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スーパーモーニング

『スーパーモーニング』(英称:"SUPER MORNING")は1993年4月5日から2011年4月1日までテレビ朝日系列他で放送されていた平日朝のワイドショー・情報番組である。前身は日本のワイドショーの第一号であり、29年間続いた『モーニングショー』(第1期)で、当時は1時間番組だったが、このタイトルとなってからは2時間番組となり、時間もほぼ2倍に拡大した。初期は芸能ニュースを全く取り上げず、国会議員や政党役員による討論を定期的に行うなど硬派路線だったが、その後『モーニングショー』以来のリポーター取材による事件や芸能ニュースを中心とした典型的なワイドショー路線を踏襲した。番組後半に『モーニングショー』で人気コーナーだった「宮尾すすむのああ日本の社長」など曜日毎の企画コーナーやテレビショッピングの「特選スーパーショッピング」を放送という方針を採った。また、平日正午枠の系列外時差ネット廃止に伴い、本番組は系列外局で放送される唯一のテレビ朝日制作ワイドショーとなった。ワイドショーが揃ってオウム真理教報道に専心する1995年4月に川野太郎が司会に起用される。1997年頃はオープニングに芸能ニュースをまとめて放送した。1998年10月にはTBS系列やフジテレビ系列のワイドショーに出演していた亀和田武を司会に起用。ネット局に関しては1996年10月1日から岩手朝日テレビの開局に伴い岩手県での放送を開始、当該枠は『モーニングショー』時代の1979年12月以来、16年10ヶ月ぶりに47都道府県全てで放送されることになった。硬派路線へと舵を取り、2000年10月に土・日曜日の『スーパーJチャンネル』のキャスターを務めた蟹瀬誠一を司会に起用。フジテレビ系列『情報プレゼンター とくダネ!』内「とくダネ!TIMES」に相当するコーナーを社会・芸能別に用意。9時台前半に討論コーナーを立ち上げた。アメリカ同時多発テロ事件では、蟹瀬がワシントンから1週間取材を行った。苦戦を続ける中、平日昼では『ワイド!スクランブル』の大和田獏とテレビ朝日アナウンサーの大下容子コンビが定着した(後の2009年秋改編で大和田は降板、後任は同局アナウンサーの寺崎貴司)。それを受けてか2002年4月に『癒し路線』を求めて俳優の前田吟を司会者に起用するも、視聴率は全く奮わなかった。そのためわずか半年でリニューアルに踏み切る。この件で前田を司会者に起用したスタッフが左遷された。なお、テレビ朝日の重役が前田のファンだったという理由による起用だった。前田はこの司会に関して、橋田壽賀子から批判されたことがある。2002年10月に一大リニューアルを実施した。テレビ朝日アナウンサーの渡辺宜嗣に『ザ・スクープ』の鳥越俊太郎という取材歴の長い2人に、当時テレビ朝日アナウンサーの徳永有美を加え、番組初のメイン担当3人体制を組む。渡辺は1991年4月1日から1993年4月2日までの2年間、『モーニングショー』の最後の司会(1993年4月に本番組に衣替えしたため)を務めてから9年半ぶりの同枠復帰。徳永は出演していた『やじうまワイド』が3ヶ月前に終了(降板)したばかり。さらに、「ニュースの職人」を自認する鳥越は、『ザ・スクープ』終了後の活動の場を求めており、ニュース路線を強める番組側との思惑が一致した形での出演となった。サブタイトルを「あれこれニュースショー」とし、「ニュースに貴賎なし」をスローガンに掲げて種々雑多なニュースを公平に扱うという路線を強めた。この時に番組略称を『スパモニ』とした。これまでのワイドショー番組にはなかったような視聴者参加企画も実施した。2006年4月のリニューアルまで、オープニングは視聴者からのリクエストや番組側がその日に放送する内容に合った曲(洋楽・邦楽問わず)を「きょうの名曲」と題して放送していた(深刻なニュース・災害・事件が起こった日などは休止し、番組独自の音楽に差し替えられた。このOP放送中の12月24日になると、大抵山下達郎の『クリスマス・イブ』を流していた)。また、これまでの曜日別の企画コーナーを廃止、放送終了後にインターネット投票で視聴者から評価を訊くサバイバル企画「スパモニ企画」を放送した。リニューアル初期には番組中に留守録やFAXで寄せられた意見や感想、質問や苦情・非難などを番組のラストに紹介した。