遠山 茂樹(とおやま しげき、1914年2月23日 - 2011年8月31日)は、日本の歴史学者。専門は日本近代史。横浜市立大学名誉教授。『遠山茂樹著作集』(全9巻、岩波書店刊)がある。東京市京橋区(現東京都中央区)月島生まれ。1934年に旧制[[浦和高等学校]卒業。[[1938年]]に[[東京大学|東京帝国大学]]国史学科卒業、[[文部省]]維新史料編纂所、[[1942年]][[東京大学史料編纂所|東京帝国大学史料編纂所]]に勤務。[[1951年]]から[[1952年]]まで東京大学教職員組合委員長を務める。「[[脱亜論]]」に関する最初のコメントは、[[1951年]]11月に掲載された[[歴史学者]]の遠山による「日清戦争と福沢諭吉」(『福沢研究〈第6号〉』)で、遠山はこの論文で「脱亜論」を[[日本帝国主義]]のアジア侵略論と紹介した。[[1956年]]東大を退職、[[1957年]]から[[1960年]]まで[[千代田区]]史編纂委員、[[1958年]]から[[横浜市立大学]]文理学部教授、[[1972年]]から[[1973年]]同附属図書館長。[[1979年]]に定年退官、[[専修大学]]法学部教授、[[1981年]]から[[1986年]]まで[[横浜開港資料館]]初代館長。[[1984年]]には専修大学を定年退職。学生時代には[[羽仁五郎]]に傾倒、[[服部之総]]に学び、[[平野義太郎]]らに対する学問上の接近により新たな明治維新史の構想を纏めた。 その後[[歴史学研究会]]に参加し[[唯物史観]]の代表的学者として活動した。死後、[[日本共産党]]は遠山を評価している。1955年出版の共著『昭和史』はベストセラーになるが、その記述を巡り[[亀井勝一郎]]と有名な「[[昭和史論争]]」に発展した。2011年8月31日、老衰のため死去。97歳没。[[Category:日本の歴史学者]][[Category:日本近現代政治史学者]][[Category:専修大学の教員]][[Category:横浜市立大学の教員]][[Category:東京大学史料編纂所の人物]][[Category:東京大学出身の人物]][[Category:東京都出身の人物]][[Category:1914年生]][[Category:2011年没]]
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。