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勝海舟 (NHK大河ドラマ)

『勝海舟』(かつかいしゅう)は、NHKが制作し1974年1月6日から12月29日に総合テレビジョンで放送した12作目の大河ドラマ。全52回。子母沢寛の同名小説を原作に、勝海舟の生涯を、彼を取り巻く人々の人間模様を織り交ぜて描く。当初、主人公の勝海舟役は渡哲也だったが、肋膜炎に倒れて降板。渡が第9回まで務めた後、異例の主役交代となり、第10回以降は松方弘樹が引き継いだ。松方は好評だった1965年の『人形佐七捕物帳』に主演して以来のNHKドラマである。放送時はNHKの労使対立問題で現場が混乱して制作体制が定まっておらず、全話収録終了後に松方の不満が爆発、脚本の倉本聰が勅使河原平八ら演出スタッフと衝突して降板し東京を去り、中沢昭二に交代した( ⇒ #エピソード)。最高視聴率は30.9%、年間平均視聴率は24.2%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)だった。2015年時点で第38回、第39回、第44回と総集編の現存が判明しているが、権利元より放送許諾を得られなかったために時代劇専門チャンネルで放映された大河ドラマアーカイブスでは未放映となった。現在(2015年)は各都道府県のNHK番組公開ライブラリーおよびNHKオンデマンドで総集編前後編として視聴可能である。NHKではマスターテープが失われた過去の放送番組の収集(制作関係者や一般視聴者らへのビデオテープ提供の呼びかけなど)を進めている。2016年に藤岡弘、から第25回~第28回、第31回~第37回の11本分が提供された。2016年4月に時代劇専門チャンネル「大河ドラマ総集編劇場」でBS・CS初の放送となった。松方弘樹の代役が決まるまでは2つの話がある。渡哲也が病気になると、倉本聰は東京大学文学部の同級生で親友の映画監督である中島貞夫に「時代劇を背負えるやつが誰かおらんか」と相談した。中島はこの頃仕事に恵まれず、空いていた松方を倉本に推薦。NHKへ行く松方に中島は付き添い、「じゃあ弘樹ちゃんでいこう」と代役が決まった。中島は「帰ってくる時に(主演)映画を一本用意しておく」と松方に約束した。もう一つは『デイリースポーツ』の中島の連載や、倉本の著書や倉本の『日本経済新聞』での連載、能村庸一の著書に書かれている倉本が東映社長の岡田茂に直談判し、岡田が松方を推薦した、しかし岡田が推薦した松方は不良性抜群で、何故松方なのかNHKは理解に苦しむが、最終的にNHK・松方・岡田の三者会談が行われ、「弘樹、人が困ってるんや、やってやれや」と岡田の"鶴の一声"で松方は代役を受けるハラを決めたというもの。松方は1974年3月当時の『サンデー毎日』の手記で、「渡哲也さんが病気で、勝海舟の代役にぼくの名前があがっていると、所属の東映から話をきいたのは1月24日のことだった。(中略)NHKの大河ドラマの主役交代というのは初めてのことだし、急にそんな話を持ってこられても答えに困る。そのうえぼくは東映所属の俳優だから、独行はできない。上のほうで相談して下さいと、その時は答えた。しかし早耳の新聞記者の人たちが、続々と楽屋に訪ねてこられる。(中略)あれよあれよという間に、交代劇は勝手に突っ走っていく感じだった。その夜ぼくは渡さんの家へ電話した。渡さんは不在だったが、奥さんが『あとはよろしくお願いします』といわれた。その直後渡瀬くんから電話がきた。『兄貴を助けてやってくれよ』といわれた。29日、梅田コマの公演が終わり、東映、NHKと三者会談があった。岡田社長が「やれよ」といった。ハラが決まったのはその時である。舞台があったので一度も番組を見ていない。原作も知らない。その日からあわてて原作を読み、(後略)」などと話している。また松方の1975年の著書『松方弘樹の言いたい放談 きつい一発』では、渡哲也さんが病の床に倒れたので、その後を引き受けて欲しいと電話があって、いろいろ迷ってしまったが、岡田社長の『助けてやれや』の一言で結局、引き受けることに決まった、と書いている。松方の手記、著書には中島も倉本も出てこない。2015年8月に倉本の『日本経済新聞』の連載「私の履歴書」があり、ここでの倉本の『勝海舟』の主役交代の話は、松方は超多忙で代役は無理だろうとNHK局内に強まり、誰も口説きにいかないので、倉本自ら「東映社長の岡田茂さんに『松方を大河ドラマに出演させてください』とお願いすると『松方にもいいチャンスだ』と言って進行中の仕事を除いて、以後のスケジュールを止めてくれた」という話のみで、ここでも中島の話は出てこない。つまり、松方は主役交代の話を中島や倉本から聞いたのではなく、岡田から聞いたものと推察される。中島は著書で「この頃仕事に恵まれず、空いていた松方」と書いているが、松方はこの頃忙しかったのであり、中島の記憶違いが見られる。中島が著書に書いている中島と松方が二人でNHKへ行って『大河ドラマ』の主役交代という重要事案を二人、或いはNHKと三者で決めたというのは考えにくい。神経質でひ弱な海舟が出来あがり、松方は放送終了後「NHKはモノをつくるところじゃない」などと発言して物議を醸した。松方が仁科明子と恋仲になるのは、このドラマで夫婦役を演じてからであるが、松方は当時既婚者で、仁科の父である岩井半四郎が激怒し、マスコミを賑わせたものの、彼らの知名度が上がることにつながっている。倉本は週刊誌の記事を巡ってドラマのスタッフとこじれ北海道へ飛び、そのまま北海道に転居。この後は北海道を舞台とした多くのドラマを手掛けることになる。

出典:wikipedia

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