『天上の虹』(てんじょうのにじ)は、里中満智子による日本の漫画。副題に「持統天皇物語」とあるように、日本の第41代天皇で、女帝である持統天皇を主人公とした作品。1983年(昭和58年)に連載を開始し、その後書き下ろしを経て2015年(平成27年)に完結した。中大兄皇子(後の天智天皇)の娘として生まれた野讃良皇女は、父の同母弟である大海人皇子(後の天武天皇)に嫁ぐ。夫と父の確執や、自分の持つ優れた政治的資質と一人の女性としての葛藤の間で、悩み苦しみながらも懸命に生きていく。やがて夫の即位後は皇后として夫を助け、夫の死後は自らが即位して持統天皇となり、日本の歴史にその名を残していくこととなる。また、時代に応じて、大海人皇子 - 額田王 - 中大兄皇子、高市皇子 - 十市皇女 - 大友皇子、大津皇子 - 大名児 - 草壁皇子、穂積皇子 - 但馬皇女、弓削皇子 - 紀皇女 - 珂瑠皇子 - 藤原宮子、新田部皇子 - 氷高皇女 - 葛城王、など様々な恋愛ドラマが展開し、物語をよりドラマチックにしている。この作品より少し後の時代を描いた里中の『長屋王残照記』(長屋王)と『女帝の手記-孝謙・称徳天皇物語』(孝謙天皇)は共通する登場人物も多く、この作品の続編と見ることも出来る。物語の中には、里中による創作も多く含まれているものの、史実で明らかな部分(登場人物の生没年、各種法令・書物の成立時期等)は改変しないというルールを貫いている。里中満智子のライフワークとなっており、1983年に雑誌(講談社『mimi DX』12月号)に連載が始まってから2015年3月13日まで、単行本にして全23巻、全67章が発表された。なお、『mimi DX』掲載分は4巻第12章まで、掲載誌を『mimi Excellent』に移しての分が14巻第39章までであり、それ以降は最終章に至るまで描き下ろしである。皇極4年(紀元645年)の初夏。時の女帝・皇極天皇の長子・中大兄皇子には、寵愛する夫人・蘇我遠智娘との間に第2子となる女児が誕生した。彼女の名は「鵜野讃良皇女」。後の「持統天皇」である。讃良が誕生してからすぐの、6月19日。中大兄によるクーデターが発生した。大化の改新である。かねてより蘇我氏の専横に不満を抱いていた彼は、中臣鎌足・遠智の父である蘇我倉山田石川麻呂と手を組み、蘇我氏を倒そうと計画していたのだ。中大兄に討たれた入鹿の亡骸を見た入鹿の父・蝦夷は天皇家との戦を避け、屋敷に火を放ち自害した。血なまぐさい事件に嫌気が差した皇極天皇が退位したため、中大兄は叔父である軽皇子を即位させて孝徳天皇とした。このクーデターの成功により父が右大臣となった遠智であったが、中大兄がどんどん遠い存在になっていくことに不安を抱いていた。改革を進める一方で、政敵への粛清が始まり、正妃・倭媛の父で自身の異母兄・古人皇子が出家して籠っていた吉野山で処刑された。中大兄の次弟・大海人皇子はあまりの惨さに、次第に兄を恐ろしく思うようになる。同じ頃、倭媛のお見舞いのため、彼女の宮を訪れていた遠智。彼女から、自身に嫉妬していたことを打ち明けられ、それと同時に「男として冷たいと思っていたわ。でも違った…! あの人は…人間として冷たい人なのよ!!」と彼の冷酷さをぶちまけられた。その上で、何があっても決して中大兄に逆らわないようにと忠告された。月日は流れ、大化5年(649年)春。讃良は4歳になっていた。突如、祖父・倉山田石川麻呂に謀反の疑いがかけられ、兵士が彼の屋敷へ向かっていた。倉山田石川麻呂は一族を連れて飛鳥へと逃げ帰り、菩提寺・山田寺に篭った。彼は懸命に弁解するも、中大兄は聞き入れず兵士を飛鳥へと差し向けた。懇願する遠智だが、父の悲劇を目の当たりにした倭媛から制止された。結局倉山田石川麻呂は自害に追い込まれ、夫が父を自害に追い込んだことにより、彼を恨み憎悪する遠智。さらに謝罪に訪れた中大兄に陵辱されて精神が破壊されてしまった。翌年の冬。遠智は第3子となる男児(建皇子)を産むも、正気に戻ることなくこの世を去った。祖父を自害に追い込み、母が正気に戻ることなく亡くなったことで讃良は父への怒りと憎しみを抱き、母の亡骸にこう誓った。「あたしは…きっと…お父様より偉くなってみせる!」この時、讃良5歳。これが彼女の波乱に満ちた人生の始まりであった。1995年に、OSK日本歌劇団で「天上の虹~星になった万葉人~」として舞台化された。日本コロムビアより発売されたが、3巻で絶版になった。"実在人物としての詳細は、各リンク先を参照されたし" "709942
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