忠魂碑(ちゅうこんひ)は、明治維新以降、日清戦争や日露戦争をはじめとする戦争や事変に出征し戦死した、地域出身の兵士の記念のために製作された記念碑。忠霊碑、尽忠碑、碧血碑など、碑銘は一様ではないが、いずれも戦死者の祖国及び皇室への忠誠を称える意味である。日露戦争における旅順攻囲戦戦死者を記念する中国大連市の忠魂碑のように、特定の戦闘での戦死者を記念してその場所に立てられたものもある。また、 軍馬や軍用犬のための忠魂碑も存在する。裏や下部に戦死者の氏名を刻み、表の碑銘は地元と縁がある将官に揮毫してもらうことが多かった。建立の主体となったのは帝国在郷軍人会で、1910年(明治43年)から始まり、その後、遺族会などが運営管理を行った。現在は神社の敷地などに多く残る。教育的な意図をもって、小中学校の敷地内に立てられたものもあった。GHQは忠魂碑を単なる慰霊碑ではなく、国家主義や軍国主義的な意図を有するものと捉え、第二次世界大戦後相当数を撤去させた。しかしまた、数は少ないが戦後に新しく設置されたもの、GHQにより「A級戦犯」として処刑された者を供養する「昭和殉難者法務死追悼供養碑」もある。共産党など特定の政党や支援者は戦後に自治体が忠魂碑の再建や維持に関して公金支出することは、憲法第20条および89条の定める政教分離原則上問題との主張もあり、箕面忠魂碑訴訟など、いくつかの憲法訴訟に発展した事例もある。
出典:wikipedia
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