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NEAC

NEAC(ニアック)は日本電気が自社製コンピュータに使用していた商標。"Nippon Electric Automatic Computer"から。時間順序的にはアナログコンピュータに使ったNEAC(Nippon Electric Analog Computer)がルーツとも言える。日本電気では研究所で1954年ごろからデジタルコンピュータの研究が開始された。当初は点接触型トランジスタを利用したフリップフロップを試作していたが、思うような成果は得られなかった。そのころ、東京大学でのパラメトロンの発明があり、これを利用したコンピュータの研究が進められることとなった。1955年末、パラメトロンを利用した試作機 NEAC-1101 の開発計画が立てられ、開発がスタートした。1957年に組み立てが完了し、1958年3月に稼動。これが日本電気初のデジタルコンピュータとなった。NEAC-1101 は研究所内の各種計算に約8年間利用された。次いで社内のフィルター設計からの要望と東北大学電気通信研究所でのコンピュータの必要性が合致し、日本電気と東北大学との共同開発が1956年に開始され、1958年11月から稼動した。東北大学での名称をSENACといい、日本電気での名称はNEAC-1102とされた。さらに1102に磁気コアメモリを追加し周辺機器を強化したのがNEAC-1103で、防衛庁技研に納入された。日本電気社内でもフィルター設計などに10年ほど利用された。以下、パラメトロンを利用した主要なコンピュータの仕様の概略を列挙する。NEAC-2201は、1957年に完成した通産省工業技術院電気試験所のETL Mark IVの設計を受け継ぎ、日本電気が通信機器で培ったトランジスタ技術を生かして開発された。このシステムは日本電子工業振興協会の計算センターに設置され利用された。また、1959年にパリで開催されたコンピュータの展示会にも出品されたが、実働しているトランジスタを使用したコンピュータは2201だけであったという。さらに本格的な商用コンピュータを製品化するべく、NEAC-2203の開発が1958年に開始され、翌年5月に1号機が電子工業振興協会に、8月に2号機が東京電力に納入された。2203はその後30台が出荷された。2201の開発と並行して、山一證券から窓口業務の機械化の相談を受け、オンラインリアルタイムコンピュータ NEAC-2202 の開発が1958年に開始された。これを発展させたNEAC-2204も証券会社などに納入された。また、1958年にNEAC-2203を利用した近畿日本鉄道の座席予約システムの開発が開始され、1960年4月に稼動開始した。20ヶ所の窓口からの照会/発券/払戻を3秒で行うものである。ただし、このシステムは固定配線式であってプログラマブルではなく、拡張性がなかった。そのため、後の日本航空向けのシステムは汎用コンピュータ NEAC-2230 を利用したものとなった。以下、トランジスタを利用した初期のコンピュータの仕様の概略を列挙する。日本電気は1962年、ハネウェルとの技術提携契約を結んだ。これにより1963年、ハネウェルの H400、H1400、H800 の3機種を国産化し、NEAC-2400, 3400, 2800として発表した。ハネウェルが1963年11月に発表したH200シリーズはIBM 1401の置き換えを狙ったもので非常に評判が高かった。そこで日本電気はこれをノックダウン輸入(部品の形で輸入して現地で組み立てる方式)し、1964年 NEAC-2200として発表した。日本でも2200は好評で、日本電気のコンピュータ市場シェアを高めた(一時期IBMに次ぐ2位となった)。その後、これをシリーズ名(NEAC-シリーズ2200)として後継機種が開発された(1965年~)。多くはハネウェルからの導入だが、一部機種はハネウェルでの開発が進まないことから日本電気が独自に開発している。なお、IBMは1964年にSystem/360を発表しており、アーキテクチャの大転換を図った。このため 1401 対抗であった NEAC-2200 は徐々に競争力を失っていった。しかし、ハネウェル側の新機種開発はなかなか進まないという苦しい状況が続いた(ACOS登場前にはシェアは4位に転落した)。NEAC-シリーズ2200の基本仕様についてはHoneywell 200シリーズを参照されたい。なお、日本電気独自開発のモデル500は国産初の完全IC化コンピュータであった。