押野村(おしのむら)は、石川県石川郡に存在した村。現在の金沢市の西部及び野々市市の北部。当時は田んぼが広がっていた、全体的に平坦な村であった。2011年現在では、金沢市においては西南部地区ともいわれる。金沢市近郊の地として昭和初期より西金沢駅周辺から都市化が進み、多くの工場も立地していった。2011年現在、チカモリ遺跡、御経塚遺跡が所在している。押野村全域が金沢市に編入された後も御経塚、野代、押越、押野の4地区が野々市町(現・野々市市)への編入を強く希望し、当該4地区に住む小学生、中学生を野々市町内の小学校、中学校へ集団転校(越境通学)させる事態が起こるなど対立が深まった。これについて1956年(昭和31年)中に金沢市議会において、まず御経塚、野代、押越3地区の分割が決まり、押野地区については翌1957年(昭和32年)3月、住民投票において賛成多数で本村(押野地区の中心)を含む南側3分の2ほどの分割が決定。1957年(昭和32年)4月10日に御経塚、野代、押越各町と押野町の一部が野々市町へ編入され、2011年現在の市界がほぼ確定した。(当村廃止時点までのもの)
出典:wikipedia
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