村松 英子(むらまつ えいこ、1938年3月31日 - )は、日本の女優・詩人。東京都出身。身長162cm、体重50kg。父は精神医学者の村松常雄、母方の祖父は田部隆次。実兄は文芸評論家の村松剛。兄の友人三島由紀夫の弟子で演劇活動を引き継いでいる。夫の南日恒夫(日本テレビ勤務の技師)は南日恒太郎の孫ではとこに当たる。日本女子大学附属豊明小学校、日本女子大学附属中学校・高等学校、日本女子大学を卒業後に、慶應義塾大学大学院修了。大学在学中に、文学座に入団し、その後座員に昇格するが、1963年の「喜びの琴事件」で、三島、中村伸郎らと共に文学座を脱退し、劇団雲を経てグループNLTに所属。1968年には再び三島らと共にNLTを脱退し、劇団浪曼劇場の旗揚げに参加する。三島に指導を受け、村松の資質を認めていたことから、三島戯曲の舞台に多数出演した。1966年、第一回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した。1971年2月の三島の葬儀に際しては、(本人は初め辞退したが遺族の強い希望で)演劇界代表で弔辞を読んだ。結婚(夫は日本テレビ社員だったがすでに物故している)、高齢で二人の子の出産育児などでしばらく演劇活動は休止していたが、1995年から再開。現在は演劇ユニット「サロン劇場」を主宰し演出家でもあり、「鹿鳴館」、「薔薇と海賊」など多くの三島戯曲を公演している。娘村松えりも舞台女優である。学生時代より詩作をしており、詩集をはじめ、育児や人生論に関する書籍を数冊出版。その詩集を朗読する舞台活動なども行っている。また、熱心なカトリック信者であり、詩の内容にはその影響が垣間見られる。1983年より長年、鳥取女子短期大学、北海学園大学、慶應義塾大学での客員講師(鳥取女子短期大学では、のちに教授に昇格)を務めた。なお、日本会議代表委員を務めている。
出典:wikipedia
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