国頭村営バス(くにがみそんえいバス)は沖縄県国頭郡国頭村が運営する自治体バスである。本項目では、国頭村が村内で運営しているタクシー形態の有償運送事業についても併せて記述する。国頭村域では道路の整備は全般的に遅れており、辺土名から辺戸岬を経由して奥までの路線バス69番(奥線)は存在したものの、村内東側(以下「東海岸」と表記)は公共交通機関もない「陸の孤島」という状態であった。しかし、道路整備が進み、東海岸と辺土名を結ぶ道路が開通すると、集落ごとにマイクロバスを保有した上で路線バスと同様の運行が行なわれるようになった。これを1987年に当時の道路運送法第101条(平成18年法律第40号により改正された同法第78条第2項に相当)の「自家用自動車による有償輸送」を適用し、正式に村営バス東線としての運行が開始されたのが始まりである。69番(奥線)については、その後も琉球バス・沖縄バス(1993年12月28日から共同運行開始)により運行されていたが、乗客減により2002年7月からは4往復に減便されていた。バス事業者からは廃線の話も出ていたものの、国庫からの補助金が交付されていたため運行は継続されていた。しかし、補助制度が変更となり、路線バス奥線についても乗車密度が低いために国庫からの補助金が打ち切りとなった。県と村が運行経費の22.5%ずつを負担することで、しばらく運行は継続されたものの、2003年10月から翌2004年9月までの赤字額の合計は1140万円となり、このうち県の負担は380万円に過ぎず、残りは村が負担することになった。一方、それまで村営バスで運行してきた東線では、年間の運行経費は400万円ほどであった。道路環境が厳しい上に沿線人口が少ない東線で400万円程度であれば、道路環境がさほど悪くない上に途中に集落も点在する奥線の運行経費は、路線バス奥線に支出している補助金の額よりは安くなると考えられた。このような事情から、2004年10月1日から村営バス西線としての運行が開始されることになった。西線の運行開始に伴い車両を増備し、車両のいっそうの有効活用を図るべく、辺土名と比地を結ぶ路線(比地線)を開設したが、2006年に廃止され、以降は2台のバスで2路線の運行を行なっている。各線とも、沖縄バス・琉球バス交通共同運行の67番・辺土名線終点の辺土名バスターミナルでなく、同ターミナルのひとつ手前で国頭村役場前にあたる「辺土名」停留所を始発・終着としている。もともと路線バスが通らない東海岸の安波・安田両区で運行していたバスが1987年に村営バスとして運行開始された。2015年4月1日から、2往復の運行のうち下り第1便と上り第2便がやんばる学びの森を経由し奥まで運行され、奥線と接続するようになった。平成26年3月時点では、また村内から大宜味村の辺土名高校へ通学する生徒の足の確保のため、上り第1便と下り第2便は同校まで延長運行されていた。ただし、通学用バスとしての運行であるため辺土名 - 辺土名高校間は同校に通学する生徒以外は乗車不可で、休校日(土・日・祝祭日、夏・冬・春休み期間中)は同区間が運休となった。2004年10月より、これまで琉球バス(現在の琉球バス交通)・沖縄バスによって運行されていた西海岸を経由する69番(奥線)を引き継いで運行が開始された。69番のときとの違いは、与那集落と辺野喜集落と辺戸岬と辺戸集落を経由するようになったことである。2015年4月1日から、3往復の運行のうち下り第1便と上り第2便が楚洲まで延長され、下り第1便は楚洲で東線と接続するようになった2004年10月に、もともと公共交通のなかった比地・桃原地区への路線として運行開始。2006年4月いっぱいで廃止された。村営バス車両として西線は日野製、東線は三菱ふそう製が使用されている。国頭村内では、民間タクシー事業者の廃業に伴い、村内でタクシーを利用するのにも村外のタクシー事業者の車を呼び出さねばならなくなったことから、村営バス路線のない地域やバス運行時間帯以外の時間は自家用車への依存が高まることとなった。夜間の酒食を伴う会合の後等に飲酒運転を誘発する一因ともなっていたことから、夜間の移動手段を確保するため、村が自家用車両による有償運送事業としてタクシー形態の運行を行っている。事業区域は国頭村内一円で、運行時間帯は午後8時から午前4時までの限定としており、電話又は無線による配車により利用する。国頭村所有のセダンタイプの乗用車3台(トヨタ・カローラ、ビスタ、日産・ブルーバード(いずれも1990年代中頃の年式)各1台)を使用している。
出典:wikipedia
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