『街かどテレビ11:00』(まちかどテレビいちいちまるまる)は、1982年3月29日から1991年3月29日までTBSと一部の系列局で放送された歌謡バラエティ番組である。通称「街かどテレビ」、「街かど」。前身番組『11時に歌いましょう』の後を引き継ぐ形で放送開始。高齢者や主婦をターゲットにした番組であり、生中継の現場に来ている観客も大半がそのような層であったが、祝日や夏休み中には子供の姿も散見された。火曜日にはTBSホール(東京都港区赤坂)からの生中継を、火曜日以外の日には関東地方のスーパーマーケットやショッピングセンターの一角に設けた特設ステージからの生中継を行っていた。また金曜日には、毎月1 - 2回ほどのペースでサンシャインシティalpa (東京都豊島区池袋)の噴水広場からの生中継を行っていた。稀に、生中継の終了後に同じ場所で収録した映像を流す回もあった。司会に『おはよう700』のキャスターとして人気を博した五木田武信を迎え、それに曜日ごとの女性アシスタント、さらにサブ司会者としてオーディションで選ばれた大木凡人を加えた3人で番組を進行した。特に大木は「凡ちゃん」の愛称で、おかっぱ頭に太い黒ブチのメガネという風貌の親しみやすいキャラクターで人気を博し、メイン司会を凌ぐほどの番組名物となった。内容は曜日ごとに企画・形式が異なるものの、基本的には視聴者参加型の歌謡コンテストであった。中でも火曜日にTBSホールで行われ、多くのプロ歌手を輩出した勝ち抜き形式の「TBSカラオケコンテスト」や当日会場で出場者を受付して本番中にくじ引きで歌う人を決める水曜日の「カラオケ飛び入り大会」が人気を博し、これらは番組開始から終了まで一貫して行われていた。番組の後半では、主に演歌系のゲスト歌手が1曲歌っていた。ただし後期には、ゲスト歌手数組が登場し、トークと歌を繰り広げる「花金歌謡曲」という企画を金曜日に行っていた。当初は鈴々舎馬風が審査委員長を務める素人演芸の企画もあったが、1年ほどで終了した。。さらに、著名人にもこの番組のファンが多かったようで、トーク番組などで街かどテレビや大木凡人の話をする人が多く見られた。ビートたけしも街かどテレビをよくネタにし、遂には『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』に「街かどテレビ」というアトラクションが誕生するに至った(こちらにも大木凡人が出演)。また、当初はTBSのみの放送だったが、後発局で番組ソフトが乏しかったテレビユー福島やテレビユー山形などへのネットも後に行われた。テレビユー山形でのネット開始1年後には、番組初の地方出張公開放送を山形県県民会館で行った。内容は水曜日の企画「カラオケ飛び入り大会」の山形ロケバージョンで、その回は「TUY開局1周年記念番組」として放送された。TBSは、1991年4月からの出演者と企画総入れ替えの番組リニューアルを発表。街かどテレビは、9年間の歴史に幕を下ろすこととなった。最終回当日、alpaの噴水広場には多数の番組のファンが詰めかけ、春休み中ということもあって超満員となった。同日の放送では、番組が終了するにあたっての視聴者からの労いの言葉や終了反対の手紙(中には老人ホーム有志による1000人以上の署名まで届いた)の一部が紹介された。そして番組の終了後には、会場で凡ちゃん人形(後述)などの番組オリジナルグッズを来場者に販売し、その収益をTBSカンガルー募金に寄付した。毎日の放送の中で2回、CMに入る前に放送されたコーナー。当日観覧に来ている観客の中から、大木凡人が高齢者や子供を中心に1人(1組)を選び、その人に世間話風にインタビューをした後、最後に番組で用意したおもちゃのヘッドセットを装着した観客がカメラに向かって「コマーシャルキュー!」と叫び、ジングルが流れてCMに行くというものだった。1回目のコーナーでは大木が客席にいる人の中からその場で選び、客席でインタビューをした。2回目のコーナーではあらかじめ選んだお客さんをステージに上げてそこでインタビューをする形式だった。コーナーに出演したお客さんには、番組特製の「凡ちゃん人形」がプレゼントされた。なお、番組最初のCM前にはこのコーナーは無かったが、司会の五木田の合図に合わせて出演者および観客全員で「コマーシャルキュー!」を合唱した。
出典:wikipedia
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