『Still a long way to go』(スティル・ア・ロング・ウェイ・トゥ・ゴー)は、1988年6月9日に発売されたオフコース通算13作目にして最終オリジナルアルバム。前作『as close as possible』から外部スタッフの参加が頻繁になったほか、打ち込みによるシーケンサーを多用した音作りへと移ったことで、4人という限られた要素の中ですべてを手がける「バンド」としての必然性は薄れた。また、“The Best Year of My Life”というコンセプトを掲げた4人でのオフコースも'84年のスタートから既に3年を経過し、「それぞれが力をつけていくため3年間だけ続ける」という当初の計画も半ば形骸化していた。「結局、自分達が3年後に個人個人でやっていくという確固としたイメージが持てなかったから、それよりもわかりやすい“続けていくこと”を選んだため」と、その理由について小田はこの当時のことを語っている。今作のレコーディングは前作同様、外部スタッフも含めて行われたが、それが結果としてメンバー間のコミュニケーション不足に繋がった。そのひとつに、B-2「逢いたい」の作詞を吉田拓郎に依頼したことが当初、小田には知らされていないということがあった。「悪気はないだろうけど、一生懸命というのが“バンドがまとまる”ということと違う方に出てしまった」と、そのことについても小田は後に語っている。アルバムタイトルの意味について、小田は「アインシュタインの“光の速度は、それを発する物体の速度に関係なく一定である”という理論じゃないけど、俺達の場合もどんなに歩いても歩いても、これからまだ歩いていかなきゃならない距離って、いつも変わらないって感じがするんだよね。何年活動してこようと関係なく、先はまだ長いと思っている。だからそういう意味では、このタイトルは、アルバム・タイトルっていうよりも、いわば現在のオフコースのテーマみたいなものだね」と、リリース当時のインタビューで答えている。A-4「陽射しの中で」とB-4「僕らしい夏」に参加している平田謙吾は、当時清水が松尾と結成していたバンド“ONE”のメンバー。約半数の曲に参加している園山光博(Sax)は前年のコンサート・ツアーからサポート・メンバーとして参加し(他に神本宗幸(Key)と富樫要(Tp))、後に小田がソロになった時に結成されたバンドFar East Club Bandのバンド・マスターになる。A-1「君住む街へ」では小田のほか、清水と松尾がボーカルをとっている。小田はこの曲について「出来た時、やっとこういう曲が書けたという達成感でいっぱいだった」と当時のインタビューで答えていた。B-5「昨日見た夢」は後に小田がシングル「so long my love」のカップリングとして、歌詞を一部省略したアレンジでセルフ・カヴァーし、アルバム『LOOKING BACK』にも収録された。アルバム中、メンバー4人が同時に音を出して録音したのは「君住む街へ」と「逢いたい」のベーシック・トラックのみで、その他は基本的に作曲者が作ったデータにオーヴァー・ダビングを施したものになった。サウンドの統一感について、小田は「今回は前回と違って、皆で同じ場所でレコーディングしたせいだと思うね。つまり、同じ場所でやれば、誰か他のメンバーがやっているときは皆でそれを待っているわけじゃない。すると『あっ、あの音良いね』とか『あのリズム良いね』なんて事が出てくるわけで、じゃあ俺もやってみようってなことになる。そんなことが結果としてサウンド部分の統一感に結びついたのかもしれないね」と答えている。このアルバム・リリースにあわせたツアー中の1988年11月、今ツアー終了をもってバンドが活動を終了することがファンクラブのメンバーに向けて発表され、その後スタッフの強い要望で実現したスペシャル・ライブ“The Night with Us”を最後に、オフコースは解散した。
出典:wikipedia
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