鈴木 明(すずき あきら、1925年10月28日 - 2003年7月22日)は、日本のノンフィクション作家・フリージャーナリスト。本名は今井 明夫。東京都出身。立教大学文学部を卒業。『週刊タイムズ』記者を経て東京放送(TBS)に勤務して編成の仕事をした他、同社が発行していた『調査情報』誌の編集長を務めた。TBS在職中に執筆した『「南京大虐殺」のまぼろし』が1973年に第4回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。文庫版と合わせて20万部が売れた。のちにTBSを退社してフリーの作家となる。2003年7月22日、虚血性心不全により東京都目黒区の病院で死去。。鈴木はこの著書の中で、日本軍の暴行に関する報告や記事などをまとめた『WHAT WAR MEANS』(戦争とは何か)を編集したハロルド・J・ティンパーリが中国国民党顧問の秘密宣伝員であったと結論付けた。一方、南京大虐殺については結論を出しておらず、「もし請われて、僕がどうしても「南京事件」について記述しなければならないとしたら」「中国側に、軍民合わせて数万人の犠牲者が出たと推定されるが、その伝えられ方が当初からあまりに政治的であったため、真実が埋もれ、今日に至るもまだ、事件の真相は誰にも知らされていない……」と締めくくっている。「百人斬り」についても言及しており、当時の大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員全員が「百人斬り競争」は真実でなかったことを認め、作品を絶賛した。平野謙は1973年3月、「私はその克明な追跡ぶりに感嘆し、たとえば、南京虐殺事件の責任者の一人として処刑された向井少尉の無実などについては、一読者として肯定せざるを得なかったまでである」と評価するコメントをしたが、洞富雄が『南京大虐殺 ― 「まぼろし」化工作批判』で同書を批判すると、同年7月、「今度洞富雄の綿密な論文を読むに及んで(中略)一方的に鈴木明の筆力に感心したのは、いささか軽率だったかな」とのコメントもしている。また小田実は、「本多勝一さんが書いた“南京大虐殺”についての記事には、“百人斬り”をした将校のことがでていた。しかし、その百人斬りというような事件は、真実には、それ自体はたしかになかったものにちがいない。鈴木は、それが捏造された記事だということをあかして行くのですが、そこまではいい。ただ、その本を見ていて感じるのは、部分部分のデータを集積して、全体をひとつの方向にもって行くということだな。それがもっともはっきりと出ているのは本の題名で、『「南京大虐殺」のまぼろし』-これはむちゃくちゃな題だと思う。“百人斬りの幻”ということはいってもよい。それをいつのまにかすりかえて、『「南京大虐殺」のまぼろし』としているわけ。これは非常に巧妙なやり方だという気がする。百人斬りがなかったことを、南京虐殺がなかったことにすりかえようとする。そういう意図が感じられるね」とコメントしている。南京大虐殺はなかった、捏造であったとする否定派の主張は、同書に論拠している人が多いともいわれているが、鈴木自身は『「南京大虐殺」のまぼろし』について論じただたもので、「南京大虐殺はまぼろしだった」と主張はしていないとし、「南京大虐殺」の真実については不明と述べている。「虐殺肯定派」の笠原十九司は2002年刊行の『南京事件と日本人』で鈴木を「否定派の中心メンバーである」として批判をおこなっていたが、2007年刊行の『南京事件論争史』では「加害問題としての南京事件を日本軍人(「百人斬り」裁判)の被害の話にすり替え」「日中国交樹立に前後して、日本の侵略・加害の歴史を明らかにするようになった動向に反感を抱かせようとした」ことが「同書の真の狙い」と主張した。一方、南京事件の記述については、同書を引き「南京事件の事実を全面否定するものではなかった」と従前の見解を改め、その上で「のちに「まぼろし説」として南京大虐殺の事実を否定する本として持て囃されるようになる」と解説した。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。