洞庭湖(どうていこ)は、千葉県長生郡一宮町にある人造湖。中国の洞庭湖にちなんで名付けられた。面積約6.8ヘクタールの農業用貯水池。土堤によって東西に分けられており、西側(上流側)を中堰、東側(下流側)を下堰という。また、西側(上流側)に隣接して二又堰(池)(2.2ヘクタール)、東側(下流側)に隣接して洞堰(ぼらぜき)があるため、東西4つの溜池が並ぶ形になっている。なお、二又堰・洞庭湖が大字一宮(旧一宮藩領)に属するのに対し、洞堰は大字東浪見(旧東浪見村)に属する。西側にある上流の大欠堰(池)とは松子川でつながっている。「市兵衛堀」と呼ばれる灌漑用水路を通じて堰の北側に水を流していたが、1966年(昭和41年)に洞堰からの取水口が完成し、東側(旧東浪見村方面)に水を流すようになった。千葉県立九十九里自然公園に属する。1983年(昭和58年)、「房総の魅力500選」に選ばれた。最寄駅は東浪見駅。一宮藩主加納久徴が、中国の洞庭湖にちなんで名づけたとされる。字(あざ)名の「洞」(ぼら、山がぐっと入り込んで外界から全然見えないところ、の意)と、中国第一の湖水である洞庭湖に匹敵する大きさ、という「ホラ」をかけたものともいわれる。江戸時代に一宮藩主が家臣岩堀市兵衛に命じて、灌漑貯水池として着工させ、その後、一宮の住人、中村吉兵衛が完成させたと伝えられる。享保11年(1726年)に加納久通が長柄郡一宮に領地を与えられた際に「洞(ぼら)の堰」を築いたといわれているが、正確な着工時期については諸説ある。明治元年(1868年)の「領主加納家引継」には、「加納遠江守久堅寛延元年十月十三日養父久通ノ家嗣後(略)平常志ヲ民事ニ尽(略)水利ヲ起シ洞庭ノ瀦ヲ引テ耕田ニ注グ、家臣岩堀市兵衛嘗之当今之洞庭ノ道路ニ通ス市兵衛堀ト云也」とあり、加納久堅の代(1748年 - 1786年)に着工したとされている。一方、『一宮町史』(1964年)は、着工年代について、寛政年間(1789年 - 1801年)、文化・文政年間(1804年 - 1830年)、天保年間(1830年 - 1844年)の3説を載せている。また、洞庭湖の着工とともに、洞庭湖から北側に流出する、「市兵衛堀」と呼ばれる 2,210 m (うちトンネル部分19か所、計 1,215 m)の灌漑用水路が作られた。その後、天保年間、加納久徴のときに堰が拡張され、代々名主をつとめた中村吉兵衛が完成させたのが、現在の洞庭湖である。久徴は堰の周囲に桜を植えて整備し、天保15年(1844年)3月15日付で洞庭湖記念碑を建てた。この記念碑は1981年6月17日付で一宮町指定史跡に指定されている。文面は多賀城碑にならったもので、次の通りである。ただし、久徴が植樹した桜は廃藩置県後に伐採されており、現在の桜はその後に再植樹されたものである。
出典:wikipedia
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