ティム・ハドソン(Tim Hudson, 1975年7月14日 - )はアメリカ合衆国・ジョージア州コロンバス出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。フルネームはティモシー・アダム・ハドソン(Timothy Adam Hudson)オークランド・アスレチックス在籍時には、2000年からバリー・ジト、マーク・マルダーと共にエーストリオ "ビッグ3" を形成。以後4年で3人合わせて198勝(チーム勝利数の50.5%)を挙げ、チームは2003年まで4年連続ポストシーズン出場を果たした。オーバーン大学在学中の、MLBドラフトでオークランド・アスレチックスから6巡目(全体185位)指名され、プロ入り。プロ入りするまでは高い身体能力のためユーティリティープレイヤーとして活躍していたが、プロ入り後は投手としてプレーすることに。はAA級ミッドランド・ロックハウンズで3連勝を記録し、AAA級バンクーバー・カナディアンズへ昇格してからも4連勝を記録。球団はトム・キャンディオッティを解雇し、ハドソンをメジャーへ昇格させ、6月8日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビュー。5回を投げ、初登板のア・リーグタイ記録となる11個奪三振を記録。そのまま先発ローテーションに定着し、21試合の先発で11勝2敗を記録。オークランド移転後の新人選手(10勝以上)の中で最も高い勝率.846をマークし、防御率3.23は新人選手(100イニング以上)の中で4位となった。新人王の投票では6位に入った。はオールスター開催までに球団史上8年ぶりに二桁勝利を7月2日にマークし、オールスターに選出された。8月28日以降は2完封を含む7戦7勝で9月のピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞している。自己最多の20勝を挙げ、デビッド・ウェルズと共に最多勝利のタイトルを獲得し、サイ・ヤング賞の投票ではペドロ・マルティネスに次ぐ2位だった。チームを8年ぶりの地区優勝に導いた。は4月2日の開幕投手に指名され、リーグ最多の35試合に先発登板し、18勝9敗を記録した。は初めて防御率が2点台を記録し、、自己ベストの防御率2.70、自己最多の240イニングを投げ、16勝7敗を記録した。は6月23日に故障者リスト入りとなったため4年ぶりにオールスターに選出されたが辞退した。7月31日には5年ぶりにマイナーの試合に登板した。昨年に続きリーグ最多の2完封で12勝6敗を記録した。2014年12月16日にフアン・クルーズら3選手とのトレードトレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍。2005年シーズン終了後にFA権を取得するため球団は2005年3月1日に4年総額4,700万ドル、は球団オプションでこれを含めると5800万ドルの契約を結んだ。移籍1年目の2005年は6月から7月にかけて斜腹筋を痛め一時離脱したものの、後半戦の15先発すべてで6イニング以上投げ、8月は2試合連続完投勝利を挙げるなど安定した投球を披露。シーズントータルで14勝9敗・防御率3.52をマーク。また、8月6日のセントルイス・カージナルス戦では、202試合目の登板で通算100勝を達成。1970年以降では6番目に少ない登板での100勝であった。は1年を通して先発ローテーションを守り、リーグ最多の35試合に先発登板。5月1日には被安打1で完封勝利。しかし、防御率がリーグ平均を上回る4.86、13勝12敗でメジャーデビュー以来10勝利以上10敗未満の記録が7年で途切れてしまうなど精彩を欠いた。特に6月16日から7月1日の間は2002年5月4日から5月19日以来の4先発4連敗となった。7月29日のニューヨーク・メッツ戦では2003年5月30日以来となる自己ワーストタイの9自責点をマーク。7月の防御率は8.80、シーズントータルの防御率は5点台にまで悪化するなど、絶不調に陥ってしまった。その一方で、病気と戦うアトランタの子どもたちへのチャリティ活動が認められ、ロベルト・クレメンテ賞にノミネートされた。は制球が定まり、打者一人当たり3.42球は自己最小となった。6月25日から8月20日にかけてこの年のリーグ最長となる9連勝をマークし、2年連続で200投球回を上回り、4シーズンぶりに15勝以上をマークした。は7月までに11勝をマークするなど順調だったが、8月にトミー・ジョン手術を受け、残りのシーズンは全休となったが、2009年のレギュラーシーズンの終盤以後は先発ローテーション投手として復帰した。4月30日のワシントン・ナショナルズ戦で、投げては7回3安打1失点、打っては5回に通算3本目の本塁打で、8対1で勝利し通算200勝を達成。200勝達成試合で本塁打を記録したのはメジャーリーグ史上2人目。2013年11月18日、サンフランシスコ・ジャイアンツと2年総額2300万ドルで契約した。は、自身初のワールドシリーズ優勝を経験した。オフの11月にはジャイアンツとの契約が切れるシーズン限りで引退する意向を表明した。2015年7月26日に古巣であるアスレチックス戦に勝利し、全球団30球団勝利を達成した。また、上記の通りシーズン終了後に引退を表明。シーズン終盤の9月26日、かつての本拠地オー・ドットコー・コロシアムで行われたアスレチックス戦では、同じくこの年限り引退するバリー・ジトとの元ビッグ3同士の投げ合いが実現した。大柄ではないがステップの広いダイナミックな投球フォームを持ち味とする。140キロ台後半のノビのあるツーシーム系の高速シンカーで打者をゴロで打たせ、早いカウントから勝負できるので球数が少なく、MLBでも屈指のグラウンドボールピッチャーである。変化球は高速スライダー、スプリッターを決め球とし、カットボール、チェンジアップも投げる。通算勝率が65.4%(2012年終了時)という勝率が高い投手である。アスレチックス時代には同地区のイチローと何度となく対戦し、イチローは「ほとんど球が高めに来ない投手」と絶賛した。
出典:wikipedia
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