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松尾潔

松尾 潔(まつお きよし、1968年1月4日 - )は、日本の音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、音楽ライター。Never Too Much Productions代表。通称はKC。本名「松尾潔」名義での作詞・作曲活動の他に、「小山内舞」及び「立田野純」名義での作詞も多数ある。現代黒人音楽の研究者、紹介者であると同時に、プロデューサー、ソングライターとして音楽制作にも直接関わる稀有な存在であり、そのシングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超すビッグプロデューサーでもある。好きなのは、黒人音楽の中でもR&B、つまり黒人の歌謡曲と日本人の歌謡曲という「歌もの」。音楽プロデューサーやソングライターとしては、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューの際のブレーンの一人として、あるいは平井堅のブレイクの仕掛け人やCHEMISTRYの生みの親として彼らを成功に導き、日本の音楽シーンに多大な貢献をしている。それ以外にもEXILE、三代目J Soul Brothers、東方神起、DOUBLE、JUJU、由紀さおり等、数多くのアーティストの楽曲制作に携わっている。その一方で、日本を代表するブラックミュージック研究家、音楽ライター、ラジオDJ、ミュージック・フリークでもあり、早稲田大学在学時から始めたライターとしての仕事で取材のために渡米を繰り返す中、非常に困難とされた「ファンクの帝王」故ジェイムス・ブラウンへの密着インタビューや、マイケル・ジャクソンのアルバムを手がけるなど当時世界一の音楽プロデューサーと言われたクインシー・ジョーンズの独占インタビューに成功。テンプテーションズ、ルーサー・ヴァンドロスの対面取材や、ジャネット・ジャクソン、M.C.ハマーの自宅訪問など大物アーティストのインタビューを多数経験。多くのブラックミュージシャン、シンガーと友人関係を結び、日本への紹介者・窓口となっている。プロのミュージシャンを目指すようなレベルではなかったが、ピアノ、ベース、ギター、トランペットの経験があり、名前の表記はないものの、「Produced by」とクレジットがある場合は楽器演奏やコーラスでレコーディングに参加していることもある。福岡県出身。1988年、大学在学中にブラックミュージック専門誌『bmr(ブラック・ミュージック・リヴュー)』などでR&B・SOULを主な対象として執筆活動を開始、アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められるようになる。ライター時代の久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わるようになる。2002年に開催された日韓共催FIFAワールドカップの2002 FIFA ワールドカップ公式アルバムの曲「Let's Get Together Now」(Voices of KOREA/JAPAN)の作詞及びプロデュースを手がける。同曲は韓国で公式に放送された初めての日本語詞の歌として歴史的な1位を獲得し話題となった。2007年、EXILEのシングル「Lovers Again」の作詞とプロデュースを手掛け、同曲の作詞家として2007年度JASRAC賞銅賞を受賞。2008年、西寺郷太(NONA REEVES)、アレンジャー毛利泰士とバンド「エキゾチックJAPAN」を結成、リーダーとしてみうらじゅんのテレビ番組「シンボルず」(テレビ東京)の音楽を担当(2008年7月 - 9月)。同年初夏にスイスで行われた「クインシー・ジョーンズ75歳アニヴァーサリー・セレブレーション」には日本を代表して鷺巣詩郎と参加。同年12月、作詞・共作曲・プロデュースを手掛けたEXILEのシングル「Ti Amo」が第50回日本レコード大賞を受賞。また同曲の作詞・作曲家として2009年度のJASRAC賞銀賞を受賞。2011年、平井堅のアルバム『JAPANESE SINGER』で10年ぶりにタッグを組み、トータル・プロデュースを行う。同年、作詞・プロデュースを手掛けたJUJUのシングル「この夜を止めてよ」が第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。2013年、イギリスの人気オーディション番組Xファクターの日本版X Factor Okinawa Japanの審査員に就任。トータル・プロデューサーとして関与しているものを記す。

出典:wikipedia

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