イオン・イリエスク(、1930年3月3日 - )は、ルーマニアの政治家。大統領(第2、4代)、救国戦線評議会議長(初代)、社会民主党議長を歴任。政府中枢からの旧共産党員排除の不徹底や、ルーマニア革命での銃撃戦の真相究明を求める国民運動への弾圧、経済政策の失敗などで、非共産党系のエミル・コンスタンティネスク政権誕生(無血革命)を招いた。カララシ県オルテニツァ出身。ブカレスト工科大学を経て、モスクワ大学エネルギー研究所に留学する。1944年、共産主義青年連盟、1953年にルーマニア共産党に入党。1956年に青年連盟中央委員会書記、1965年に党中央政治局、1967年に青少年関係問題相と順調に出世する。しかしニコラエ・チャウシェスクにより、ティミシュ県の副市長、1974年からヤシ県の副市長を任命され、国政から排除される。1984年、中央政治局員を外され、出版社に勤務する。その頃、セクリタテア(秘密警察)の尾行対象者として監視されていた。1989年、ルーマニア革命により共産党政権が崩壊し、政権を掌握した救国戦線の評議会議長に就任、暫定的に国家元首になる。1990年1月、救国戦線を政党に移行するため暫定国家統一評議会を設立、議長に就任し正式に国家元首になる。2月、正式政府の発足に伴い救国戦線を政党へ衣替えする。再び議長(党首)に就任。5月、ルーマニア初の複数政党制・秘密選挙による自由選挙で85.1%を獲得、大統領に当選。1991年、救国戦線から脱退、民主救国戦線を結成し党首に就任。1992年10月、大統領選挙で47.3%を獲得し再選。1993年7月、民主救国戦線から社会民主主義党(現:社会民主党)に改称、党首に就任。1996年11月、大統領選挙で中道右派のエミル・コンスタンティネスクに敗れる。2000年11月、大統領選挙で中道右派の候補を抑え復帰。2004年12月、任期満了に伴い大統領職を退任。
出典:wikipedia
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