コミュニケーション能力(コミュニケーションのうりょく、)とは、一般的に「他者とコミュニケーションを上手に図ることができる能力」を意味する。これに対してコミュニケーションスキル()とは、人と人の間でコミュニケーションをとる方法・手法・テクニックを理論付けし、検証を行い技術または知識としてまとめたもの。コミュニケーション能力とコミュニケーションスキルを同義に扱う企業も多い。なお、「相手の目を見てはきはきと話す」「アフターファイブは同僚と酒を酌み交わして親睦を深める」といった、人と直接会うことに伴う能力のみをコミュニケーション能力とするのは誤用であり、電子メールや手紙による、顔を一切合わせない付き合いでもコミュニケーション能力は問われる。コミュニケーションはに由来しており、「分かち合うこと」を意味している。「コミュニケーション能力」という表現は様々な用いられ方をしており、以下のような意味で使われることが多い。言語学の分野での「コミュニケーション能力 ()」 という用語は、デル・ハイムズが1972年に初めて提示した。ハイムズは、ノーム・チョムスキーが提示した"言語能力" (linguistic competence) と"言語運用" (linguistic performance) の定義だけでは第二言語(母語の次に学習する言語)教育に不十分であるとして、新たに「文法的能力だけでなく、ある特定の文脈においてメッセージの伝達や解釈、意味の交渉ができる能力」をコミュニケーション能力と定義づけた。CanaleとSweinは、コミュニケーション能力の要素として、以下の4つを挙げた。論理的コミュニケーションという用語も存在する。これは物事を順序立て筋道を立てて説明できること、冷静に人の話を聞けること、議論やディベートの仕方に重点を置いていることが多い。アメリカ合衆国やフランス等で、(社会人ではなく)学生に限って言えば、もっぱら論理的コミュニケーション能力に力点を置いた教育をしている学校や授業もある。多くの企業で、コミュニケーション能力(=コミュニケーションスキル)を養成するための研修が行われている。コミュニケーションスキルは、各個人が持って生まれた才能ではなく、基本的ないくつかの法則をマスターして実践すれば誰にでも出来るテクニックと考えられている。専門の講師による場合もあるし、その企業の職員が講師となる場合もある。1対1の会話、1対多数の会話等について訓練する。会話しているところをビデオ撮影し、その映像を見ながらみんなで指摘し合い、講師が講評するといった内容がよく行われている。研修課題の一例は、次のとおりである。本当に求められている能力は、相手の言いたいことを的確につかみとる能力であり、さらには、相手が言葉が足らずうまく表現しきれていないことまでも洞察し「おっしゃりたいのは...ということですね」と(肯定的に)相手に提案する能力もあると良い。自分の言いたいことがしっかりと受け取られている、と感じることで、人は信頼感を持ち次の段階へと前進してゆくことができるようになる。パオロ・マッツァリーノは『反社会学講座』収録の「ひきこもりのためのビジネスマナー講座」において、浜口恵俊の「日本語にはもともとコミュニケーションにあたる言葉がないため訳せない」という意見を取り上げ、近年、企業等においてコミュニケーションが本来の「意味を拡大解釈」して用いられているようだと指摘し、問題視している。マッツァリーノによればコミュニケーションには本来、「情報(知識や感情も含む)をだれかに伝える・交換すること」という技術的な意味しかなく、そのため言葉の用法に従えば、上司や目上の人間へのある種の直接的な批判の類も立派なコミュニケーションとして成り立つことになると述べている。続けて「しかし、そうすることが日本の企業社会で奨励されているかというと、はなはだ疑問です」と言い、「日本人は古来、コミュニケーションなしで社会を成り立たせてきた」という事実を指摘し、安易にコミュニケーションという単語を用いる現代の風潮を皮肉混じりに批判している。スーザンによれば、すべての人が同じコミュニケーションスタイルにおいて最良のパフォーマンスを発揮するというわけではなく、イントロバート(introvert)と呼ばれる『刺激に敏感で大量の刺激を本能的に避けるタイプの人間』と、エクストロバート(extrovert)と呼ばれる『刺激に鈍感で少量の刺激では必要量を満たせないために大量の刺激を必要とするタイプの人間』、二者それぞれの遺伝子レベルの性質を生かした二種類のコミュニケーションスタイルこそ、無理のない持続可能な方法であるとしている。近代以降、資本を求め商品をいかに買わせるかが社会の関心事となった経緯を紹介し、深い思考は苦手だが口先が巧みなエクストロバートを量産し経済拡大に用いるというシステムが教育も含めて現代では日常化してしまっているという。この社会(エクストロバートワールド)では、イントロバートは欠陥品とされ(イデオロギーの定着のため病名まで発明された経緯もある)エクストロバートになることを強制される。しかしその性質は遺伝子レベルで50%以上固定されているために、対外的にはエクストロバートを「ふるまう」、無理の結果として心の病を併発したり出社拒否に陥るケースがあるという。彼女によれば、どちらのタイプも社交的であるという。両方とも自身の性質に基づいた異なる社交性を備えており、イントロバートは多数の人間と社交を行うことは刺激が大量すぎる点で本質的に苦手だが、一対一または数人との社交においてエクストロバートを凌ぐ力があり、エクストロバートは刺激に鈍感であるがために多数の人間と社交を行うことができる。その反面、一対一または数人との社交において深い友人関係を築き長期にわたり維持することは苦手であるとされる。このため双方のコミュニケーションスタイルも必然的に異なる形となるのが自然であるが、現在の資本主義競争社会におけるバイアスのかかった社会においてエクストロバート型を唯一のコミュニケーションスタイルと信じて疑わない状況がある。自分の話を聞かせたいエクストロバート、人の話を聞くことができるイントロバート、従来のリーダーの適任とされるのは前者とされてきたが、近年では後者の「引き出す力」に注目が集まり前者を凌ぐリーダーとしても可能性が示唆されている。多様なコミュニケーションスタイルは人間の多様性を認める社会であることが必須条件として、イントロバートの存在と可能性について全人民的に社会的認知を深める必要があるという。
出典:wikipedia
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