番組『スター誕生!』第44回決戦大会に合格。他の出場者に本田美奈子、徳永英明がいた(ともに失格となったが、後に別口でスカウトされた)。これを契機に渡辺プロダクション(当時)入り。また、同時期に石川秀美が優勝した芸映の主催した「HIDEKI(西城秀樹)の弟妹募集!!全国縦断新人歌手オーディション」の全国大会にも出場してる。1983年、VAPから「♂×♀×Kiss(オス・メス・キス)」でアイドル歌手デビュー。ジャケット写真とテレビ番組出演衣装は、当時同プロダクションで売れていたアン・ルイスを手本として、大プッシュされたが、オリコン週間チャート最高位131位とヒットはしなかった。シングルを何枚かリリースしたほか、レポーターなどの芸能活動をするかたわら、スーパーでのアルバイトなどをする。堀越高等学校を3年間無欠席で卒業、皆勤賞を受けており(堀越高校で3年間皆勤ということは、芸能人としてそれだけ仕事がなかったということでもある)、本人もネタにしたことがある。1984年、『オールナイトフジ』1周年記念および『鶴光のオールナイトニッポン』10周年記念の共同スペシャル番組で放送禁止用語を叫ぶという通称「四文字言葉事件」を起こす(後述)。これが問題となり仕事が激減、一時期活動停止を余儀なくされる。活動停止後2年ほどして中山秀征にバラエティ班移動を勧められ、活動停止解除以後はバラエティ出演が多くなった。1989年開始の『文夫と明子のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)でMCをしつつ、バラエティー路線に転向。苦労の末「バラドル」という新しい肩書きが成立する過程で第一人者として君臨。『ものまね王座決定戦』では松居直美・斉藤ルミ子・しじみとさざえ(篠塚満由美・松下桂子)と共に「女四天王」と呼ばれた。1995年、テレビドラマ『たたかうお嫁さま』で主役に抜擢され、その後もドラマに一定のペースで出演。1998年に主演したテレビドラマ『サービス』では主題歌も担当。1995年2月、進め!電波少年の「アラファト議長とてんとう虫のサンバをダジャレたい!」という企画(アラファトとデュエットで、てんとう虫のサンバ(チェリッシュ)の替え歌で「♪アラファト わたしが 夢の国〜」と歌う企画だった。)で、当時紛争地帯であるガザ地区へ向かい、パレスチナ自治政府初代大統領を務めたヤーセル・アラファートと日本の芸能人で初めて本人に直接接触した。2004年にはアラファートが死去し、日本の要人以外ではナオト・インティライミ(2003年)と並んで当人と接触した人物であるため話題となった。2000年5月、第一子となる長男を出産。同年、育児エッセイ『生んだら無敵』を出版。乳幼児医療費無料制度を国に求める全国ネットワークの賛同者である。交友関係は広いが、その中で中山秀征とは中山のナベプロ入寮時、最初に出会ったのが風呂上がりで全裸で出てきた松本だった。2013年11月20日、歌手デビュー30周年を記念して、エイベックスより初オリジナルアルバム『くとうてん』を発売。製作費は、自身の貯金を切り崩して自費で行った。10歳年上の兄がいる。チュンソフトの中村光一社長はいとこ。四文字言葉事件については、笑福亭鶴光と片岡鶴太郎に「付き合っている男の名前をバラされたくなかったら、カメラに向かって『お○○こ』と言ってこい」「一躍有名になれるぞ」とそそのかされたためだったそうで、香川県出身の彼女は当時、その言葉の意味を理解していなかったと語っている。当時の彼女は躊躇なく言ってしまったのだが、別な意味で有名になってしまった。2013年8月13日放送の『解決!ナイナイアンサー』内でもこの事件のことについて触れており、当時、交際していた男性タレントがバイセクシャルとして有名な人物だったことが発端としている。それを面白がった鶴光と鶴太郎から「ゲイと付き合っていると公表されたくないだろう」と言われた松本はカメラの真正面で放送禁止用語を発した。この件について、2016年1月25日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』では「3回大声で叫んだ」と証言したが、実際は普通の声で1回言っただけだった。するとスタッフたちが一斉に顔色を失い、警備員数名に抱えられて有無を言わさずスタジオからつまみ出されたという。ここでも松本は「私は四国の方で生まれ育ったので、知らない言葉だった。口にすること自体に抵抗は無かったですね」と述べている。この事件は新聞の芸能欄ではなく、一般の社会欄に掲載されるほどの大問題に発展、松本はフジテレビからしばらく出入禁止処分を受けた。他局での仕事も激減、ほぼゼロという状態が約2年間ほど続き「公園のトイレで寝泊まりしていた時期がある」と松本本人が証言している。中山秀征によれば、当時住んでいた渡辺プロの寮の最寄り駅、国立駅のベンチに一日中座って悩んでいたという。そこへ「ABブラザーズ」としてブレイクし、一躍スターになった中山が「ネエさん、よかったら、俺もいるし、バラエティー班に来ませんか?」と声をかけてくれたことで、仕事が増えていくこととなる。後日「この時、中山さんが導いてくれなかったら、とっくに四国に帰っていたと思う」とインタビューに答えている。

出典:wikipedia

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