中日本航空株式会社(なかにほんこうくう、英称:"Nakanihon Air Service Co.,Ltd.")は、愛知県西春日井郡豊山町に本社を置く日本の航空会社。本社を置いている県営名古屋空港を拠点に自社保有の飛行機・ヘリコプターを日本全国で運航しており、航空事業・調査測量事業および物販事業を手掛ける。名鉄グループ傘下。小型飛行機・ヘリコプターなど77機を保有し、使用事業としての航空機を運航している。また、ドクターヘリの運航には1999年の実験運航から携わっており、各県に配備されている防災ヘリコプターの運航も数多く手掛けるなど、EMS事業に積極的に参加している。このほか、テレビ局の報道取材ヘリの運航も全国で行っている。その他、航空機を使用した写真撮影やレーザー計測などの調査・測量事業、愛知万博や中部国際空港(セントレア)への出店など物販事業も手掛けている。第二次世界大戦後は日本において一切の航空事業が禁止されていたが、サンフランシスコ平和条約が発効し航空事業が本格的に解禁された1952年以降、航空会社が次々と誕生した。江南市で鉄工所を営んでいた青山利光(初代社長)は、太平洋戦争で生き残ったパイロット経験者を集め、セスナ式170B型を2機保有する会社を設立した。なお、設立当初の小牧飛行場(現・県営名古屋空港)は在日米軍の管理下にあったが、基地内に設けた仮テント式の基地からの出発となった。1960年3月に名古屋鉄道と中日新聞社が資本参加したほか、1963年1月に全日本空輸(全日空)からDC-3型機2機を購入し、定期路線の運航を本格的に開始した。しかし、東海道新幹線の開通による影響で名古屋 - 東京路線の運航が困難になったことから、定期路線の人員と機材を全日空へ譲渡し、ヘリコプター部門に力を入れ始めた。1964年にシコルスキー式S62A型によって北アルプスの穂高岳山荘へ物資輸送を行なったのをきっかけに、ヘリコプターによる物資輸送の事業が本格的に始まった。1969年に航空による漁業パトロールがヘリコプターから小型飛行機に切り替わったのを機にこの分野にも関わり、1980年9月からセスナ式404型機を使用し、東北・北海道の沖合1,000kmの東経155度線にまでにおよぶ取締りを行った。マイカー時代の到来と共に各ラジオ局で始まった交通情報では空から各地の状況を即時に伝えるシステムが人気を博し、1970年から3年以上にわたって行われた。1971年にアメリカからフェアチャイルドK-22を購入し、航空測量事業が本格化した。翌1972年にはスイス・ウイルド社の航測カメラRC-10を導入した。また、ジルコ社が開発した国産第1号の赤外線スキャナを利用して火力発電所の調査を行い、リモートセンシングの第一人者として温排水調査や地熱調査をしばらくの間独占した。1988年、地方都市間を結んでいる定期路線(コミューター路線)の全てを名古屋鉄道と全日空が共同で設立した新会社「中日本エアラインサービス」(現・エアーセントラル)へ移管し、定期路線からは撤退した。2006年(平成18年)1月より第二格納庫の建設作業が行われ、9月より運用が開始された。現在使用(運航)中の航空機。貸切、空撮、EMS、貨物輸送、教育・訓練、遊覧、農林水産、宣伝に使用。現在は運航していないが、過去に使用したことのある航空機。
出典:wikipedia
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