安倍 昭恵(あべ あきえ、旧姓:松崎(まつざき)、1962年(昭和37年)6月10日 - )は、第90・96・97代内閣総理大臣安倍晋三夫人。ワイドショーや週刊誌などでは「アッキー」の愛称で呼ばれることもある。聖心女子専門学校卒業。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程修了、修士号(比較組織ネットワーク学)取得。左利き。父は森永製菓元社長の松崎昭雄。聖心女子学院初等科・中等科・高等科を経て、聖心女子専門学校へと進む。卒業後は電通に入社、新聞雑誌局に配属。職場の上司の紹介で晋三と出会い、1987年(昭和62年)6月に結婚した。現在まで子宝に恵まれず、不妊治療を試みたり、養子縁組も検討したと『文藝春秋』とのインタビューでコメントしたことをBBCが報じた。結婚後は、東京にいることの多い晋三に替わって地元(山口4区=山口県下関市・長門市)を預かる役割を果たすことが多い。特に、晋三が政府・党の要職について以降は、総選挙期間中も党支援候補の応援のため地元にほとんど戻れない晋三に代わって、選挙区内の遊説を行っている。また、かつて地元下関のコミュニティFM局「COME ON! FM」で、愛称でもある「アッキー」の名前でラジオパーソナリティを務めていたこともあった。担当番組の相方は東京プリン(元シャインズ)の伊藤洋介(森永製菓社員)。晋三が自民党国対副委員長時代に、食事ができずに3ヶ月入院して点滴の日々が続き、体重も激減したことがあった。このとき、「もう政治家なんて辞めて下さい」と涙ながらに訴える。また、かねてから、潰瘍性大腸炎という病名を公表するべきだと、晋三に訴えていた。前任の首相小泉純一郎は独身だったため、晋三の首相就任により、5年5ヶ月ぶりに日本でファーストレディが復活した。安倍内閣発足時、昭恵は北海道洞爺湖サミット開催までは晋三が政権を維持できると予想していた。2006年(平成18年)10月8日の晋三の韓国・中国訪問でファーストレディとして実質的な外交デビューを果たし、その後も夫の外訪の際には必ずと言っていいほど付き添った。中国訪問の際に北京入りした昭恵は、友好の証しとして雍和宮の仏像を参拝。その後、全聚徳で北京ダックの宴会、政府要人と会談をしている。北京市月壇中学と中国身体障害者連合会を訪問し、北京市月壇中学では日本語の授業を聞いていた。昭恵は2006年5月にも個人的に訪中していた。彼女の活動については「米国型のファーストレディを意識している」との分析もある。彼女の活動を補助する「首相公邸連絡調整官」なるポストが設けられ、宮家邦彦(元外交官、立命館大学客員教授)が就任した。晋三以外の候補者の選挙応援にもかかわるようになり、2007年(平成19年)1月28日に北九州市を訪れ、自公推薦候補の柴田高博の応援演説を行った。彼女にとって初めての応援演説であったが、北九州市の選挙戦の最終兵器としての起用だった(結局、柴田は落選した)。第21回参議院議員通常選挙では精力的に活動し、21府県を訪れ遊説を行った。参議院選挙での遊説を振り返り、昭恵は「声援ばかりが聞こえてきて、逆風を本当に肌で感じることができなかった」と述懐するが、自由民主党は大敗し参議院第一党の座を民主党に奪われた。晋三の首相辞任の際は、体調が思わしくないことは3週間前から再三聞かされていたが、辞任会見を開くことまでは事前に知らされておらず、昭恵は友人からの携帯メールで初めて知ったという。入院中の晋三に対し、昭恵は政治家引退を勧めたが、晋三に「いや、それは違う」と拒否された。首相を辞任した晋三について、昭恵は「楽な道を捨て、茨の道を選んだ」と評しており、晋三が参議院議員選挙惨敗後すぐに辞職しなかったことで「KY」(=空気が読めない)と批判されたことについては「今でも納得できません」と主張している。晋三が政権運営に失敗した理由については、「本人が政権運営の面で突っ走ったこと」を「マスコミに書き立てられたことが、支持離れを起こした理由」だと主張しており、マスコミの報道を批判している。2008年(平成20年)の、第169回国会の会期中、晋三と昭恵は私的なスキー旅行に出かけたため、マスコミから批判された。昭恵は自身のブログでスキー旅行の模様を公開している。なお、夫妻は旅行に出発する際、マスコミの取材を拒否している。2008年(平成20年)4月10日の、北京オリンピック開催に際し、チベットへの中国の人権弾圧に対する抗議活動が世界中で繰り広げられる中、ダライ・ラマ14世がインドから米国へ行く途中に日本へ立ち寄った。日本政府はダライ・ラマを敵視している中国に配慮し、「政府として接触する予定はない」としていたが、昭恵がダライ・ラマとの面会することとなった。日本全体が人権問題を軽視しているわけではないことを国際社会に示す意図があったとされる。2011年3月、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程修了、修士号(比較組織ネットワーク学)取得。修士論文は、「ミャンマーの寺子屋教育と社会生活 —NGOの寺子屋教育支援— 』。2012年(平成24年)12月16日、衆議院選挙が行われた。この日まで昭恵も選挙活動を行い、自民党候補者を応援するべく全国を回っていた夫に代わって、地元・山口を駆けずり回って支持を訴えていた。結果、晋三の当選も含めて自民党が圧勝し政権奪還を果たしたことにより、自民党総裁であった晋三が首相に再登板、夫人の昭恵も再びファーストレディとなった。首相に就任した夫・晋三を側面から支援するため、2006年(平成18年)12月に自身の公式ブログ「安倍昭恵のスマイルトーク」を開設。夫のベトナム社会主義共和国訪問に同行した際に訪れた日本人学校の児童から帰国後に手紙を受け取ったことについての報告や、世界平和について自身の考えを述べるなどした。一部のメディアによれば、夕刊紙やインターネット掲示板では「アグネス・チャンの自宅に招かれて夕食をした」、「毎年飾りを変えているクリスマスツリーに、今年はローラ・ブッシュにもらった飾りを付けた」など、私生活の内容について「『勝ち組』の生活だ」「夫婦そろって世の中の空気が読めていない」との批判がなされた。同ブログは2011年11月12日の記事を最後に更新していない。同記事では「フェースブックを一日何回も更新していると、ブログが書けなくなります・・・。」と記載しており、2014年現在ではFacebookに発表の場を移行している。首相夫人でありながら首相の政策に度々異を唱え、「家庭内野党」を公言している。特に原子力政策、環太平洋連携協定、消費増税などに関しては、メディアや講演などで公然と批判を繰り返している。夫・晋三から釘を刺されたこともあるというが、「首相に違うと言える人は少なくなるので、こんな意見もあると伝えたい」と応じていない。2013年末には、与党・自民党から特定秘密保護法に関して「誤情報を流して国民を不安に陥れている新聞」の一つとして挙げられたばかりの東京新聞の取材に応じ、再生可能エネルギーへの転換、原発輸出への異論、環太平洋連携協定によって輸入される農作物への不安を述べている。
出典:wikipedia
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