シリーズ2200を使用して大阪大学では日本初の本格的タイムシェアリングシステムが構築されている。ACOSはNEAC-シリーズ2200の置き換えを狙ったもので、新しいアーキテクチャを採用した。ソフトウェア・ハードウェアの制御をROMに移し、主記憶装置にMOS型メモリ、論理回路にTTL-ICを採用してスループットを向上させ、仮想記憶などの最新技術を取り入れた。当初は東芝、ハネウェル、GEと共同で開発を進めていたが、設計思想の食い違いや事業の撤退などによりやがて日本電気が単独で開発・改良を進めていくことになった。当初の正式名称は「ACOSシリーズ77 NEACシステム"x"00」としていた。これは、同一シリーズを東芝と共有したため、NEACまたはTOSBACという従来からの名称を入れることで区別させるためのものであった。後に東芝がメインフレーム事業から撤退するとNEACの名称は使われなくなった。1961年に日本電気はオフィスコンピュータの先駆けとなる超小型パラメトロン式コンピュータ NEAC-1200シリーズ を発表した。1973年8月にはNEACシステム100を発表。営業本部を設置して販売店を増やし広汎に宣伝を行ったことで、同年10月には月360台を受注というかつてない数字を記録し、ベストセラーになった。この頃競合他社も同様の事務用小型コンピュータを投入しており、こうした状況を受けて日本電子工業振興協会 (JEIDA) はこれらをオフィスコンピュータと呼んだ。1975年にはJEIDAが「オフィスコンピュータ」の定義付けを行い、この用語は通産省でも用いられるようになった。1981年4月、名称を「NEACシステム」から「NECシステム」に変更し、幅広いラインアップを用意した新シリーズを発表した。コンピュータの小型化が進んでくると、従来のオフィスコンピュータとN6300シリーズ (インテリジェントターミナル、多機能ワークステーション) との境界が薄くなってきた。そこで1985年に名称をオフィスプロセッサに統一し、分散処理能力を強化したVSシリーズとサーバ機能を強化したN6500シリーズを発表した。以下、オフィスコンピュータの直系にあたるVSシリーズとその後継 システム3100シリーズ の仕様を列挙する。1990年10月、これまでの製品ラインを一新すると同時に名称を「システム3100シリーズ」に統一した。従来のシステム3100シリーズをAモデル、N6500シリーズの後継「システム3050シリーズ」をSモデル、システム3100/10などのクライアント機をXモデルと呼ぶことになった。また、1992年にSモデルを継承しつつNetWareやUNIXなどのオープン環境を取り入れたOP-Xシリーズ、1993年にAモデルを継承しつつPC-9800シリーズとの親和性を高めたOP-98シリーズを発売した。以下シリーズごとに発売順で型名のみを列挙する。1993年5月、これまでのオフィスコンピュータのサーバ機能を前面に打ち出した新シリーズオフィスサーバ システム7200シリーズと (同) 7100シリーズを発表した。 前者はシステム3100シリーズAモデル、後者は (同) Sモデルの後継にあたる。コンピュータの小型化、ネットワーク化、オープン化が進む中で、従来のメインフレーム対端末で構成された集中処理型システムに代わって、複数のクライアントがサーバを経由してLANに接続するクライアントサーバシステムが登場した。そこで機密性、信頼性、運用性を保ちつつパソコンとの親和性からのオープン化の要求に応えるべく、1994年11月にPentiumを採用したExpress5800/100シリーズとR4400を採用した (同) 200シリーズを発売した。日本電気のミニコンピュータの登場は遅く、1967年3月のNEAC-3100が最初の機種である。当初は産業システムサブグループの産業オートメーション事業部が取り扱っていたが、1975年にミニコンピュータ事業部が発足しそちらに移管された。1977年に事業部が情報処理サブグループに移管され、ハードウェアの開発・製造はコンピュータ事業部が担当することになった。1982年の32ビット版MSシリーズを以って「NEAC」の名称が取れる。その後パソコンの性能が向上したことやEWSの普及が加速したことにより、1988年に発売されたMS4150, MS4170, MS4170Lを以ってミニコンピュータの開発は終了した。

出典:wikipedia

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