2003年4月、徳永がウッチャンナンチャンの内村光良と不倫(2人は2005年に結婚)をしていたことが発覚し、当時のテレビ朝日社長であった広瀬道貞も、4月22日に行われた定例社長会見で徳永に対する処分を示唆する発言を行った。徳永はワイドショー担当者として相応しくないとして4月25日放送分で降板となり、徳永の降板会見は飛び乗り局を配慮して8:50頃に放送された。当時のテレビ朝日アナウンス室には適任者がいなかったため、女性司会者が2003年4月28日から2ヶ月間空席となる。テレビ朝日は、渡辺のパートナーを準キー局のABCに求め、2003年6月末から当時同局アナウンサーの赤江珠緒が司会に就任する。当初契約を大幅に延長し、2006年4月のリニューアルまで司会を務めた。しかしながら、赤江降板時の視聴率はおよそ5%で、同時間帯横並び最下位であった。2006年4月3日、テレビ朝日の再編に伴って放送開始が30分繰り上がり、7:30開始となる。同時に「あれこれニュースショー」というサブタイトルを廃し、渡辺のパートナーが赤江からテレビ朝日アナウンサーの野村真季に交代した。同時に、「きょうの名曲」はエンディングでの放送となった。この再編で『やじうまプラス』(当時は4:25から放送)と連携を組み、『やじうまプラス』の出演者が本番組にも登場する「5時間半ぶち抜きニュースショー」とPR(テレビ朝日のみ)。同時に、祝日を除き全国で最後まで、長年に亘って9:30までの放送だったABCテレビが番組終了の9:55までの放送に踏み切った。これにより、9:30の飛び降り点がなくなった。2006年10月にリニューアルした際に、7:30のオープニングで全国の天気(ANNシングルネット局の所在地と釧路の25都市)と関東周辺の天気を流す様になる(天気予報を取り上げるのはしばらくなかった)。当初は司会者交代を機に本番組を終了させる予定だったが、大幅なテコ入れをすることで番組名はそのままとした。放送開始時間は8:00に戻り(これに伴い『やじうまプラス』は8:00までの放送になる)、タイトルロゴも一新された。司会は2006年3月まで司会を務めていた赤江珠緒と『ワイド!スクランブル』の「特報サイト」を担当していたテレビ朝日アナウンサーの小木逸平のコンビ。赤江は2007年3月いっぱいでABCを退社し、フリーアナウンサーとして復帰した。また、番組宣伝は、赤江を前面に出したものとなっている。また、携帯電話を利用したテレビ電話での中継を常態化。「スパモニ機動中継隊」としてリポーターやディレクターが現地報告することになったほか、内容もそれまでの政治関係を扱う割合が少なくなり、リニューアル以前手薄になっていた芸能関係の扱う割合を増やした。2007年4月のリニューアルで放送開始が山陰放送・宮崎放送(いずれもTBS系列:当時は両局とも8:30に飛び乗りネット開始:2009年3月27日まで)を除く全ての局が8:00になり、ABCは初めてフルネットとなった。2007年10月1日からは、スタジオセットとタイトルロゴの色が変わる(青→茶)。それ以前はコメンテーターの人数が多すぎ、満足なコメントの時間がとれないことで不評だったため、コメンテーターの数を5人から3・4人へと減らす(北野誠は自身のラジオで「降ろされた」と発言)。2009年3月27日には、山陰放送と宮崎放送で本番組のネットが打ち切られ、12年半ぶりに47全都道府県での同時ネット番組ではなくなった。2010年3月29日から、オープニング並びにテーマ曲を変更。同時に地上アナログ放送でもモノステレオ放送を開始した。2009年頃から再度硬派路線に舵を切ったり、2010年5月31日には再度オープニングを新コーナーである「教えてニュース!なんでそうなるの?」に変更するなどのリニューアルを繰り返すものの失敗が続き、10月4日からはコメンテーターの曜日移動や新コーナーの開始などのリニューアルが行われたが、これらを実施しても効果はなく、視聴率が3%台を記録する回もあり、且つ同時間帯の番組ではテレビ東京を除く最下位になっていた(関東地区・ビデオリサーチ社調べ)。これに加え、2009年以降における本番組の放送内容も問題視されるようになり、2010年7月と9月のテレビ朝日の番組審議会でも取り上げられた。これらの影響で、2010年年末最後の放送は延長放送を実施せず全局定時終了となったほか、2011年の年始特番は放送せずに全局1月4日開始となった(後述)。さらに2011年1月には本番組をネットしている日本テレビ系非マストバイ局の内、北日本放送と四国放送が同年3月31日限りでテレビ朝日の平日午前のワイドショーのネット自体を打ち切ることを決定したと同時に、2011年4月1日以降は『モーニングショー』から続いてきた平日8・9時台における番組の最大放送局数の番組がTBS『はなまるマーケット』とフジテレビ『とくダネ!』