可能 涼介(かのう りょうすけ、1969年4月10日 - )は、日本の文芸評論家・劇作家・批評家・精神保健福祉士である。兵庫県生まれ。灘中学校・高等学校を経て、早稲田大学第一文学部演劇専修卒業。劇作家としての作品に『反論の熱帯雨林』、『不可触高原』(第一部「地平線の音階」、第二部「水平線の標的」、第三部「黒い虹/白い紙」)などがあり、また、上演不可能な戯曲「頭脳演劇」を書き続けている。自身では、作品の源流に埴谷雄高の『死霊』があるとしている。1995年(平成7年)、阪神・淡路大震災をめぐるエッセイ「被災地やぶれかぶれ」を『テアトロ』(1995年4月号)に寄稿して文壇にデビューした。活字化された作品の中で最も古いものは1986年(昭和61年)の「異音集」である。また、1990年代半ばには、批評家として雑誌『SPA!』誌等で書評を書き始め、2007年度には『週刊読書人』紙上で文芸時評を連載。更に翌2008年度には『文學界』誌において新人小説の月評を担当した。これら十数年の成果をまとめ、2009年『圧縮批評宣言』を出版。帯には島田雅彦が「可能は脳死状態にある文芸批評の蘇生を図り、近代文学の延命に貢献している」との一文を寄せている。巻末に収められた座談会では椹木野衣「大竹伸朗論」に言及、これに対する椹木の応答が「美術と時評 第1回大竹伸朗の現在はどこにあるのか」である1999年(平成11年)、結城座が「アンチェイン・マイ・ハート」(『不可触高原』の第一部と第三部に基づく)を上演。宮台真司が「幼少期以来の「右翼マインド」を刺激された」と評する。作家としての処女小説は、『はじまりのことば』で、同書は「2001年度・第13回読書感想画中央コンクール指定図書」に選出されている。また、『演劇誌キマイラ』(1998)、『重力01』(2002)、web誌『キャロル(仮)』(2004-07)の編集委員を務めた。2014年(平成26年)10月1日から5日にかけて、江戸糸あやつり人形座(結城座出身の結城一糸らが結成)が「人間人形世代」(活字版は「紳士淑女名鑑」。『圧縮文学集成』所収)を上演した。2011年(平成23年)11月、作家・山田詠美と結婚した。また、2012年(平成24年)3月には精神保健福祉士の資格を取得した。これに伴って精神医療をテーマとした書籍の書評も手がけている。「反論の熱帯雨林」、「架空のオペラ」、「季節の地獄」、「異音集」の4作を収める。解説は川村毅、帯文は西堂行人の手になる。 帯文は室井佑月と枡野浩一。 1995年から2009年にかけて発表した文芸時評などを集めた単行本。他に「頭脳演劇」についての文章があり、音楽評論・映画評論も収められている。巻末には島田雅彦との対談、絓秀実らとの座談会が付されている。 帯文:柄谷行人(可能性の文学がここにある。)、康芳夫。 第一部 小説「エピファニー」(『はじまりのことば』の続編を含む)、第二部 戯曲/詩篇(戯曲:『不可触高原』ほか、詩篇:「異音集」)、第三部 エッセイ。 なお、『反論の熱帯雨林 可能涼介戯曲集 1』が入手困難となったため、第二部に「反論の熱帯雨林」、「架空のオペラ」、「季節の地獄」が収録されている。 岡田尊司『誇大自己症候群』(ちくま新書)書評☆ 木村敏『臨床哲学講義』(創元社)書評 野間俊一『解離する生命』(みすず書房)書評 中村治『洛北岩倉と精神医療』(世界思想社)書評 立岩真也『造反有理』(青土社)・最相葉月『セラピスト』(新潮社)書評 木村敏『あいだと生命』(創元社)書評 深尾憲二朗・村井俊哉・野間俊一編『精神医学のおくゆき』(創元社)書評 宮内悠介『エクソダス症候群』(東京創元社)書評 春日武彦『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)書評 ジャン・ウリ『精神医学と制度精神療法』(春秋社)書評 「ビートたけし全著作解題」「ビートたけし参考文献」を寄稿☆。 馳星周、京極夏彦らの項を担当※。 「矢沢永吉について」を寄稿☆。 向井豊昭『BARABARA』、蓮實重彦『オペラ・オペラシオネル』などの書評を担当※。 「私がニーチェだった頃」を寄稿※。 発刊討議「「重力」は何をしようとしているのか?(前)」に参加。 「礼儀正しい宇宙人」を寄稿☆。 「二回生きること 『小林秀雄をこえて』をこえて」を寄稿※。
なお、『小林秀雄をこえて』は柄谷行人と中上健次の対談集である。 「陰謀文学者としての村上春樹」を寄稿☆。本書は中国語及び韓国語に翻訳された。 「テラヤマから遠く離れて」を寄稿☆。 「最も愛する者だけが」を寄稿。※印が付いているものは後に『圧縮批評宣言』に収録された。☆印が付いているものは後に『圧縮文学集成』に収録された。
出典:wikipedia
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