『市川崑シリーズ・追跡』(いちかわこんシリーズ・ついせき)は、1973年5月22日から同年9月4日までフジテレビ系列で放送されたテレビドラマ。関西テレビ・C.A.L・活動屋の共同制作。「真実を非情なまでに追い求めるはみ出し記者!」。中村扮する大手新聞社横浜支局の記者"私"が、諸々の事件の真相を追い求めるという社会派のドラマであった(なお放送当時の夜10時台は子供は寝ている時間帯であった。そのためグロテスクな表現が見られたという。)。前年市川崑・中村敦夫のコンビで時代劇『木枯し紋次郎』を大ヒットさせたフジテレビが準キー局の関西テレビの手助けで両コンビによるドラマを制作した、まさにポスト・紋次郎を狙った作品であったが放送開始が今のテレビ業界では異例の改編であった。元々は放送開始予定が1973年7月3日で、前番組『真夜中の警視』が1973年6月26日終了を予定していたためである。しかし『真夜中の警視』が主演俳優原田芳雄の撮影中の無免許運転事故発覚で同年5月15日限りで予定話数を6つ残し7回で打ち切り、急遽放送開始が決定した。予定では13話、1クール終了となっていたが、前の番組の打ち切りで7話多く制作することになり、19話終了予定となった。急遽放送回数が水増しされたため、前途多難と見られていた。元々の予定の13話は何の問題もなしに毎週火曜夜10時に放送されていて、事件のおきた回は水増しにより追加されたものである。1973年8月28日に放送史上に残る『お蔵入りトラブル』が起きた。この日に放送が予定されていた第15話の「汚れた天使」は、次回に予定されていた「灰色の天使」に変更されたが、これは製作元の一つ関西テレビが他の製作元・出演俳優・さらに演出を手掛けた唐十郎の許可を取らずに独断で実行したものである。当番組は水増し分の一話である「汚れた天使」を当時寺山修司と共に前衛演劇の巨頭として知られていた唐に依頼して製作したが唐が自身が率いた状況劇場(別名・新宿赤テント)で見られる様な過激な表現で演出したが、この回の試写に立ち会った関西テレビの重役が『内容が非常識過ぎる』と判断し差換えを決断。この事を知った唐が激怒し、「『汚れた天使』を放送しなければ(関西テレビと)絶縁する」と宣言。これに呼応するかのように主演の中村敦夫や共演者・スタッフ、さらに中村が所属していた俳優座の重鎮東野英治郎が記者会見を開き「強行すれば今後、番組に出演しない」と宣言した。しかし関西テレビは差替えを強行。結果、唐の『汚れた天使』は日の目を見なかった。ただし、唐は同年9月13日に六本木自由劇場において自主的に『汚れた天使』の上映会を行った。当日は雨だったが、定員200人の会場に約500人が足を運んだ。ただ、その映像は機材の不備により、音と映像が2、3秒ずれたものだったという(天野ミチヒロ『放送禁止映像大全』)。「汚れた天使」のストーリーは、横須賀で起きた売春婦殺人事件の取材を担当していた"私"の同僚記者が、根津甚八演じる犯人および犯人が住む安アパートの住人とズブズブの関係になってしまい、その事件を記事にしなかった。それを、常田富士男演じるデスクから咎められたのを苦にして犯人・安アパートの住人と一緒に入水自殺するというものであった。このようにストーリーも衝撃的であるが、安アパートの住人として不破万作演じる倒錯した女装をしたオカマが登場した事、犯人が同性愛志向のある自慰行為をしていたシーンが登場した事、など非常に過激な描写があったという。この事で全出演者・スタッフが製作・出演をボイコットしたため、結果第16話「天使の罠」を最後に予定回を3回残して終了した。前の番組に続いて当番組もトラブルから打ち切りとなってしまった。2回続けては製作元の関西テレビにとってはもちろん、フジテレビに取っても打撃であった。※ すべて『天使』がサブタイトルに使われていた。これは三好徹の小説『天使』を原作としていた事に由来する。
出典:wikipedia
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