大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年(明治42年)3月6日 - 1988年(昭和63年)12月25日)は、日本の小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者。今日では『俘虜記』『レイテ戦記』といった戦争ものが最もよく知られるが、創作のバックボーンであった仏文学にとどまらず、幅広い分野に強い関心を抱き続け、文壇を代表するディレッタントだった。手がけた作品のジャンルも多様である。推理小説の愛読者でもあり、1950年代には海外推理小説『赤毛のレッドメーン』(イーデン・フィルポッツ作)や『すねた娘』(E・S・ガードナー作)を翻訳、自らも推理小説を執筆して、とりわけ『若草物語』の題で連載し、後に『事件』と改題した作品は日本推理作家協会賞を受賞し、映画やテレビドラマになるなど、高い評価を受けている。『武蔵野夫人』は『ボヴァリー夫人』に倣って書いた姦通小説で、ベストセラーとなったが、1980年代、ポルノ小説にこの題が使われたため抗議した。また、河上徹太郎、小林秀雄らの愛人で、白洲正子の友人だった坂本睦子を8年あまり自らも愛人とし、妻の自殺未遂騒ぎを何度か経たのちに睦子と別れたが、その翌年、睦子が自殺。その後、彼女をモデルに『花影』を書き、新潮社文学賞と毎日出版文化賞を受賞した。しかし高見順は、肝心の大岡自身の苦悩が描かれていないと批判、白洲正子も睦子が描かれていないと大岡の死後批判している。この小説は睦子を救えなかった青山二郎を指弾するものではないかという解釈があるが、大岡自身は、限定版『花影』のあとがきにおいて「ヒロインはその生れと性情の自然の結果として自殺するのですが、そのきっかけは、彼女の保護者で、父代わりである高島が黄瀬戸の盃を二重売りして、彼女を裏切ったためでした。(中略)あとは私が作った物語ですが、もし高島にモデルがあるなら、私の想像はその人を傷つけることになるでしょう」と述べているだけで、大岡自身が青山二郎を指弾する目的で書いたと言及しているわけではない。後述のように歴史小説を巡って多くの論争を引き起こしたが、自身でも『将門記』『天誅組』などの歴史小説を書いた。これらは、事実に対して強いこだわりを持っていた大岡らしく、小説というより史伝に近いものである。また、若い頃から演劇にも関心を示し続け、舞台「赤と黒」の台本を書いたりした。しかしこの際、演出の菊田一夫と対立し、初演を愛知での「レイテ同生会」への出席を理由に欠席した。また後年、仲代達矢の演じる「ハムレット」には、「未熟」との厳しい評価を下している。好奇心の対象は芸術の外にもおよび、50歳を過ぎて本格的に始めたゴルフにのめりこんだあげく、『アマチュアゴルフ』なるゴルフ指南書を出版したほどである。なお、腕前はハンディ22。旺盛な好奇心は晩年になっても変わらず、1980年(昭和55年)から『文学界』に約5年間『成城だより』を、二回の中断をはさみ連載。この中では、記号論や不完全性定理、さらに漫画(萩尾望都、高野文子、「じゃりン子チエ」など)、ロック(村八分、ザ・クラッシュ、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズなど)、ポップス(中島みゆき、アバなど。当人は「残念ながら、音楽は洋楽種の方がいいようなり」と述べている)、映画(フィリピンをロケ地とした地獄の黙示録など)などに言及した。これらのセレクトには、長男の貞一の影響が大きい。またYMOの坂本龍一が自分の担当編集者であった坂本一亀の息子であることを知り、「『げっ』と驚くのはこっちなり」とも述べるまでの若々しい関心を示す様が、カリスマ的な人気を呼んだ。「ケンカ大岡」と呼ばれるほどの文壇有数の論争家であり、言動が物議を醸すことも少なくなかった。井上靖の『蒼き狼』を史実を改変するものとして批判し、歴史小説をめぐって論争となった。同じく史実を改変するものとして、海音寺潮五郎の『二本の銀杏』や『悪人列伝』等を批判し、これに反論する海音寺と『群像』1962年(昭和37年)8月号上で論争した。松本清張の『日本の黒い霧』等の作品を謀略史観に基づくものとして批判したり、中原中也の評価について、篠田一士と論争したこともあった。また江藤淳の『漱石とアーサー王伝説』が出た時もこれを厳しく批判し、次いで森鴎外の『堺事件』は明治政府に都合のいいように事実を捻じ曲げていると批判し、国文学者と論争になった。そして自身で『堺港攘夷始末』の連載を始めたが、その中で鴎外が依拠した資料に既にゆがみがあったことが明らかになった。本作が未完のまま大岡は急逝し、ほぼ九割は完成していたため、中央公論社から刊行された(のち中公文庫に収録)。『レイテ戦記』は日本の代表的な戦記といえるが、野間文芸賞を辞退した。これは選考委員の舟橋聖一との軋轢による。のち『中原中也』で同賞を受賞するが、選評で舟橋は難癖をつけた。1972年(昭和47年)、日本芸術院会員に選ばれたが「捕虜になった過去があるから」と言って辞退した。この記者会見の席にいた加賀乙彦によると、記者が帰った後に大岡は「うまいだろ」と言って舌をぺろりと出したという。皮肉をこめた国家への抵抗との見方もある。しかし最晩年に昭和天皇の重態に際して「おいたわしい」と書いた(どちらも波紋を呼んだが、ともにウラを読まなければ普通の発言という見方もできる)。
出典:wikipedia
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