に、放送地域が最大数の番組も『はなまるマーケット』にそれぞれ明け渡すと同時に、テレビ朝日系から最大放送局数・最大地域数のワイドショーや帯番組が皆無になることも決定するなど、本番組はNHKが総合テレビで『あさイチ』を開始して1年もしないうちに1980年代後半以降の『モーニングショー』同様、番組存続の危機に立たされることになった。上記の事柄が重なったため、ネット局29局中、北日本放送と四国放送は予定通り終了前日の2011年3月31日を以って本番組のネットを終了し、残る27局(ANNフルネット24局と山梨放送・福井放送・高知放送)も翌4月1日に放送を終了し、18年の歴史に幕を下ろした。2011年3月28日から3月31日までは各曜日のレギュラー陣が終了の挨拶を行ったほか、最終回では、9時44分頃から約10分間に渡るエンディング部分において、金曜日のレギュラー陣、鳥越(この日は特別ゲスト扱い)、小木、そして赤江の順に最終回の挨拶を行い、番組を締めた。翌週4月4日より、羽鳥慎一と赤江を司会とした後継番組『モーニングバード』が開始された。本番組では、『モーニングバード』並びに羽鳥についての紹介は行われなかった。最終回の視聴率はテレビ東京を除く同時間帯最下位の4.3%であった。2007年4月開始。2010年9月まで『やじうまプラス』および『ANNニュース』兼任。(番組終了時点)番組内容などによってはタイムテーブルが変更される場合がある。なお最新ニュースは、ニュースが入り次第、適宜放送される。いずれも月曜日から金曜日の基本放送時間(制作するテレビ朝日の場合)祝日スペシャルやスポーツ中継による変更は別記掲載。※太字は2011年4月1日の最終回をネットし、後継番組『モーニングバード』をネットしていた局。系列はネット終了時点のもの。岩手朝日テレビ開局に伴う放送開始は事実上、1979年12月に『モーニングショー』を岩手県でのネットが打ち切られて以来の復活となった。2011年4月1日の最終回はテレビ朝日系列(フルネット)24局と日本テレビ系列3局での放送となった。なお、番組内のCMの部分では、最初にテレビ朝日の番組宣伝が流れていたが、日本テレビ系列各局ではACジャパンのCMに差し替えられていた。本番組の旧ネット局で放映権移行後に切り替えた番組や、本番組が打ち切りになった8局で切り替えた番組は以下の通り。クロスネット局だった山口放送を除く各局は本番組が最後の本来の系列のネットワークセールス差し替え番組であった。『モーニングショー』より放送時間帯を拡大したことにより、ネット局によっては都合により放送時間が異なっていた。開始時に全てのネット局が8:00から9:55まで放送可能だった状況ではなかったため、『モーニングショー』と同じ時間帯、8:30と9:30に区切りを設けていた。年末最後は12月30日となることが多かった。放送日時は曜日や編成の都合で変動する。2004年以降、年内最後の放送は昼の『ANNニュース』開始前の11:45まで拡大される(一部ANN系列局と他系列局は定時終了)。ただし、2007年と最後の年となった2010年の年末最後の放送は、後座番組『ちい散歩』の拡大スペシャル放送のため全局定時終了。2010年までの年始の放送(放送日は1月2日もしくは3日)は原則として「スーパーモーニング」のタイトルは使用せず、「超ワイド」などと銘打って放送されていた。司会者は同じだがサブに回り、さらにもう1名メインMCを加えて番組を進行する。晩年期の内容はほぼ芸能ネタ一色で(途中に『ANNニュース』をはさむ程度)、NHK『NHK紅白歌合戦』や芸能人のバカンス出国リポートに時間を割く。スタジオにはお笑い芸人を中心にタレントゲストが集結し、生中継で登場するゲストもいる。番組最後の年である2011年は、1981年から毎年大晦日の夜に放送された『ドラえもん』の特番がこの枠に編成したため、『モーニングショー』最後の年である1993年以来となる年始の放送なしとなった。通常時の系列外ネット局では編成上の都合から、年始特番は放送できず、正月三が日明けの最初の平日から放送開始となっていたが、2011年に関してはANNフルネット24局もNNS5局同様に1月4日開始となった。

出典:wikipedia

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