ダイナコスモスとは日本の競走馬である。おもな勝鞍に皐月賞、ラジオたんぱ賞がある。以下馬齢は旧表記(数え年)とする。1985年9月、福島競馬場でデビュー。初戦は3着だったが、折り返しの新馬戦、400万下条件と連勝した。朝日杯3歳ステークスでは追い込んで ダイシンフブキの2着に食い込み、5戦2勝で3歳シーズンを終える。明けて4歳となっての初戦は京成杯。単勝1番人気に推されるもダイナフェアリーの3着に敗れる。続く弥生賞では岡部幸雄に乗り替わりダイシンフブキに僅差の2着となったが、勝負付けが済んだと判断されたのか、本番の皐月賞では5番人気に過ぎなかった。しかしレースでは、中団を進み直線で早めに先頭に立ち、追い込むフレッシュボイスをクビ差退けて優勝した。東京優駿(日本ダービー)では距離の壁が厚く5着に入るのが精一杯だったが、続くラジオたんぱ賞では58キログラムの負担重量を背負いながらニッポーテイオーを1馬身半抑える競馬で勝利した。秋はマイルチャンピオンシップを最大の目標として調整が進められたが、脚部不安を発症。父であるハンターコムがフランスに再輸出されていたことも影響して、早々に引退、種牡馬入りすることが決まった。引退後はアロースタッドで種牡馬入りした。地味な血統背景にもかかわらず、初年度から50頭前後の種付け頭数を集めるなど馬産地での人気はなかなか高いものだった。2年目の産駒からトロットサンダーを送り出すなど、種牡馬としてもそれなりの成功を収めている。2003年には種牡馬から引退。門別牧場で余生を送っていたが、2006年に老衰のため死亡した。おもに祖母シャダイプリマから近親が広がっている。
出典:wikipedia
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