日向妙国寺(ひゅうがみょうこくじ)は、宮崎県日向市細島にある日蓮宗の仏教寺院。山号は興福山。興統法縁。開山は宰相阿闍梨日郷。第二祖は薩摩阿闍梨日叡。日叡は九州出身初の日蓮門下僧である。細島港を臨む米ノ山には古くから密教系の山岳信仰がありその道場として明王堂があった。当時を偲ぶものとして鎌倉時代のものと思われる不動明王像と狛犬が現在も残っている。高岡本永寺伝では鎌倉末期、日郷が細島にやってきて、当時の細島明王堂住持、薩摩法印を真言から法華に誘引し、細島明王堂(現妙国寺)、日知屋阿弥陀堂(現定善寺)、行縢大日堂(現本東寺)を法華堂に改めたとされている。しかし、実際に日向の地にやってきたのは日郷ではなく鎌倉本国土妙寺(現京都山科本圀寺)の日能(朗門の九鳳日印の弟子)であった。山号寺号は興尊受福山本国土妙寺を由来とする。檀信徒からは福を興す山として親しまれている。江戸期に入ると細島港は南九州諸藩の参勤交代時の中継地として重要視され幕府直轄領(天領)になる。妙谷寺は幕府役人の宿泊施設として利用され、この頃から妙国寺と通称される。幕末には安井息軒が父の滄洲と共に妙国寺を参拝している。日蓮宗復帰に小西法縁の協力があったため、九州では珍しく小西法縁法恩寺法脈に属している。昭和20年代30年代の混乱により、日蓮真筆曼荼羅を始め先師曼荼羅、古文書等の寺宝を多く紛失したが、日郷真筆曼荼羅と日要真筆曼荼羅は紛失を免れ現存し寺宝となっている。廃寺になり現存していないが十二坊の支院があったと伝わる。十二支にちなみ慣用的に十二坊と言われるだけで実際に十二坊存在したわけではないと思われる。しかし、現在も毎年旧暦の1月15日、日要ゆかりの行事の際「十二社参り」という伝統が残っているので、かつては十二坊存在していた可能性もある。塔頭ではないが妙国寺の別院として設立された寺院。
出典:wikipedia
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